Wednesday, December 23, 2015

SUPER WOMAN In JESUS

Prover31:10 しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。31:16 彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、31:20 彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。久しぶりに、FBのです。今朝、QTをしていて聖書の中の「すばらしい妻」というのに心が止まり書きたくなりました、しっかりして、家庭を治め、仕事もし、家族の吹く、食料を準備し、召使につかいをさせ(リーダシップもあり)さらに貧しい人のために手を差し伸べる、こんなすごい人誰がいるのだろう?と思いました、ビジネスが凄い、家庭をよくする、一つ一つならいるかもしれませんたくさんいると思います。でも、貧しい人に悩める人にまで哀れみの心を持つ?!誰が?と思ったらE執事が思い出されました。仕事をされ、家族に仕え、それでいて悩む人、貧しい人への憐れみの心がある、あの人の笑顔が思い出されました。今週はその人のHOMELESSの方々へのPARTYへ行きます。すべての人へ主イエスの愛が届くクリスマスになりますように
 

自分の範囲から飛び出よう

ヤコブの手紙2章15-17節2:15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに2:16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。今回、うちの教会で①タンザニア宣教師へ祈りとサポートをすることにしました、小さいですけど、クリスマスプレゼントを神様の前にもっていくことにしました。また、’②LAのホームレスの方々に「み言葉と1ドル1ドルサポート」をすることにしました。こういうことは議論もあるし、意見もあるのですが、まずはヤコブの手紙を読んだときに、E執事のあつい、あたたかい、あわれみの心に打たれてしてみることにしました。愛の心があるなら、信仰があるのなら満たされる。そして自分の境界線を乗り越えるのだな、と思いましたこのクリスマスすべての人にイエス・キリストの愛が届きますように

Wednesday, July 8, 2015

恐れるべき人を畏れよ!(2KINGS16;10-20)

恐れるべき人を畏れよ!(2KINGS16;10-20)南ユダ王国の王様であるアハズ王様は、自ら(アッシリヤは主君んちにも宗教を強要する国でなかったそうです!)アッシリヤに支配、占領されていたろうダマスコの神殿の状態を見て、そのとおりに詳細に設計図を持ってエルサレムの神殿、まことの礼拝を変えてしまいます。①聖書に書かれている礼拝の方法(祭司のみがささげるささげもの、を王である自分がして)、②聖書どおりの神様の設計図を壊し、③排除までしました。それも、すべてアッシリヤに攻められないか、人間的に恐れたからです。世の目、ヨン権力を恐れて、まことの神様を畏れなかった、のです。また、④主のことばを守り、間違った時に命を懸けて正すべき祭司が王様の言うとおりに、妥協して歩んだのです、今日の適用、①神様を畏れて信じ、歩むべきことが個人的に一つあります、従い、信じます。②ただしくみ言葉を語るべきことを恐れずにしていきます、どうせ、聞かないさ、でなくて、希望を主において命を懸けて伝えていきます。恐れるべき神様を畏れて行きます。(写真は、献花をしてくださった方の今週のお花、無事に肩の手術が無事に終わりました、感謝!続けて回復のために祈りください)

Wednesday, May 27, 2015

6월21일 주일에는 [한국와 일본에 다리가되자! 어버지 하나님와 사람의 다리가 되자!]

6월21일 주일에는 [한국와 일본에 다리가되자! 어버지 하나님와 사람의 다리가 되자!]주제으로 창립기년예배을 드립니다. 처마음을 화보하며 오늘은 주님의 위해 살고 내일의 비전을 받길 원합니다
일시:6월21일 주일 오후2시
장소:19950 場所:19950MARINER AVE#211 TORRANCE CA90503
gesut:사랑의 부합찬단、관악단
기도해주시고 많이 참석해주세요(사진은 2년전에 사잔입니다 2年前の写真です)
 

「韓国と日本の架け橋に、父なる神様と人の架け橋に」6月21日(日)創立記念礼拝

6月21日の日曜日は、「韓国と日本の架け橋に、父なる神様と人の架け橋に」と言うテーマで、創立記念礼拝をささげます。初めての心を回復し、今日を主のために熱心に行き、明日へのビジョンをつかむ日になるように祈ります。
日時:6月21日午後2時から
場所:19950MARINER AVE#211 TORRANCE CA90503
スペシャルゲスト:愛の夫婦合唱団、管弦楽団
お祈りください、ご参加ください
 

Monday, May 18, 2015

炎と雨でも応え、静かに語っても下さる神(1kings19;11-21)

炎と雨でも応え、静かに語っても下さる神(1kings19;11-21)エリヤが神の山ホレブで、主が通り過ぎるの知りますが、エリヤは火の中にも、風の中にも、地震の後にも、おられず、かすかな細い声を聞きます。主は、カルメル山で炎を持ってこたえ、偶像を打ち壊し、飢饉の中で大雨で応える方ですが、かすかな細い声で、語られる方もであります。しかも、神様はエリヤのために裁くこともなく、疲れ果てた主の働き人に語り、答えを(とんでもない!解決策を)準備して置いてくださる方です。それは、①アラムの王にハザエルを立て、②北イスラエルにはエフーを立て、③エリシャを後継者として立ててくださることです。今朝、主の声に道があること、解決があることを信じ、主の山にホレブに祈りに行きます(今週の献花です、素敵でしょ!でも、献花をしてくださる方が肩の手術をされます、ささげる美しい花のような心を主が受け取ってくださり、癒し、守られますように祈りください)
 

Sunday, May 17, 2015

疲れて、もう駄目!と思うときに神の山ホレブにいけ「疲れたら礼拝にいこう」(1KINGS19;1-10)

疲れて、もう駄目!と思うときに神の山ホレブにいけ「疲れたら礼拝にいこう」(1KINGS19;1-10)エリヤは、バアルの預言者、アシュルの預言者を打った後、イゼベルとアハブ王に命を狙われます、本当なら大勝利をして、アハブ王もイゼベルも悔い改めをして当然なのに、罪の自己防衛システムは、大変なことをうみます。そして、エリヤは逃亡し「主よ、もう十分です。私の命をとってください。私は先祖に勝っていませんから」4節といって、死を願い、疲れ果てて木の下で横になります。私たちもこういうことないでしょうか?エリヤはあれだけ勇敢な人だったのに、大きな主のみわざをした後に、燃え尽き、疲れ果ててしまったのです。そこで、主はふたたび、現れてくださり、「パンと水を与え、」{GET UP AND EAT}と言われ、励まし続けてくださいます。そして、食事を通して少ずつ力づてくださいます。私たちもこんな恵み、励ましが必要でないでしょうか?こんな励ましに力づけられたことがないでしょうか?小さい食事、少しずつ歩ませてくださる愛、本当にそれがあってここまで来たのでないでしょうか!また、主なる神は、神の山ホレブでエリヤにあってくださいます。そして、あなたは「ここで」何をしているのか?!質問してくださいます。主に出会うことが礼拝です。礼拝を通して、主は語ってくださいます、あなたは何をしているのか?ここで?と、語り、自ら正直に答えるように、考えるようにしてくださいます。礼拝は神様の出会いの場所です、そして、主は語り、励まし、力づけ、いくべき道を教えてくださいます、何よりも愛してくださいます。今日、主のもとに駆け込みます、礼拝を通して、まことの平安、休み、力を受けに、主の強くとりでに駆け込みます、礼拝を楽しみに、休みを得てきます。
 

Saturday, May 16, 2015

主こそ神です、と知らせてくださいという祈り(1kINGS18;30-46)

主こそ神です、と知らせてくださいという祈り(1kINGS18;30-46)エリヤは、バアルの預言者450人とアシュラの預言者400人と全面対決を一人でします。当然、偶像は火を下すことが出来ませんでした。そこで、エリヤの番になったときに①主の祭壇を、主の名前で立て直します(主よ、あなたの祈りの祭壇、礼拝の、ささげもの、私自身の心、罪を燃やすもの立て直させてください、朝の祈祷会立て直します、またLAと南カリフォルニアのために祈ります、主の愛で結ばれるように日韓のために祈ります)そして、②12部族の石をならべます(分断があっても、主にあってひとつです、とりなしをするものは、相手がどうであれ、主のために代表してとりなします)、③水で満たし、びちょびちょ、いや水であふれかえるほどに祭壇の回りまで満たしました(自分の力では出来ない、という状況です、でも、神様がしてくださる確信があればこそできることです、主の確信を持って歩ませてください)、④、36節「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であり、わたしがあなたのしもべであり、あなた...のみことばによって私がこれらすべてのことを行った、ということが、きょう、明らかになりますように」と祈ります、この時点までイスラエルの民は、悔い改めもせず、エリヤを認めもせず(逃亡している上に、どれほど孤独だったことでしょう!)、いたのです。雨が降らないのは、自分のためではない、と思っていたのです。主よ、日本に、アメリカに、全世界に神が主であることを示してください、私の隣人に、友人に示してください。⑤その時(38節)に、天から火が降り、全集の生けにえ、たきぎ、石とちり(ちりまで!)焼き尽くし、みぞの水も嘗め尽くしてしまったのです、!(私たちの考えたもの以上まで主は焼き尽くされます、わたしたちの想像以上の方です!)、⑥エリヤは、バアルの預言者を殺します(罪の徹底的なきよめです!)イスラエルの民たちは、「ひれふして、主こそ神です、主こそ神です」と答えました。そのリバイバルが来ますように。⑦そこに、雨が降ることが起こります、このとき面白いのは、エリヤに「地にひざまづいて、自分の顔をひざの間にうずめた」という祈りです!そして、海のほう七度みにいく「繰り返すことです、主のリバイバルのために、七度繰り返す、主のサインをみに、面倒がらずに、歩みます。⑧そして、最後はエリヤはアハブ王の場所の前を走ります!これって、超人的なことでないでしょうか!主の恵みをみた人は、主の奇跡を体験した人は、世の中に向かって「これが、主なる神様のなさることだ!」と叫ばずにいられません!そのような主の証し人になって生きます。
 

「いつまでよろめいているのか」(1KINGS18;16-29)


「いつまでよろめいているのか」(1KINGS18;16-29)エリヤはアハブ王の前に約束どおりに、神様の使命どおりに大胆に出ます。アハブ王に「煩わすもの」と言われたときに、エリヤはひるむことなく、はっきりと王に向かって「あなたとあなたの父の家こそそうです」と言います。主の命令がある人は、恐れません。逆に、北イスラエルは「あなたがたはいつまでどっちつかずでよろめいているのか」と言われたときに、何も答えれません、答えません。主なる神は唯一の神様です。他はありません。イスラエルの民は、ある人々は神様も礼拝(それは、礼拝でないですけど)しならも、偶像も共におがみました。主なる神様だけを信頼し、他に偶像を作っていないでしょうか?形のあるものでなくても、他の宗教でなくても、神様以上に頼るものがないでしょうか!今日、主なる神様だけをもう一度、信頼して歩んでいきます。
 

Thursday, May 14, 2015

オバデヤとエリヤを会わせる神様(1kings18;1-5)

オバデヤとエリヤを会わせる神様(1kings18;1-5)神様はエリヤに飢饉の三年目にエリヤに「アハブに会いに行け、私はこの地に雨を降らせよう」と言われます。そして、エリヤが「すぐに躊躇せず」主に従い、アハブ王に会いに行くときに、飢饉のために馬とラバを生かす草をを二手に分かれて探すアハブ王とオバデヤのうち、オバデヤに現れます。オバデヤは、非常に主を恐れていた(18;3)とあります。彼は、イザベルが主の預言者たちを殺したとき、オバデヤは百人の預言者を救い出し、50人ずつ洞穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養った(4節)とあります、彼は主を恐れ、英語では{DEVOUT BELIEVER}とあります。そのようなオバデヤがエリヤに会い、「アハブ王に会いに行く」ことを伝えよ、と言われたときに恐れます。エリヤが他に行かれたら、主の霊があなたを私の知らないところに連れて行くなら(12節)アハブ王に殺される、と言います。恐れるオバデヤに、エリヤは「私が仕えている万軍の主は生きておられます、必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう」と宣言します、主の命令を恐れる人は、人間を恐れません。主の命令に従う人は、「すぐに」従います。オバデヤは、主を恐れる人でした、そして、主の預言者を隠して、養い、命をかけて「主の声」を語る人を守ります。しかし、エリヤがアハブ王に会いに行こうと、彼の前に言った時にアハブ王の反応、行動を予想できました。そのために、恐れたのです。しかし、エリヤをオバデヤに会わせた、主の心があります。主に従ってきた人に、新しい神様の計画が、次のステップがあります。オバデヤはアハブ王には主人「MASTER」と言います、しかし、エリヤと主なる神様に「LORD」と呼びます。今日、私の主をLORDとして呼び、主の計画に躊躇せずに従います、
 

Wednesday, May 13, 2015

つまずきを主の摂理で飛ばせ!(1KINGS17;17-24)

つまずきを主の摂理で飛ばせ!(1KINGS17;17-24)エリヤを保護し、食事、生活をささえたいたやもめの息子が病気で死ぬことになります。そこで、彼女はエリヤに向かって「神の人、あなたはいったい私にどうしようとされるのですか」と言います、十分に理解できる話です、使えているのに、祝福でなくて、痛みが何故来るのか?苦難が来るのか?しかも、息子の死です。少し冷静になるなら、エリヤがやって来たときには「これを食べて死のうとしていたのに」忘れているのです。エリヤを、主を最優先にした時に、奇跡が起こり続けているのです!人間には、「こうあるべき」でるという図式が、外れるときに、「つまずき」が起こります。それを克服するのは、自分以上の知恵者であり、全能の方である、主イエスにより、神様の摂理です、でも、理解できないときはどうするのでしょうか?主は信じる、ということです。分からないときもです、今朝、まさに私にこの言葉が与えられました。そして、エリヤは祈りました。主はエリヤの願いを聞かれたので、とあります。主は死者を生かす方です、絶望、終わったことを生かす、復活させる、全能の方です!今日、自分はこうあるべき、捨てます。主を信じ、ついていきます!(写真は斜めになってしまって、教会の今週の献花です!感謝!)
 

主の言葉は必ずなる!がkey(1kings17;1-16)

主の言葉は必ずなる!がkey(1kings17;1-16)エリヤがアハブ王に向かって、北イスラエルの罪に向かって、ただ一人登場し、①「私の仕えている主は生きておられる、私の言葉によらなければ、ここ2、3年の間は露も雨も降らないであろう」1節、と力強く宣言します。本当に主の言葉を握る人は勇気があり、大胆で、そして「あーじゃないか、こうじゃないか」でなくて、はっきり、こうです!主の言葉を預かった預言者はこう生きます。そして、カラスにやしなってもらいます、②この聖書の言葉は、最初にlaに来たときに黙想しました、まさに、主はパンと肉でからすに私を食べさせてもらいました、ついで、祝福を覚えるのは、「からすのもってきた」パンと肉を黙想したある牧師先生が、「それはきっと、綺麗な、ナイスな肉でなて、black angusなどでなく」と黙想されました。すごく具体的でいい黙想です!でも、私は言います!宣言します、主はblack angusを私に食べさせ、美味しい、甘いパンを食べさせます!食べさせてくださいました(本当にそのときは経済的に苦しいときでした!)。本当に主...はほむべきかな!朝ごと、夕ごとに、主は養ってくださいました、③エリヤに一人のやもめのところにいって養ってもらえるように、主は約束されます。それは、お金持ちのやもめでなくて、死の直前のやもめでした。しかし、そこで言います「まず、私のために小さいパン菓子を作り、~主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」と!主を最優先、なによりも、主だけに頼るようにさせます。16節、主の言葉のとおり、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならなかった」とあります、ハレルヤ!しゅのみなを賛美します、今日のkeyは、主の言葉は必ずなる!です。そこに従順、というのもありますが、主の言葉を必ずなることを信じ、歩むか、です。今日また、チャレンジです、からすに、やもめに、養い、貧しくても神様のことをするelijahのような預言者、主の僕としてください、また祈ります。今日は素晴らしい恵みもありました!感謝、ハレルヤ!
 

Sunday, May 10, 2015

ジムリの7日天下(1kings16;15-20)

ジムリの7日天下(1kings16;15-20)バシャ王朝のさばきの道具としてもいいられたジムリはわずか、7日間でペリシテ人に対して陣営を引いてもどってきた将軍オムリに包囲されて、自ら王宮に火をを放って死にました。今日覚えた黙想は、①7日間の間、ジムリは罪を犯し、ヤロブアムの道に歩み、イスラエルに罪を犯させました、どうして、逆に、主の前に謙遜に歩めなかったのでしょう!祈りを出来なかったのでしょう、逆の結果はある、ないはともかく!、②謀反を起こしたものは、謀反で終わります。③神様の声を聞いてオムリをたてることもなく、神様の心を求める人もいませんし、探す人もいませんでした。④そんな北イスラエルは、王宮も焼かれて、だんだん栄光を落とし続けることになります。⑤主の方法、心でしないものは、罪のルーティンが繰り返され、滅びに一気に行かないだけで、どんどん落ちていきます。STOPするのは、悔い改め、主の愛に帰る事です。今日思った黙想の結論は、自ら作る繁栄は「つかの間」です。しかし、主の下さる「祝福」は永遠です。今日、主の下さる報いを求めていきます、私の現状、難しいときがありますが、主が私の報いであることを告白していき、信じます、主よ、感謝します、賛美します。
 

Saturday, May 9, 2015

懲らしめも主の愛であった!!!(1KINGS16;1-14)

懲らしめも主の愛であった!!!(1KINGS16;1-14)今日は、ヤロブアム王の一族へ神様の裁きを行ったバシャ王が、同じように「ヤロブアムの道に歩み、私の民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りをひきだした」(2節)と主に言われます。そして、「わたしはあなたをちりから引き上げ、私の民イスラエルの君主としたが」と裁きを宣言されます。何のために、バシャは用いられたのでしょう。罪への主の裁きのためです、そして、「わたしの民」であるイスラエルを導くためです。①私は何のために主に用いられたか、どこから用いられたのか?「ちり」であったことを忘れないようにしましょう、②神様が預けてくださるのは、わたしのものでありません、主の民、主のものです、その時に大事に、預けられている、使命感を持って歩むことになります。そして、主のみ言葉はまたしても(裁きのメッセージ)成就します。③神様の言葉は妥協なく、成就されます。罪への恐れを持たないといけません。謀反が起こるのも、それが出来るのも主の赦し、計画無しには起こることは出来ません。ヤロブアム、そしてバシャまでもが、主の前に罪を犯した。罪が繰り返され、そして、そのたびに主の裁きが繰り返されます。しかし、この中でおどろくべきことは、それでも「主の懲らしめ」は未だに愛である、ということです。完全な滅びでなくて、主は未だに悔い改めのチャンスを与えてくださっているのです。私たちは、人がまずいこと、良くないことをしていても、指摘しない、逆恨みされるのを避けます、逃げます。でも、主は必ずそれをつかれて、懲らしめを下さるときがあります。それは、まだ終わりでなく、神様の回復のチャンスがある、ということです。④そのチャンスを逃さない、素直に謝る、悔い改める私であるように祈ります、また、そのように仕えていきます。
 

Friday, May 8, 2015

どのように用いられるのか?(1KINGS15;25-34)



どのように用いられるのか?(1KINGS15;25-34)ヤロブアムの一族は、バシャの謀反によって、ヤロブアムに属するものは息あるものは一人残さず、根絶やしにされます29節、それは、神様のみ言葉のとおりでした、①神様のことばによる裁きはいい加減、適当がありません。必ずなります。私は「神様の言葉」いいもの、悪いもの、どちらを受けたいでしょうか?どのように用いられたいでしょうか?主を恐れるなら、主の目の前に正しく、怖れて(正しい意味で)生きるしかありません。そして、何よりも主の約束を信じて歩むしかありません、ところが、このために用いられたバシャも、主の目の前に悪を行い、ヤロブアムの道に歩み、34節とあります。これじゃ、意味がありません。②果たして、悪い流れを断ち切っているのでしょうか?それは、主イエスの十字架の愛しかありません。のろいを打ち砕く、主の愛しかありません。その信仰の流れ、継承を、新しい流れを持っているのでしょうか?KINGSは、南ユダ王国の(それでもあった)信仰継承を語り、北イスラエルの王たちが一度も良い王を出すことが泣く、信仰の継承ができなかった、ことを語ります。それでも、歴史は悪い王さえも、主の摂理の中で、人を懲らしめ、悔い改めの道具として、またさばきの道具として用います。私は今の状況を主なる神様の摂理の中で見ているでしょうか?私はどのように用いられて生きているでしょうか?今日、主に用いられる器、主の心と一つなる、主の目に正しいと思われることを祈り、願い求め、私を変えてくださることを祈ります。
 

Thursday, May 7, 2015

What is right in the eyes of the lord?!(1kings15;924)

What is right in the eyes of the lord?!(1kings15;924) 神様の国のリバイバルは、主の一方的な恵みです。一方的な主の建ててくださることから始まります。アビヤムの時にも「ひとつのともしび」を主は与えてくださり、そこからアサ王が建てられました。アサ王の特徴は、「主の目にかなうことを行った」です。それは、ダビデ王の行ったように、生きたように、行動の基準を持ちました。①神殿男娼を神殿からだけでなくて、国からも!追放しました、徹底した神様への悔い改め、行動です。②先祖たちが作った偶像を全部取り除きました、⇔私たちの追い出すべき偶像は何でしょうか?徹底して悔い改め、行動すべきことは何でしょうか?、③自分の母であるアブシャロム(英語ではHIS GRANDMOTHER)の娘マアカを応募の位から追放しました。自分の母、祖母であっても、権威ある地位から、栄誉ある地位から、影響力ある地位から追い出しました、そこには、正義への、神様への愛があったわけです。④聖別したものを主の宮に入れました、礼拝の回復です。⑤主の心と一つになりました。神様のリバイバルは、主の心と一つになることからきます。しかし、アサ王は晩年、足の病気、そしてラマに要塞を築かれることを通して、銀と金を持ってアラムの王ベンハダテに助けを求め、解決します。人間的には知恵があっても、神様に頼る人生でありませんでした。今日、主の心を持って、行動していきます、私の人生、一生涯に困難な中に主の働きがありますように
 

Wednesday, May 6, 2015

何で、ここまでするの!?という神様の愛(1KINGS15;1-8)

何で、ここまでするの!?という神様の愛(1KINGS15;1-8)レハブアム王の息子、アビヤムが3年間、南ユダ王国の王でした。ですが、彼が残したのは「彼は父がかって犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のように、彼の神、主とまったく一つになっていなかった」3節ということです、すべての罪を犯し、犯させ、神の心と一つでなかった、としか3年の統治なのに、記録されていないです。こんなさびしいこともないのでないでしょうか?しかし、もっと、驚きべきことは4節「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主はエルサレムにおいて彼に一つのともしべを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを硬く立てられた」というのです、なぜ、そこまでしないくてはいけないのでしょうか?北イスラエルも大きな罪を犯し、神様の裁きを待っているのに!!!それは、そこまでされるのか?!という神様の深い愛、あわれみです。そして、相手が裏切っているのに、約束守られる、契約を一方的に守られる主の誠実なご性質です。今日の適用です、①神様の基準は、ダビデが基準です。それは、神殿を建てる、繁栄をしたよりも、神...様の前に誠実であるのか?遥かに難しい基準です。②主の前に残されたLAMP(ともしび)を残すこと、祈りのともし火をもってLAMP(LAのために祈ります)していきます。③ダビデのように、何をのこすでしょうか?ソロモンは、神殿を残しても、罪の遺産だけを残し、信仰の遺産をダビデのように残しませんでした。その歩むべき道を残しませんでした。基準を子孫に残す、道を伸すこと非常に重要でないでしょうか?私は残すべきものは、何でしょうか?主の目の前に誠実に、正しいことを残すことでないでしょうか?そのために、「大事業をする」とかより「主の前に信仰を持って生きる」という価値観を持っているでしょうか?!聖書から価値観を作ること、主にある信仰の友の交わりを持ちます。④主のコマンドを守っていきます。何よりも、そこまでされる神様の愛に希望があることを信じます。(今日は、PHIのユダヤ人博物館から)
 
 

Tuesday, May 5, 2015

神様から隠れると思うな!神様は利用されるようなお方でない!(1kings14:1-20)

神様から隠れると思うな!神様は利用されるようなお方でない!(1kings14:1-20)ヤロブアム王は、神の人の裁きを聞いても、悔い改めませんでした。そして、今日のQT箇所である「自分の息子が病気になって」自分の妻に変装させて年老いた自分が王になることを告げた預言者アヒヤを訪問させます。彼から感じるのは、①徹底的に人を利用する姿勢です、神様の預言者を、ひいては神様を(神様は利用される方でなく、侮られる方でありません)、自分の妻でさえも(自分で行かずに、自分の妻に変装させます)それは、真面目に人と接してこなかった姿の結果です。②あれだけ、高いところをたて、勝手に祭司をレビ人以外からたてて、自分のために利用し、偶像礼拝をし、名声、お金、栄誉、権勢を得ようとした人が、人生の大事な危機に頼れる人、本当に神様の声を聞いてくれる人を誰も持たなかったのです。ここから学ぶべき霊的な教訓はなんでしょうか?→私は主に隠し事無く、日毎に素直に話し祈り、歩んでいるでしょうか。→私は真に心を開いて会うべき真実な友を持っているでしょうか。利用や使うでなくて、本当に頼るべき方と親しく歩んでいるでしょうか。ヤロブアムは自分の権勢やイスラエルを治めようとしましたが、それは主に評価されることなく、基準であるダビデの道からはずれて、せっかく主に建てられた祝福、チャンスを感謝もせずに、自分のなくなる子供だけが主の心にかない、それ以外は根絶やしにされ、町で死ぬものは犬が食い、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう、11節。という惨めな結末を持ってきたのです。主は侮られる方でありません。ー主から隠して利用などできません、今日、主の前にひれ伏し、正直に真実な主のしもべ、子供、として歩みます(写真は、イースター前のお花です)

この世のならわしまねていないか?!(1KINGS14;21-31)

この世のならわしまねていないか?!(1KINGS14:21-31)人生で、人にとって、クリスチャンにとって、大事なものの一つが価値観でないでしょうか?また、信仰を持つ、持たないでもっとも違うものが「価値観」からくる「習慣」生き方でないでしょうか?今日のQTでは、レハブアムが「異邦の民のすべての忌み嫌うべきならわしをまねて行った」24節あります。そこには、神殿男娼がいた、とわざわざ記録されています。レハブアムの生涯を短く、まとめると、①自分の傲慢のためにイスラエルを分裂させ、ユダだけ残った。②統治五年目に早くも神殿を奪われる、③偶像礼拝をし、ひどい罪を犯し、主を怒らせた、だけです。何も残るものがありません。それは、最初の彼の母はアモン人であった、と21節と31節に重ねて紹介されます。それは、おそらく違う異邦(神様を信じない、偶像礼拝をする)の文化をもってきた、価値観を持ってきた、ということでしょう。しかも、「良いならわし」でなくて、「すべて」の「忌み嫌うべき」ならわしを持ってきた、というのです。その普通でない、罪の堕落はエジプトに攻められて、主の神殿の踏みにじられ、略奪されて、繁栄をも失ってしまいます。罪の堕落は、繁栄をも失わせます。今朝、思いました。この国のために、町のために、故国のためにとりなしの祈りをしよう、と思いました。レハブアムは奪われた神殿の金の楯の代わりに青銅の楯を使います、でも、そんな形だけは意味がありません、必要がありません。力がありません、本当にすべきことは低く、謙遜になることであったはずなのです。悔い改めるはずだったのです、今朝、この国、町、CHのために、自分のために謙遜に悔い改め、とりなしの祈りをしていきます。(今週の礼拝のお花です!毎週、すごいでしょ!)

Sunday, May 3, 2015

残酷な不従順の代価をみてチャンスをつかめるか?!(1kings13;25-34)

残酷な不従順の代価をみてチャンスをつかめるか?!(1kings13;25-34)ヤロブアム王に、南ユダから来た神様の人は、神様の「そこでは食べるな、飲むな、もと来た道を帰ってはならない」という神様の言葉に不従順しました。そのために、ライオンにかまれて殺されたのですが、そのなきがらは、道端に投げ出されて、人々に通りがかりみました。ここから学べべき霊的な教訓は何でしょうか?①それは、神様のみ言葉は従っても良い、従わなくても良い出なくて、従うことです。従わないとこんな惨めな結果になる、ということです。②しかし、それは強要されるものでなくて、自ら従うものです。③主のみ言葉に従順しないときは、必ずハッキリ、そのことの代価が来ます。これをみて、ヤロブアムはどうしたでしょうか?相変わらず、悔い改めもせずに、①悪い道から立ち返らず、②レビ人でなくて、一般人から、誰でも志願をするものを祭司にしていたのです。これは、③宗教を利用とした大きな罪です、自分のために神様を利用とすると大変なことになります。誰でも宗教の大事なポジションに神様のCALLING無しにするなら、①...自分のために、自分の栄光、権力のために、②自分の利益、③お金のために、④名声のために、することになります。宗教と言う名前の罪は恐ろしいものがあります。自分のために偶像を作り、利用する人は破滅を持ってきます、まして、国の指導者です、大きな悪い影響があります。ですから、神様は14節「ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった」のです。ここから学ぶことは何でしょうか?悔い改めるときに、STOPすべきときにできないと大変なことになる、残酷な代価だけが待っている、ということです。それにしても、神様は憐れみ深い方です。悔い改めのチャンス、み言葉に従うチャンスをヤロブアムに下さったのです。今日、主のみ言葉に従い、日ごとにくい改めをしていきます。また、指導者として主に仕えていきます。(写真は、先週の教会の献花です)
 

Saturday, May 2, 2015

偽者を見分けるためには、ホンモノを見続けろ!(1kings13;11-24)

偽者を見分けるためには、ホンモノを見続けろ!(1kings13;11-24)南ユダからきた「神様の人」が北イスラエルのべテルに住んでいる年寄りの預言者に「13:18 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました」という箇所です、なぜ、年寄りの預言者がだます必要があったのか?というのは、リビングライフの解説に譲るとして(ヤロブアムへの裁きのもならず、北イスラエル全体の高きところを呪ったため、宗教的指導者全体の利害の侵害があったからと言われます)、なぜ、この神様の人はあまりに無防備にこの預言者の言葉を信じたのでしょう?それは、神様に直接聞いた言葉を従い続けなかったからです。また、直接に言われたわけでもない、「天使が来て、」というのなら、神様に直接聞くべきでしょう。また、何でそんな簡単に神様の言葉が変わるのか(変わらないでしょ!)、分別力が必要だったのです。彼は、神様の言葉に従い続けるよりも、人の言葉に動か...されたのです、厳しい裁きのメッセージを語る預言者は厳しく、主の言葉に従い続ける、必要があります、その文、油注ぎもあることを信じます。純粋に神様の言葉に従い通づける、神様をみ続けることを失い、北イスラエルへの捌きを身をもって示すことになりました、主の言葉には、純粋に、主の報いは主ご自身からあることを信じ続けないといけません、他人から出ないし、裁きを受ける北イスラエルからもらってはいけません。ホンモノから報いを受けないといけません。主こそが、我が報いです。偽預言者を見破るためには、ホンモノだけをみ続ける必要があります、そして、神様の言葉を利用して自分の利益を得ようとしているのか?見極めるラインです。ある牧師先生が言っていました。この時代、必要なのは霊的な分別力である、と。今日、主イエスだけを見つめます、み言葉だけを見つめていきます、ホンモノから報いを求めます。主が下さることを信じ、感謝し、賛美します。(写真は、毎週の献花をしてくださった中から)

Friday, May 1, 2015

偶像礼拝するヤロブアムの罪(1kings13;1-10)

偶像礼拝するヤロブアムの罪(1kings13;1-10)ヤロブアム王が、祭壇に香ををたくために立っていたときに、一人の神の人がユダからべテルにつかされました。偶像礼拝をしているヤロブアムは、①人々を偶像礼拝によって、マニュピュレートします(つまり、偶像を利用しているのです)、②罪を人々に犯させます、③自己権力をていじします、④自分勝手に行きます、そこには人に頼っている恐れが陰にあります。しかも、神様の祭壇を利用して、混合して、偶像礼拝をしていたのです、こんなことを指導者、リーダーがしていたら『やばい』ことです。→今朝、まず黙想したのは「上にいる人々のためにとりなすことでした、教会、多くの指導者のために祈ります」次に思ったことは、ヤロブアム王が神様の祭壇を利用していたら、当然の裁きが神様から来たことです(それは、神様の心を痛め、神様の名前を辱めることでした)。神様の権威を恐れないヤロブアムは、この神様のメッセージに怒り、神の人を捕まえようとしました。しかし、4節『すると、彼に向けて伸ばした手はしなび、戻すことができなかった』とあります、リビングライ...フの解説にあるように『手』とは、力を意味します。ヤロブアムの力が失われた、ということです。そこで、ヤロブアムは「あなたの神、主に祈ってください」と頼みます。そして戻ったのを見て「私と一緒に家に来て、食事をして元気をつけてください、あなたに贈り物をしたい」7節、と言います。ここには神様への悔い改めがありません。祈ってもらうときにも『自分の神』でないのです、自らが悔い改めることがなかったのです。しかも、人間的なトラブルを起こしたときにする方法で、いきなり食事、贈り物(賄賂ですよね)をしようとするのです。最後まで残念なのは、ヤロブアムは神様の悔い改めのチャンス、回復、和解を持つことがなく、自分の権力でイスラエルを持とうとした、ということです。裁きのメッセージをもらっているのです。今朝、とりなしの祈りをしていきます、素直に謝る、回復のために歩みます。そして、もう一つ神様の人は『食べてはいけない、飲んではいけない、同じ道を歩んではいけない』と神様から言われました。今日のQT箇所まではしっかり守っています。主の言葉を預かる人は責任と厳しさがないといけません、主の前に厳しさを自分自身へ持って生きます。神様の言葉に従っていきます。
 

Thursday, April 30, 2015

分かっていない二人(1kings12;21-33)

分かっていない二人(1kings)レハブアム王は、ユダからイスラエルを全部を手中に治めようとします。そのために、神の人 シェマヤを遣わされて 12:24 『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。「兄弟、家族があらそってはいけない」と言われます。それにはレハブアム王も聞きしたがって帰って行きます。ところが、問題がヤロブアムです。せっかくイスラエルの王としてたってたのに、ヤロブアムはいつかイスラエルの民が離れていくのでないか、と恐れて偶像を作り、勝手な礼拝の場所、勝手に祭司をレビ人以外から任命し、イスラエルを混乱に落とします、どうして、逆に神様によって王様として建てられた、ことを知らなかったのでしょうか?認めなかったのでしょうか?逆に、主を礼拝し、忠実に使えて、神殿はそのままでも、尊敬できる行為で使えることが出来なかったのでしょうか?二人の分かっていない男...がいます、権力の中に、つかもうとしています。ですから、不安になり、偶像を自分のために作るのです、そして、他の人々を罪へ伝染させていくのです。ヤロブアムもレハブアムもどちらも、分かっていないのは、『立てられるのは神』である、ということです。そのことを知らないときに、自分の力で、権力で、しようとする人は『常に不安』なのです。ヤロブアムは、金の子牛を作るときに『相談』して、とあります、一体、誰と相談したのでしょう?何を相談したのでしょうか?ここに、神様に聞くことや自分に神様の心を伝えた人と出会うことはなかったのでしょうか?自分に頼る人は、偶像を作り、自分勝手に生きるために大義名分を作ります、また、わかっていないレハブアムは自分に問題があることを認めません。他人のせいや、環境のせいにします。今日、主に聞いていく、また自分の中に問題があることから神様に聞いて歩みます。
 

Wednesday, April 29, 2015

神様に聞く人がいないのか?(1Kings12;12-20)

神様に聞く人がいないのか?(1Kings12;12-20)レハブアムは、自分の聞きたかった意見を言ってくれた、若者たちの意見をそのまま宣言し、決断します。すでに、全イスラエルの会衆たちは、ヤロベアムをつれてきている、という危機的な状況、不安定な状況なのに、分別できない、とはなんと言うことでしょうか?!それは、レハブアムが長老に聞いても、若者に聞いても、一番聞くべきまことなる、私に主なる神様に聞かなかったからです。果たして、ソロモンから神様の審判の名話しも聞いていないほど、子女教育にまったく信仰教育がなく、偶像礼拝により堕落しきっていたのでしょうか?レハブアムのことばは、13-14節『12:13 王は荒々しく民に答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、12:14 若者たちの助言どおり、彼らに答えてこう言った。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」
』は、人を支配するだけの、権力や、自分の繁栄だけを得ようとする、この世の悪い支配者、...の姿しか見えません。普通に考えて誰が、このような権威者を望むでしょうか?神様が創造の時にアダムとエバに与えられた愛によって仕える、神様の代理としてのスチュワートシップがかけらも見えません。神様の政治によって立てられる王政だったのです。そのために、ダビデの家からユダの部族以外は、イスラエルは離れていきました。一人のリーダーのために、祝福されて、一つになり、一人のリーダーのために豊かになる共同体が、一人の権力だけを願うリーダーのために、欲望と、分裂に、力の失われた、共同体になるのです。それは、主なる神様の声を聞くのか、自分の声を聞くのか?によって分かれます。今朝思ったことは、①どのような共同体をたえるのか?、②どのようなリーダーになるのか?ということです。愛するときに、得ます。支配しようとするときに離れていき、失います。礼拝するリーダーに、共同体になります。神様の声を聞き、イエスの弟子になります。宣教していく共同体になります。
 
 
 

Tuesday, April 28, 2015

繁栄があっても、主が立てるなら(敵に)勝てない(1KINGS11;26-43)

繁栄があっても、主が立てるなら(敵に)勝てない(1KINGS11;26-43)主はソロモン王に反対する敵を立てられました。それは、ソロモン王の堕落、神様の下さった祝福は『公義』と真心を持って仕える為にあったのに、与えられたのには『目的』があったのに、彼はそれを黄金を集め、馬や戦車を集め、自分の王宮を14年かけてたて、多くの数え切れない700人?!の妃たちと、300人の?!そばめたちを持ち、そこから「彼の心を転じさせた」のです、彼は偶像礼拝に入り、その結果、彼の手からイスラエルは取り上げられて、10部族はヤロベアムに預言者アヒヤを通して、12に外套を引き裂き、10を取らせました。ソロモン王は、ヤロベアムを殺そうとしましたが、エジプトに逃れました(ここで、面白いのは、ソロモン王はエジプトのパロの娘を妃として、大きな待遇をしておきながら、その期待すべき、同盟国、協力してくれるはずのエジプトに彼が逃げた、ということです)神様に背くなら、いかに繁栄していても、自分の敵や攻撃を止めることが出来ません。神様の心と反対に生きても、敵さえ倒せば良い、とソロモン王は...思ったのでしょうか?本当にすべきことは、自分が低くなって、悔い改めること、かたくな心を砕かれて、主の前に出ることでなかったのでしょうか!これが、もっと簡単で、確かで、一番の、唯一の方法でなかったのでないでしょうか?また、この時にもう一つチャンスを与えられた人がいます、それは、ヤロブアムでした。『 11:38 もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行なったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行なうなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。』という約束、主に従うチャンス、その結果来る祝福を得れるはずでした。しかし、それはそうなりませんでした。今日、主に従う、道、おきてと命令を守っていきます。
 

CGNTV 放送が始まりました、主にだけ栄光を!北米から日本へ!世界へただ主イエスの愛を伝えます

http://japan.cgntv.net/newsub.asp?pid=2886&gubun=0302

最初から聞く気があったのか(1KINGS12;1-11)

最初から聞く気があったのか(1KINGS12;1-11)レハブアムは、ソロモンの跡をついで王になるために、イスラエルの全集団に会いに行きました。この時には、イスラエルの全集団はヤロベアムを逃亡先のエジプトから呼び寄せていました。そして、レハブアムに向かって『12:4 「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」と願い、要求しました。このようなときにどうすべきでしょうか?レハブアムは、未だに王権についてもいないのに、安定もしていないなのに、しかもイスラエルの全集団はUNDER THE TABLEではヤロベアムを呼んでいたのです、彼らの要求を聞くのが当たり前でないでしょうか?!それは、よく言う火を見るよりも明らかです。ソロモン王の政治は、繁栄の裏には、無理をし、過酷な労働をイスラエルにさせ、重いくびきを負わせたようです。それは、外国人を奴隷にしても、イスラエルの同国人を奴隷にしない、ということからも離れていたようです。レハ...ブアムは、ソロモン時代の長老たちにアドバイスを聞きました。12:7 彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」という、当たり前の、非常に知恵のあるアドバイスをしてくれました。しかし、レハブアムはこのアドバイスを拒否して、自分たちと同じ世代の若者にアドバイスを求めました。それは、未だに世界を知らずに、自分で何でも出来る、いまままでの世代とは違う、という心、そして繁栄の中、苦労や世間のすっぱい味を知らずに育ってきた人の力強い言葉でした(時に、古い壁やできない、と思ったことを取り除き、固定元年を壊して、新しいものを作ることがあります)。しかし、ここで思うことはレハブアムは自分の聞きたい言葉、自分のしたい言葉を言ってくれる人を探していたのでないか?ということです、その結果は、イスラエルの国を得るどころか、分裂させ(大きな責任です)、南ユダ王国しか残らない(それさえも、憐れみです!)ことになりました、今日、思わされたことは『自分の聴きたいこと』を言ってくれる人を探したり、あまつさえ、自分の聞きたい聖書の言葉を聞こうとしたり(まして、利用なんて大変なことになります!)ということはないか、ということです、客観的に見たらこんな簡単な決断を「自分のしたいとおり」にするなら、大変なことになります。ある人が言いました、どれが、神様の心か探すときに、自分の思いと反対のことをしたら「神様の御心」のことが多いよ、と。ある意味そうだと思います。今日、主の思いを聞くために従順に仕えていきます。

Sunday, April 26, 2015

神様を無視すると大変なことへ向かっていく(1kINGS11;1-13)

神様を無視すると大変なことへ向かっていく(1kINGS11;1-13)ソロモン王は、神様に禁じられた文化を、偶像文化を、カナンの妃、そばめ(神様を知らない、信じない、従わない、)を通して、自分の大事な家庭に、人生、神様の王国に入れてしまいました。『彼らはあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる』と言ったとおりに、していきました。そして、ソロモン王が偶像礼拝そのものをするようになってしまいました。そこで、神様は二度も現れて警告、裁きを宣言されます、これは、大きな変わらない(人間は変質しまくりですが)神様の愛でないでしょうか!?一度でなくて、二度です!それを愛といわなくて、何でしょうか?ソロモンは、これを無視してしまいます。入れたらいけないし、入って行っても行けない、という文化、偶像、価値観を、入れてしまったのです、それは、今日に始まったことでなくて、徐々に、徐々にははいっていった、いれてしまった、結果でした、それは、永遠のダビデ王朝の祝福を壊し、イスラエルの国家がわずかな間に分裂し、やがて滅亡していきます。今日、神様の悔い改めのチャンスを大事にします。また価値観をもっと純粋に持って生きます。
 

Friday, April 24, 2015

恵みでなければ立てない(1KINGS10;14-29)

恵みでなければ立てない(1KINGS10;14-29)ソロモン王が、多くの金を集め(それは天文学的な数字です)、その重さを量り(重さを量る、という表現すごいですね!?)
そして、馬や戦車を増やしてはならない(申命記17;16)の命令にもそむく、多くの戦車、馬を集める行為でした。申命記は、約束の地へ入ってからの神様の民が生きるべきルールが書いてあります。それを王様が早くも破ったのです。ここからだんだん敗北、没落の時間が始まってきます。今ある祝福は、神様の恵みです、どのように使うのか、それは主が私たちに任せてくださったことなのです。何故、ソロモンが王宮に象牙の王座を作り(しかも、他の国にないものを)金だけの器を使うようになったのか?難しいところです。黄金の重み、馬と戦車、そして交易から来る収益が、主の恵みより大きいのでしょうか?恵みでないと立っていけないのです!主の愛、十字架の愛でないと立っていけないのです!それがなくなったら、いかなる黄金も、軍隊も、交易の収益もなくなっていくものです。私たちの永遠の命なくて、歩めないものです。今日、主の恵みで歩んで生きます。
 

Thursday, April 23, 2015

神様のなされることはうわさになる(1KINGS10;1-13)

神様のなされることはうわさになる(1KINGS10;1-13)ソロモン王の知恵と、彼の業績をきいて(それは、『主の名に関連して名声を聞き』でした!)シェバの女王が訪問してきます。ここの驚くべきことは、リビングライフの解説にあるように「貿易」や「領土問題」と関連してやってきたのでなくて、ソロモンの知恵問答をしに自分たちの有力者を率いてやってきたことです。そして、ソロモンは彼女の質問に答えれないことがなく、またソロモンの宮殿、仕える人々の服装(国の力、勢い、豊かさ、質を示します)、そして態度(もっとも重要なポイントです)に、主の神殿でのBURNT OFFERINGに「息も止まるばかりであった」と驚きを示しています。当時、自分の利益のために動くことがあるのは普通であっても、その知恵のために、業績のために訪ねてくるとは、粋な感じがしませんか?①今朝、思いました。何か、物質、量で言ったら勝負できませんが、神様のなさる何か、センス、自分たちだけの教会の特徴、与えられた使命で勝負できないか、と思いました。くしくも、ある人が教会に訪ねてきたときに「ここはどんな」...教会ですか?とたずねられました。自分たちの教会、開拓ですから目だったもの勝ちです!「礼拝を喜び」イエスの弟子になっていく教会として歩みます。②人々の尋ねてくる教会になるように祈ります!ここに主のなさることが何か?ある、他と違う!という(高慢でなくて、競争でもなく)うわさの教会になるように祈ります。主にある各自の個性を持ってたてあげていきます、③シェバの女王は言います、「あなたにつく人はしあわせだ」8節、私は、私たちの教会は、ともにいて幸福でしょうか?神様の知恵を持っているリーダーシップのもとにいる人は幸福です。がんばります!④神様は、自分だけの利益のためにリーダーとするのでなくて、公正と正義をおこなすためにリーダーを立てます、自分の有意義のためだけでありません。神に栄光を返す、仕える人生を歩みます。⑤最後に、暗い影があるのは「ソロモンの王宮が主の神殿」と同じものを使い、シェバの女王の求めるものは何でも与えた、とあります。それは、黄金をたくさんもらったから、ということがありますが、主なる神様からいただいた知恵、主に関連していたことが知らないうちに、どんどん自分の栄光、自分の所有、そのうちに主と肩を並べる繁栄となっていきます。改めて、主イエスを愛し、与えられた目的を、与えられる目的を祈り、黙想し、準備して行きます。主の栄光のために!
 

Wednesday, April 22, 2015

神様のプロジェクトを完遂させよ(1KINGS9;10-18)

神様のプロジェクトを完遂させよ(1KINGS9;10-18)「ソロモンが主の宮と王宮と2つの家を20年かかって建て終えたとき」10節、15節「9:15 ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と、自分の宮殿、ミロと、エルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを建設した。」ソロモン王は、彼の事業、神殿の建築、そして彼の王宮建築、そして二つの家を建てました。また、多くの都市、エルサレムの城壁を立てました。今日、ここから学べる霊的な教訓は何でしょうか?それは、①プロジェクトを完遂するために怠けると来なく、外国の勢力を駆り、人々を動員し、時期を逃さなかったことです。私は果たして、遅々として進まないことを放っておかず、最善を尽くしているでしょうか?恥ずかしい限りです、最善を持って、集中して行います。②もっと、大きいことは、これが神様のプロジェクトであったのか?という大事な基礎的な部分、というよりもはずしたらイチバン決定的な失敗になることです。彼は、神殿を7年かかって建築し、自分の王宮のために14年かかりました。それだけでなくて、自分の2...つの家を建築しました。もちろん、自分の家を建てることは必要なことです、また良いことです!しかし、主の神殿より多くかかる理由があったのでしょうか?普通、宗教的にも難しいことでないでしょうか?③そして、申命記にかかっている金を多く増やすことはいけない(申命記17;17)を破りました。④エジプトの王の娘のパロ、を自分の家に、特別に招き入れました、違う価値観が入った、ということです。偶像礼拝が入ってきた、ということです、そのような母に育てられる子供たちが後継者になっていくのです。⑤ソロモンは、年に三度のFELLOWSHIP OFFERINGとBURNT OFFRINGはささげていました。でも、神様の心と一緒だったのでしょうか?!1KINGSの著書はソロモンのことを肯定的に書いてはいないと思います。ソロモンの繁栄が、主にあってだったのでしょうか?事業を完遂した部分はすごい、と思いますが、彼の時代に、必ずもしないといけない、ことだったのでしょうか?それは、ツロの王ヒラムに報酬を適当にあてがった部分から出てきます。成功でなくて、主の祝福のプロジェクト、主の心と共に生きるミニストリー、プロジェクトをしていきます。
 

Tuesday, April 21, 2015

主が立てるのでないと何も出来ない(1KINGS9;1-9)

主が立てるのでないと何も出来ない(1KINGS9;1-9)ソロモンが、いかに誠心誠意をこめても、主が臨在されないのであれば、神殿もむなしいものです。また、立派な神殿を建てても、神様のおきて、命令を守らないのであれば、意味ないものです。何のための、神殿か分かりません、キリスト教は主教をするつもりも、神様は侮られるものでありません。そして、主なる神様は言われます、「いつも、私の目と心をここにおく」と。聖別された、と。主なるみや、教会は人間は以下に誠心誠意を尽くしても、それだけでできるものでありません、主なる神様が臨在されてこそ!の恵みがあってこそ!です。今朝、私たちの教会を立ててください、と祈りました、臨在してください。そして、もう一つは「まったき心を持って、正しさを持って(FAITHFULLY WITH INTEGRITY OF HEART AND UPRIGHTNESS)わたしのまえに歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めを守るなら」ということです。イチバンの祝福である神様の前に歩むこと、この地上でも神様のルールで生きる天国民としての人生があります。今朝、主の命令を守って歩んでいきます。
 

普段から、主を賛美する人生を生きよう(1kings8;54-66)



普段から、主を賛美する人生を生きよう(1kings8;54-66)ソロモンは、長い国のための、民のために祈りを終えます。それを見ながら思ったことは、普段から①主なる神様への賛美がなければ、②主へ祈って、主の答え、主の御背異質を知っていなければ、その場だけにいっていきなりは出てこない祈りだ、と思います。③ソロモンは、「神様の下さった土地(人生)、よい約束は何一つたがわなかった」と告白します、主なる神様は信頼できるお方です!その方が共にいて、見捨てずに、見放さずに、おられることは祝福です、むしろ、私たちが離れたり、おざなりにしているような、大変なことをしていないでしょうか?主なる神様が共にいることは、人生の祝福の根源であるのです。キリスト教は、形式だけでなくて、「心を一つにする」の信仰です、他に、こんな宗教があるのでしょうか?しかも、自らの人格を持って、進んですることです。キリスト教は、関係の信仰です。私たちの言い分も、主の身そば近くにあることから来ます、今日、普段から主イエスに祈り、賛美し、み言葉を読んでいきます。
 

Sunday, April 19, 2015

人々は、あなたを見て偉大な神様を知る(1KINGS8;41-53)

人々は、あなたを見て偉大な神様を知る(1KINGS8;41-53)ソロモン王は、祈ります、外国人が来て神殿で祈っても、祈りを聞いてください、と願います。それは、神様はイスラエルの神様だけでなくて、全世界の神だからです。主を呼び求めるすべての者のに答える神様です。その祈りと願いを聞き届け、罪を犯したときも立ち返り、悔い改めるなら、ゆるし、回復を与える方です。異邦人たちは(神様を知らない人は)、まさにイスラエル人(クリスチャンの祈り)を聞いて、答えられる神様を知ります。人々は、偉大な神様の名前、GREAT NAME(名前とはアイデンティ、その人そのものです)をよび、MIGHTY HANDSをみ、OUTREACHED ARMSを見ることが出来ます、そして、神様を恐れる人生を歩むようになります。また、イスラエルの民が罪を犯して哀れみの心を持って回復があります(他の宗教、世の中ではありえないことです)。そして、連れて行かれた捕囚の民として敵国の人があわれむ、と言われます。これもまた、ありえない話です!人の心を、敵の心さえも動かす、目には見えない神様の手を体験することになります。それは、あなたが、私が「呼び出されて」「区別されて」神様のものとされたアイデンティ、クリスチャンから来ます。イスラエルは、クリスチャンは、あなたご自身のものであるからです。今日、主のものとして神様の手を体験する一日を歩みます。それを通して、人々が神様を知る、体験する、恐れる、祝福が流されることを祈ります。