8 Finally, brothers and sisters, whatever is true,
whatever is noble, whatever is right, whatever is pure, whatever is lovely,
whatever is admirable—if anything is excellent or praiseworthy—think about such
things. 4:8
最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ人への手紙4章8節 神様は願われる人生は、最高の人生です。でも、私たちは時に大変な人生、状況の中に心配することがあります。不平不満を持つことがあります。でも、その中でも、神様は真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判のいいこと、徳と言われること、賞賛に値すること、を心を留めるように、行いなさい、生きなさい、願われます、この年末、主の願うEXCELLENTな人生を考え、心に留めて、いきます。
イザヤ36;1-12(今日のQT) 南ユダ王国のヒゼキヤ王のときに、アッシリヤ帝国のセナケリブが攻めてきました。ラブ・シャケ(紀元前7世紀ころ、アッシリア王センナケリブに仕えていた高官。センナケリブの使者としてユダ王国の首都エルサレムを訪れた高慢な人物)。エルサレムが滅びる、お前らに力がない、主の御心をしていると神様を利用さえして、嘘をつき脅迫します。 この世が、私たちを攻撃するときがあります。しかし、私たちはいい意味でこの世の脅迫をがん無視する必要があります、この世は私に勝つような能力、力がない、お前に力がない、と絶望させようとします。しかし、そんな時こそ、「それが、どうした!私が弱くても、全能の神様(THE LORD ALMIGHTY)がお前を敵対するのに何のことがあるのか?!」宣言できます。また、この世は、時に内部的な攻撃で、「お前を滅ぼすのは主がさせていることだ」と主なる神様を利用さえします。しかし、それは神様の裁きが下ることです。今日、この世の風、声に揺らされないで、神様に祈り、向かう私たちになりましょう。