Tuesday, March 6, 2018

口や文章や形でなくて、生きた証を持て(第二コリント人の手紙3;1-11)

3:1 私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。3:2 私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです
パウロは、口でなくて、形や、文章でなくて、コリント教会の人々にパウロがイエスを伝え、彼が信じた、彼らが問題をいまだに抱えつつも、彼らの救われたこと、変えられれたことがパウロの証、動かない、推薦状だ、といいます。私は、また私たちはこのような人がすくわれた、変えられた、という証をどれだけ持っているでしょうか?どれだけ、救われた人、変えられた人、イエスの弟子になっていく人のために使えたでしょうか?そこには、形や文書に収まりきれない天国に、また地上においても証されている証が、あります、今日、主の証を求めて聖書の学び、殿堂の働きを準備していきます

主の働きをするために(第二コリント人への手紙4章1-6節)

4:1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、4:2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。4:3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。4:5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。4:6 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです
神様の働き人として歩むためには、奉仕するためには、①神様の哀れみにより、ならないといけません。自分の力ではなれません、②恥ずべきことを、隠れた罪をすてないといけません、③悪巧みに歩まず、これは、自分の中になる罪、古い性質、弱い部分、劣等感をすてないとできないことです、主によりひごとにかえていただかないといけないことです、④そうしてこそ、真理を明らかにできます、主の働き人、MESSANGERは、自分の人格をかけて働かないと、生きないといけません。⑤神様の御前で、これが一番怖いことです。また、人の前に自分の良心を推薦します、とあります、それは、透明であるということです、どこに出ても恥ずかしくないものである、ということです。これを読んで負担のないものはおかしいです、今朝、祈ります、主よきよめてください。あなたの力によりきよめてください。

勇気を失わない理由(第二コリント人への手紙4;1-12)

4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
使徒パウロは、言います。四方八方から苦しめられていますが、窮することはない、と。また、途方にくれていますが、行き詰ることはない、と。
何故でしょう?それは、この計り知れない力、福音が、私のものでなくて、神様のものだからです。私に頼るなら窮します。まさに滅び、倒れ、死ぬことでしょう。でも、
イエスの死をいつでも帯びるのは、イエスの命をいつも私の死ぬべき体で明らかに示されるためなのです。少し、落ち込んでいましたが主の命を持って、自分が死んでいきます
神様の命を持って勇気を持ちます。