Thursday, November 27, 2014

神様が共に住むと~(ヨハネの黙示録21;1-8)

神様が共に住むと涙がなくなる(ヨハネの黙示録21;1-8)神様が新しい天と地を創造されます、アダムが罪を犯したために、汚れたFIRST EARTHはすぎさります。それは、私の罪のため(私たちの)でもあります。神様だけが、全てを新しくすることの出来る方です。そして、神様が全てを新しくされる時に、神様は私たち共に住まわれます。もはや、孤独はありません、その結果は何でしょうか?もはや、涙もなく、悲しみもなく、痛みもなく、死さえありません!ハレルヤ!神様と共に住む時に値なしに命の水をくださいます、神様の民となり、更に神様の子供、相続人なります。その条件は何でしょうか?ただで、無料で、イエス・キリストの十字架を信じることです、神様の言葉を信じるだけです、ある人が行っていました、「信仰って神様が言われたことはそうだ、と信じる、思うこと、そういうこと!」と言っていました。そうだと思います、神様が共にいるなら、今は完全でなくても、主の日に涙が拭い去られて、痛みも、悲しみも、死もない、その日を期待していきます。その喜びを伝えていきます。この収穫感謝、イエスの救いを感謝し、死も涙も、悲しみも消え去る祝福、私の中にイエスが住んでいることを喜んで証し、伝えます、ハレルヤ!

Wednesday, November 26, 2014

命の本に書かれている人らしく生きる(ヨハネの黙示録20;7-15)

命の本に書かれている人らしい人生(ヨハネの黙示録20;7-15)サタンは千年の終わりに解き放たれます、しかし、それは永遠の苦しみにために、裁きのためにです。終わり、!という確認のはんこを押されるも同然ですが、ここでもサタンに組するものは「SAND ON THE SEASHORE」のようです。神様の民のCAMP,CITYを取り囲みますが、天から火が降ってきてあっけなく焼き尽くされて、火と硫黄の池で焼き尽くされます。①永遠に、夜も昼も苦しみ続ける、何てことでしょうか?永遠に神様と共にいる、賛美する、神様の交わり、話する、全然違います。それを信じたら、イエスを信じるしかないのに、伝道するしかない、と思いました。また、命の本に書かれていない人たちは、「その行いに応じて」12-13節、裁かれます。果たして、私は命の本に書かれている者として、正しいく、ふさわしく生きているでしょうか?そのように、聖書を教えて、伝えているでしょうか?今日また、心新たにイエスの弟子になっていきます。イエスの弟子訓練をして、準備していきます。主の命が現れる人生にしてください。
 

Tuesday, November 25, 2014

収穫感謝のときに信仰の先輩から学ぶもの 第一テサロニケ5;18 ジュビリー教会 牧師北野実







すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。<第Ⅰテサロニケ 5:18>
모든 일에 감사하십시오. 이는 그리스도 예수 안에서 여러분을 향하신 하나님의 뜻입니다.
<데살로니가전서 5:18>
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。2. 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
<ヘブル 11:1-3>
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 <ヘブル 12:2>
믿음은 바라는 것들의 실체며 보지 못하는 것들의 증거입니다. 2.참으로 조상들은 이 믿음으로 인정을 받았습니다.
.믿음으로 우리는 온 세상이 하나님의 말씀으로 창조됐고 따라서 보이는 것은 나타난 것으로 말미암아 지어지지 않은 것을 압니다.
<히브리서 11:1-3>
믿음의 창시자요 완성자신 예수를 바라봅시다. 그는 자기 앞에 놓여 있는 기쁨을 위해 부끄러움을 개의치 않으시고 십자가를 참으셨습니다. 그래서 그는 하나님의 보좌 오른편에 앉게 되셨습니다. <히브리서 12:2>

Dーdayに向かって(ヨハネの黙示録20:1ー6節)

Dーdayに向かって(ヨハネの黙示録20:1ー6節)私たちには、最終的に神様の勝利が与えられることがすでに決まっています。①最初にアダムとエバを誘惑したサタンは、古い蛇は(2節)女の子孫として生まれて下さったイエスキリストが十字架で罪を、サタンを踏み砕いて下さったのです。既に罪への勝利は、決まった、のです。後は、信仰持って既に勝利されたイエスの十字架をもらうのみです。②そして、最後にサタンが縛られて、完全な勝利を得るだけです。イエスは神様の言葉、イエスの証のために生き、殉教したもの、獣に属さず、Markされることを拒否された者に、復活と王である祭司とされ、報われます。これがあるのに、もう最終の結果は決まっているのに、なぜ恐れるのでしょう、本当にサタンを縛り、聖徒に報いを与える方に畏れ、期待すべきです。神様の究極の勝利(D-day、例:戦争で上陸作戦をしたりして占領する、勝利する日を言います)が決まっているのに、既にfinalは決まってるのに、わたしたちはどうでしょう。きょう、主のD-dayを信仰を持って宣言しながら、主の復活を期待し、主を畏れ、主と共に王として治める日まで、大胆に歩んでいきます
 

神様の勝利に一進一退はない(ヨハネの黙示録19章11ー21節)

神様の勝利に一進一退はない(ヨハネの黙示録19章11ー21節)今日は、王の王である方、主の主である方がとうとう登場されます。その方は①忠実、真理の方です、きょう、主にならって忠実につかえます。主の真理のうちに立ちます、私のでなく!②血に染まった衣、それは十字架の血潮を意味するそうです、その名は神の言葉、と呼ばれます。王の王が私のために十字架にかかった血を着る、なんということでしょう、主に感謝します。私を無料で買い取ったのでなくて、命でrealに買い取ってくださった方に栄光を捧げます、私も主にあって命をかけていきます。③神の大宴会に集まり、とあります。私たちの教会も主の大宴会に集まる、集める教会になっていきます。そのために何が必要か祈り、求め、格闘します、④最後のハルマゲドンの勝利は、あっけなく終わります、それは私たちのような一進一退の戦いでなくて、King of kings Lord of Lordsが出て来た時には完全な勝利が与えられます。その主イエスを賛美します。その最後の勝利の日まで期待を持っていきます。
 

神様の時を喜び生きるのか(ヨハネの黙示録18:9-24)

神様の時を喜び生きるのか(ヨハネの黙示録18:9-24)神様が大バビロン、罪と堕落の象徴、神様と離反して繁栄し栄るなかで、とうとう裁きが下る瞬間が、今日のQT聖書箇所です。①不品行を来ない、権力を持っていた世の王たちも(10節)、②地上の商人たちも、、もはや彼らの商品を誰も買うことがなくなり(11節)、③人間的な計算だけで、自分の望みであったものも、もはや実を結ぶことがなく、14節、④世の富や、飾りを自分の誇りにしたものも、崩れ去ります、16節。⑤おごりをもうたれます、19節。その時に、20節「神はあなた方のために、この都の裁きに宣告されるからです」果たして、私は主の裁きの日に喜びを持てる人でしょうか?果たして、私は24節の殉教者たちの血に神様が答えて、裁きをされるときまで、信仰持って従い続けている人でしょうか。①不品行や罪によって、関わることで成功を得ることに恐れを持っているでしょうか?本当に神様だけを恐れているのでしょうか?②自分の生活すること、ビジネスだからといって、生活の必要だからと言ってしてはいけない妥協をしていないでしょうか?③神様抜きの望み、計算をしていないでしょうか?罪関わる人は利用し、大変な時は逃げます。④自分の力や富を頼っていないでしょうか?⑤一瞬のうちに罪は消えます、逆に神様のBLESSINGは永遠です。その神様と日ごとに生きているでしょうか。祈り(日常の祈り、早朝の祈り。特別祈祷)、みことばを(学び、あかし、伝道し、BIBLE STUDY)尽くしているのでしょうか。神様に従って純潔に生きているでしょうか。そして、主の日が来る時に喜べるときを生きているのでしょうか。今日、主を喜び歩みます。
 

離れろよ!(ヨハネの黙示録18章1-8節)

離れろよ!(ヨハネの黙示録18章1-8節)とうとうバビロンが田取れる時がくるのが今日のQT箇所です。聖徒にとっては、とうとう待ちに待った日です。逆に、サタンに組する人、バビロンに伴う人には恐れの日です。罪を犯させる女性から神様は、神の民よ、神の人よはなれなさい、と言われます。不品行を犯させる女性は、①罪の一時の繁栄を持ってきます、そこには快楽があります(怖いですね)、②人を利用します、③性的な罪へ誘惑し、落とします、④そして、サタンと交わらせます、⑤仕事や生活、成功から利用し、巻き込みます。神さまはこのような中にいた、人に、何と「我が民よ」離れなさい、と言われます、このように近づいていても、共にいたかもしれないのです!主のあわれみです。罪の中にある不品行に巻き込むこの黙示録の女性は、①自分のプライドの中から、本当の自分を認めません、「I AM NOT A WIDOW、IWILL NEVER MOURN」と言います。②自分に固執します、③素直に認めることが出来ません、聞くことが出来ません。最後には大変な結果があります。DOUBLE PORTIONの、裁きをされる方は力強い神様、全能の方であることを恐れないといけません、今日、まず①罪を避けます、②罪を悔い改め、③そこから、離れていきます。主の祝福か、のろいか、間違った自分勝手な成功、幸福でなくて、主のHOLINESSを求め、受けます。
 

Thursday, November 20, 2014

WISDOM In THE MIDS OF FEAR(ヨハネの黙示録17;9-18節)

WISDOM In THE MIDS OF FEAR(ヨハネの黙示録17;9-18節)サタンの支配、攻撃、恐れの機関があるときがあります。その中で、クリスチャンは、私はどのように生きたら良いと、今日のヨハネの黙示録は語るでしょうか?①知恵の心を持つことです。知恵とは、いろんな起こっていることに正しく判断させ、どう生きるのか、悟らせ、何よりもその事件に、状況に対する神様の計画、心を示します。どう生きるのか教えてくれます。②あくの中でも、お互いに戦わせ、あくの中でさえも、働く主の計画を信じることです、言い直すと、わざわいの中でも働かれる主の計画を信じることです。③そして、それは一時であること(12節)でも、何と私たちは我慢できない、忍耐できない、ことでしょうか。そのな私たちがすべきことは、④WITH HIM、神様と共にいることです、神様に呼ばれたものとして、選ばれた者として、忠実なものとして生きることです。今日、福音を伝える戦いの中でも、主と共にいます。主よ、脅かしをみて、大胆に福音を語らせてください。
 

Wednesday, November 19, 2014

神様の秘儀を知る人は揺れない(ヨハネの黙示録17;1-8)

神様の秘儀を知る人は揺れない(ヨハネの黙示録17;1-8)今日のQT,聖書箇所は、7人の天使の一人が、ヨハネに大淫婦への裁き、その正体を見せます、また大きな権力をもち、富を持ち、淫乱をし、させ、それに酔わせようとしても、神様の裁きがあることを「あらかじめ」見せてくださったのです。世の中の権威、権力(間違った、罪の犯すところへいってしまうとき)、それに従わないとき、NO,という時に来る不利益、それくらいいいいじゃない、という世の中の声にまたNO,という時に来る誘惑、攻撃があります。また、今日の権力、富、そして淫乱は酔わせる、という快楽を持ってきます。それだけでなくて、聖徒たちの殉教の血、イエスの証人たちの殉教の血を流させます。リビングライフの解説では、大淫婦をローマ帝国と解説します。では、現代の私たちの住むアメリカならどうでしょうか?神様の憎まれること(ABOMINABLE THINGS)がこの世に入ってきたり、私を脅かしたり、性的な罪、攻撃がやってくることでないか、と思いました。神様を恐れる人は、罪を犯すことを恐れます、性的な一時的な快楽、またこの世の価値観、神様の憎まれることを拒否します。そのために、どうしたらいいでしょうか?主の裁きが来ることを信じ、まず①礼拝します、悪と反対のことをします、②聖書の価値観を持って、この世の目に見えることだけがすべて出ないことに気がついたクリスチャンとして学びます、毎朝、神様の声を聞きます、聖書通読を通して聖書の価値観を、イエスの喜ばれること、神様の憎まれることを拒否します、③祈ります、主の前に弱い私を守ってください、と主の関係を持ちます、④イエスの弟子の共同体である教会を立て挙げて生きます。命の書に記された人、すべてでないけど、神様が必要だと思うことは教えられた、ヨハネの黙示録を通して示された人としていきます。(写真は何の気になしに選んでます)

Tuesday, November 18, 2014

自分のしたことに報いがある、というのに唯一の例外がある(ヨハネの黙示録16:1ー9節)

自分のしたことに報いがある、というのに唯一の例外がある(ヨハネの黙示録16:1ー9節)今日のヨハネの黙示録のQTは、神様のさばきは正しく、真実だ、というメッセージでした。神様の裁きを恐れてる人は、正しく生きようとします。神様の裁きに信頼している人は安心します、先立ちません、自分でさばこうとしないからイライラしません。何よりも、神様のくださるcomfortの人生を選びます、神様は罪人を救わなくて、滅びして良いのに、憐れみ、愛してくださったのです。世の中は因果応報で自分のしたことに責任を取らないと行けません。しかし、唯一の例外があるとしたら、私の人生の責任、罪の責任を主イエスがおってくださったことです。ありえん恵みです!今日、神様の裁きを信頼するものとして①いい加減にいきない、②bestつくす、3️⃣それでも失敗し、弱いもの、わたしをを憐れんでください、④イエスのニュース、福音を伝えます、5️⃣神様の言われることにleadership 従っていきます
 
 

苦難の中で、拒否って生きるのか?stay awakeなのか?(ヨハネの黙示録16:10-21)

苦難の中で、拒否って生きるのか?stay awakeなのか?(ヨハネの黙示録16:10-21)神様の怒りのbowlが次々と注がれます、そのさばきの中で苦痛にうめき、神様に穢された言葉で逆に逆恨みをする獣、獣の王国、バビロン、人々がでてきます。リビングライフの解説でこんなことが書いてありました。「サタンは知りません、神様が勝利して自分たちが敗北して滅びるのを」と。しかし、サタンなら知っていたのでないか、?と思いました。サタンについてる人は知らなかったかもしれませんが。神様のさばきは神様が待って待って、とうとう注がれたものです。悔い改めを拒否したので注がれた怒りです、しれでも、その裁きに罪の自己防衛システムは逆恨みし、神にいかり、神のせいにし、悔い改めを拒否します、逆に、神様は言われます、目覚めていなさい、服を来て準備をしていなさい、と。今日、難しいこと、苦しいことの中でも、主イエスの勝利が必ずあることを信じ、世の嘘、栄えている人に嫉妬しません、悪い人がうまく行っても、主の権勢を信じます、イエスのゆえに準備された人生をいきます、その価値観を伝えます
 

イエスによって勝った人がそこにいる(ヨハネの黙示録15:1ー8節

イエスによって勝った人がそこにいる(ヨハネの黙示録15:1ー8節)最後の災害がある時に、獣とその像と、その名を示す数字に打ち勝った人々が、神の竪琴を手にして、二節)彼らは、神の僕モーセと小羊の歌を歌っていた。3節、最後の災害にもそこに残って、勝利を得て賛美出来る人がいます。災害にも、迫害にも、そこにいたからです。逃げずにいたからです。それは、神様の関係を持つ人こそ強いのです、単に奇跡やしるしだけついていくのでなく、目撃しただけでなく、奇跡を起こす方自体と、偉大な方イエスと関係の深い人、イエスを主と告白するものこそが強いのです、私は、私たちはその偉大な方が私の主でしょうか?未来を計画を持って自由に出来る方にひれ伏しているでしょうか!今日、災害の中でも、迫害の中でも神様を賛美するその日まで、勝利へ向かって走っていきます
 
 

神様の収穫の時に私はどんな実を結ぶか?(ヨハネの黙示録14:14ー20節)

神様の収穫の時に私はどんな実を結ぶか?(ヨハネの黙示録14:14ー20節)終わりの時に、実が刈り取られられる時が来ます。それは、①イエス中心の人生を生きたか?苦しくても、聖書のみ言葉通りに生きようとしたのか?、聖書のみ言葉通りに生きて迫害されても、主イエスを愛するクリスチャンの収穫の実なのか?それとも、②良い時だけ宗教する人だったのか?良いものもらう時だけクリスチャンである、ヒルのように吸い取るクリスチャンなのか?自己中心で、習慣的な宗教生活をしてきたのか?神様が鋭く天使に刈り取らせます。今日、どれほど自分がまだまだなのか覚えます、主の来られることを準備する、計画する私、ジュビリー教会になっていきます
— 場所: 911 Memorial WTC - New York City, USA
 

NEW SONGを歌う人になっているのか?!(ヨハネの黙示録14;1-13)

NEW SONGを歌う人になっているのか?!(ヨハネの黙示録14;1-13)今日の聖書箇所では、小羊イエス・キリストのしるしのあるものたちと、獣とその像おがみ、偶像礼拝をして、そのMARKを受けたものが対照されています。私は小羊のアイデンテンィを持った、クリスチャンなのでしょうか?神様の黙示を、ビジョンを見ることのできる、神様と親しい人なのでしょうか?贖われた人と歩んでいるのでしょうか?主の前にささげられる人なのでしょうか?汚れのない、イエスの十字架で、清められた人なのでしょうか?嘘のない、傷の無い(ちょっとくらいいいじゃない、でなくて)クリスチャンとして歩んでいるのでしょうか?どれほど、自分の力じゃ無理なのか?思わされます。主イエス・キリストの愛なしには、私をあきらめないイエスの愛なしでは生きていけません。12、神様の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける、聖徒たちの忍耐はここにある。This calls for patient endurance on the part of the people of God who keep his commands and remain faithfull toJesusです。今日、主の新しい歌を歌う人になっていきます、主イエスキリストの愛によって

今朝のQT,聖徒の忍耐と信仰がここにある(ヨハネの黙示録13;1ー10節)

今朝のQT,聖徒の忍耐と信仰がここにある(ヨハネの黙示録13;1ー10節)今朝は、昨日からの熱、風邪?で早朝祈祷会におきれず、いるところからスタートしました。今日は大事なミーティングがあるのに、少し遠いところまで行かないといけないのに、と思いつつ、何とか聖書を開きました。そこで、ヨハネの黙示録の神様を汚す獣の攻撃のところが出てきました、本当に頭がぼっとしていたのですが、「聖徒の忍耐と信仰がここにある」これしかない、これをつかんで一日、スタートするしかない、と思ってスタートしました、今日の出会い、時間、最初から恵みと、神様の準備があることを感じました。リビングライフで、サタンの攻撃は一時的で、制限的なものです、ということがありました。見た目は、強くでても、内面は弱く、不安定である、とありました。今日、本当にそうだと思いました、神様の助けの中で一日の最後まで歩みます、

危険にも私に2つの翼をくださる主、地が水を飲み込むようにされる主(ヨハネの黙示録11章15-19節)

2つの翼をくださる主、地が水を飲み込むようにされる主(ヨハネの黙示録11章15-19節)今日は、サタンを象徴するDRAGONと一人の女が生んだ教会、クリスチャン、イエスのために証をして殉教した、しかし、イエス・キリストの十字架の血潮で勝利した人々、自分の命を愛さずに、イエスの言葉を証した日々とがでてきます、今日は、サタンが天井から落とされる惨敗するところがでてきますが最後の迫害を、攻撃をクリスチャンに、証人にしてきます。その中でも、神様はサタンの攻撃から、翼を与え、逃げることが出来るようにし、サタンの口から吐き出した水を地に守り、飲み干し、守ります、今朝、①私は主の守りを信じているのでしょうか?必ず神様の勝利はくるし、既に誰も告発することが出来ないのに、その勝利を信じて、②イエス・キリストの十字架の血潮で勝利しているでしょうか?③自分の状況に恐れ、不安を抱いていないでしょうか?自分の命を愛さず生きた証人はどこから信仰、力が来るのでしょう?神様を愛することです、また、神様の勝利を得て、信じて歩むことです、神様は一人の女の子孫たちにALL NATIONSを支配させようとしました、それなら、④私は今信仰持って生きる必要があります。主に会って、信仰、+人格備える必要が日ごとにあります、仕えるのにリーダーシップが必要です。神様の勝利、GOALを目指して、イエス・キリストの血潮で保護と勝利します、主よ、助けてください
 
 

神様の国が来ることを信じて生きる!(ヨハネの黙示録11章15-19節)

神様の国が来ることを信じて、生きる!(ヨハネの黙示録11章15-19節)第3のわざわいがくることは、この世の国が、主イエス・キリストのものなる日です!CERTAIN VICTORYの日です。永遠に主が治める日が来ることです。はたして、①その神様に国が来ることを信じて生きているのでしょうか?②神様の国が来る日を期待して、夢見て、伝道しているのでしょうか?伝道して、神様の国を広げているのでしょうか?、③神様の国が来ることを先取りして、感謝して、今日を感謝しているのでしょうか?、④神様の国が来ることを宣言して歩んでいるのでしょうか?、⑤神様の国の事を持って学びをしているのでしょうか?神様の国のルールである聖書を持って読みたい、そこに行きたい、神様の国の価値観を持っているのでしょうか?世の中は嫌いな人を許しません、しかし、神様の国は愛します、許します、また親身になって愛して関わります。今日、神様の国で愛します。⑥キリストにある強い勇士にしてください。神様の国を示す、主に従う人にしてください
 

第二のわざわいは、証しする中である!(ヨハネの黙示録11章1-14節)

第二のわざわいは、証しする中である!(ヨハネの黙示録11章1-14節)ヨハネの黙示録の第二のわざわいは、イエスを証する、しかも力強く証する証人、そして彼らの順境の部分です。これって、驚くべきことでないでしょうか?わざわいなら、最初のわざわいのように災害が来て、と考えがちですが、①主の前にたつオリーブの木、LAMPSTANDSのように、主を示す、明るい、救いの木です。②しかも、モーセやエリヤのように預言し、力を持って証します。③殉教して、イエスのように辱められますが、④復活し、昇天し、人々を驚かせます、⑤わざわいの中で、力強くあかしし、神様を恐れさせ、天の神をあがめさせます、今日、A:知恵と愛をもって喜びを持って証させてください、B:自分の力では証し人になれません、聖霊様によって証させてください、主の計画の時間、私にとってわざわいの中でも、主を証します。
 
 

Monday, November 17, 2014

恋愛、結婚の三つの法則、創世記2章22-25節 ジュビリー教会 北野実



22. 神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。23. 人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
24. それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。25. 人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
<創世記 2:22-25>
22.여호와 하나님께서 아담에게서 취하신 갈비뼈로 여자를 지으시 고 그녀를 아담에게 데려오셨습니다. 23.아담이 이르되 이는 내 뼈 중의 뼈요 살 중의 살이라 이것을 남자에게서 취하였은즉 여자라 부르리라 하니라
24.이러므로 남자가 부모를 떠나 그의 아내와 합하여 둘이 한 몸을 이룰지로다 25.아담과 그의 아내 두 사람이 벌거벗었으나 부끄러워하지 아니하니라
<창세기 2:22-25>

Monday, November 10, 2014

いのち オンギジャンィ 賛美礼拝 ジュビリー教会





いのちは小さいものでも いのちは育って行く
今は分からないとしても 育ち、実を結ぶ
主を知らない友が「君を変えたイエスを信じたい」という時
いのちをくださる方に感謝の歌を歌おう

いのちはどこにいようと いのちは伝わって行く
いのちはただイエス・キリスト 私にそのいのちが
私にそのいのちが 私にそのいのちが

主を知らない友が この私を
「何もないようでも
人を豊かにする」 と言う
いのちを下さるお方に感謝の歌を歌おう
いのちはただイエス・キリスト 私にそのいのちが

ほめたたえよ、オンギジャンィ賛美礼拝 ジュビリー教会トーランス





ほ め た た え よ (다 찬 양 하 여 라)

ほめたたえよ 力強き主を 我が心よ 今しも目覚めて(다 찬양하여라 전능 왕 창조의 주께  내 혼아 주 찬양 평강과 구원의 주님)
竪琴 かきならしつつ 御名をほめまつれ(성도들아  주 앞에 이제 나와  즐겁게 찬양하여라)
ほめたたえよ 王なる み神を ゆだねまつる わが身をはげまし
(다 찬양하여라 놀라운 만유의 주께 포근한 날개 밑 늘 품어 주시는 주님)

みつばさ 伸べたもう主の 御業たぐいなし(성도들아 주님의 뜻 안에서 네 소원 다 이루리라)

ほめたたえよ 光の み神を 生ける者よ その御名たたえよ
(다 찬양하여라 온 몸과 마음을 바쳐 이 세상 만물이 주 앞에 다 나와 찬양 )
恵みを とわに忘れず ともに歌え(성도들아 기쁘게 소리 높여 영원히 찬양하여라 주 찬양하라)
御神を 褒めまつれ(주 찬양하라)

わが御名(내 이 름 으 로) ジュビリー教会 オンギジャンィ賛美礼拝



わが御名を 呼ぶ民よ 悪の道 離れ(내 이름으로 일컫는 내 백성 그 악한 길에서 떠나)
へりくだり 祈り 御顔を求めるならば(스스로 겸비하고 기도하며 내 얼굴을 구하면)
その声に応え 罪をすべて赦し その地を癒そう(내가 하늘에서 듣고 그 모든 죄를 사하리니 그 땅을 고칠지라 )
あなたの祈りにわが耳と わが目を向ける(내 눈을 들어 네 기도소리 내 귀를 열어 들으리니)
そのための宮を選び清めた(이는 내가 이미 전을 택하고 거룩하게 하였나니)
とこしえに わが目と強き心が(내 이름으로 나 영원까지 거하리니 나의 눈과 강한 내 마음이 )
いつもそこにあなたとともに とどまる(항상 여기 너와 함께 있으리로다)

御名の勝利 オンギジャィ賛美礼拝:ジュビリー教会



御 名 の 勝 利
(그 이 름 의 승 리)
主の御前に すべて現される 世の暗闇と光 すべて
ある者は 主を拒み苦しみ ある者は 踊り主を賛美
天の御使いの歌が全地に満ち溢れ すべての者 主の御前に
膝をかがめて伏して 主の御名 賛美する
Oh 麗しい主イエス 御名の勝利

그 이름 앞에 모두 드러나리 세상의 어두움과 빛 드러날 모든 것
그 어떤 이는 주를 부인하며 고통 받고 어떤 이는 춤추며 주를 찬양
하늘의 천군 천사 노래가 온 땅에 가득 넘치고 이 세상 만물들이 주님 앞에
엎드려 두 손 모아 주님께 경배하며 찬양하리
오, 아름다우신 주 예수 그 이름의 승리

誰の心にも オンギジャンィ 南カリフォルニア州 トーランスジュビリー教会 賛美礼拝



사 람 들 맘 엔(誰 の 心 に も)~オンギジャンイCD 3集~
いつも私には イエスがそばにいる 絶望の中ででも そばにいる
その方は昔 エルサレムの街 ロバに乗り現れた 王の王
イエスの御名を売り 暗い世に埋もれた人
やがて時が経てばみな イエスの御前に戻り
イエスの御名ほめよ とこしえにある
救いの喜び とこしえに たたえる
イエスの御名ほめよ とこしえにある
救いの喜び とこしえに たたえる
イエスの御名ほめよ とこしえにある
救いの喜び とこしえに たたえる
とこしえに たたえる

내 곁엔 항상 한 사람 당신도 알고 있나요 절망에 빠져 헤매던 나를 찾아오신 분
그분의 이름 아나요 오래 전 예루살렘 성 나귀를 타고 우리들 앞에 나타나신 분
예수의 이름 팔고서 어두운 세상 속에 묻힌 사람들
모든 세월 다 지나가기 전에 주 앞에 지금 곧 나아가서
예수 이름을 부르세(주의 이름) 모든 삶 영원하리
예수 구원의 기쁨을 영원토록 찬양하리

ああ、麗しきシオンの朝 ジュビリー教会オンギジャンィ賛美礼拝



あぁ うるわしきシオンの朝(시온의 영광이 빛나는 아침)

あぁ うるわしきシオンの朝 光ぞ 照りそめける(시온의 영광이 빛나는 아침 어둡던 이 땅이 밝아오네)
闇に迷う国々も いざ 共に祝えかし(슬픔과 애통이 기쁨이 되니 시온의 영광이 비춰오네)
あぁ 輝けるシオンの朝 楽しき日ぞ 来にける(시온의 영광이 빛나는 아침 매였던 종들이 돌아오네)

イスラエルも ことくにも 今こそは幸を得め(오래 전 선지자 꿈꾸던 복을 온 만민이 다같이 누리겠네 )
荒れし地にも 花は咲き 泉はわきあふれて(보아라 광야에 화초가 피고 말랐던 시냇물 흘러오네)
よもの山に 響きつつ 喜びの声すなり(이 산과 저 산이 마주쳐 울려 우리 주 예수 은총을 찬송하네)
おぉ 海よりも くだよりも 御神を たたえまつれ(땅들아 바다야 많은 섬들아 찬양을 주님께 드리어라)
道の光 輝きて あまねく 世を照らせり(싸움과 죄악에 참혹한 땅에 모든 찬송이 하늘에 사무치네 )

あぁ うるわしきシオンの朝 光ぞ 照りそめける(시온의 영광이 빛나는 아침 어둡던 이 땅이 밝아오네)
闇に迷う国々も いざ 共に祝えかし(슬픔과 애통이 기쁨이 되니 시온의 영광이 비춰오네)
あぁ うるわしきシオンの朝 光ぞ 照りそめける(시온의 영광이 빛나는 아침어둡던 이 땅이 밝아오네)
闇に迷う国々も いざ 共に祝えかし(슬픔과 애통이 기쁨이 되니 시온의 영광이 비춰오네)

わが後ろで、オンギジャンィ賛美礼拝 AT TOTRRANCEジュビリー教会



わ が 後 ろ で(나 의 등 뒤 에 서)
わが後ろで 助けられる主 振り返るたびに ともにおられ(나의 등 뒤에서 나를 도우시는 주 때때로 뒤돌아보면 여전히 계신 주)
やさしいほほえみの中 力を下さる(잔잔한 미소로 바라보시며 나를 재촉 하시네)
起きて 歩け 主の力により 起きて 行きなさい 主にゆだね(일어나 걸어라 내가 새 힘을 주리니 일어나 너 걸어라 내 너를 도우리)

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ(할렐루야 할렐루야 할렐루야 할렐루야)
起きて 歩け 主の力により 起きて 行きなさい 主にゆだね(일어나 걸어라 내가 새 힘을 주리니 일어나 너 걸어라 내 너를 도우리)

Saturday, November 8, 2014

教会は確信を持って世を救う船(ヨハネの黙示録10章1ー11節)

教会は確信を持って世を救う船(ヨハネの黙示録10章1ー11節)もはや、時が伸ばされることがない、6節、神の奥義は、神ご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する、7節、神様の奥義が成就される時、それは裁きであれ、救いであれ、神様から語られたクリスチャンは、教会は、そのことがなされること確信持って歩まないと行けません、また、語ってはいけない、と止められたこと以外、神様の救いを裁きの時が来る前まで語らないと行けません、それは語ったら良い、語らなくても良いの、選択でなくて、神様が語られたら胸が熱くなって、じっとしていられないはずです。しかも、クリスチャンしか、神様のしもべしか、預言者(神様の言葉を預かった人)しか、知らないことがあるはずだからです。使徒ヨハネはパドモス島で苦難の中で、迫害の中で神様から言葉を聞き、幻を見て、伝えること、書くことを止められる神様との特別な関係をお持ちました、これこそ特権です。しかし、それをscroollをもらって食べて甘いだけでなくて、腹に苦い裁きのメッセージを伝えないと行けません。確信を持って!主にある確信があるから、伝えずにいられないのです。裁きが本当にあると知ったら黙ってられますか!教会は、クリスチャンは確信を持って世をを救う船です、今日も明日も、イエスの言葉を態度で、言葉で証し、伝え、伝道します

Friday, November 7, 2014

ヨハネの黙示録をQTして良かった、感謝な気持ち(ヨハネの黙示録9章13-21節)、

ヨハネの黙示録をQTして良かった、感謝な気持ち(ヨハネの黙示録9章13-21節)、ヨハネの黙示録がQTで、負担に感じるのは私だけでしょうか?神様の恵みでがんばってます。今朝、思わされたことはヨハネの黙示録を通して、①神様との秘密を知ったヨハネのように、神様の関係を持っているのか(16節、私はその数を聞いた)、②今、神様の計画の中で生きていること、を知ること、裁きにあわず救われるとは何と感謝なことでしょうか!救われるべき理由なんてないのに、一方的な愛で救われたのです!それだけでなくて、神様の計画を知り、生きれるのです。終末のことを打レアも知らないのに、知らされ、③一番頼る方であるイエス・キリストを知っているのです。④すると祈ります、⑤神様の人を週末の時代に育てたい、と思います。⑥裁きにあわないように、今日の災害である、人類に3分の一が死な時まで待たされている、時の間に、恵みの時、救いの時に伝道します1これ、本当に大事なことです!⑥かたくなにならないで、悔い改めます。これもっと、大事かも!⑦神様に従います、この終末の時代にイエスを伝えます、毎日、悔い改めながらいきます、従います、写真はNYにあるもと世界貿易センターあとのMEMORIAL MUESで
 
 

Thursday, November 6, 2014

ローマ人の手紙7章14節ー25節:北野実牧師 JUBILEE CH(LAカウンティ)


ローマ人の手紙8;9-10節ジュビリー教会:牧師北野実


ローマ人の手紙8章1-2節 PASTOR Minoru Kitanoジュビリー教会(南カリフォルニア州トーランス)


torrance jubileeローマ8章3-8節キリストが私の中でいき生きる


福音を伝える人の足は美しい ローマ人の手紙 北野実牧師


恵みと真理、ヨハネの福音書1章14-18、新年礼拝


創世記1章1節、NEW CREATIONジュビリー教会牧師:北野実


聖霊が準備された創造、創世記1章2節 北野実


創世記1章3-5節あなたの人生に光があれ


奇跡が当たり前になる人生創世記1章6-8節:北野実ジュビリー教会


地と海の創造(創世記1章9-13節)北野実牧師


信仰の星で輝け(創世記1章14-25節)北野実牧師


創造のクライマックス 人間(創世記1章26-31)北野実牧師


勝利の歌を歌う秘訣(ローマ人の手紙8章17-24節)北野実牧師


神様の計画を知ると希望がわく ローマ8章28-30節 キタノミノル


愛はあなたをホンモノにするローマ人の手紙8章38-39節 ジュビリー教会 牧師 北野実


魂のために慟哭したことがあるのか?ローマ9章1-5節 北野実牧師


Even When the times come, you wiil be okay if you believe in jesus. But you dont want to be the only one, do you?(ヨハネの黙示録9章1-12節)

Even When the times come, you wiil be okay if you believe in jesus. But you dont want to be the only one, do you?(ヨハネの黙示録9章1-12節)最初のわざわいが来ます、それは、五ヶ月限定の死ぬことが許されない、しかし人が死を求めるほどのさそりが刺す痛みでした。殺されない、抜け出せない痛み、これもつらいものです、この中で、神様の人々は、守られることが言われます(4節)その中で、11節「DESTROYER」が現れます、しかも、まだ2つの災難がまっています、そのような中で、私は、私たちはどのように生きるべきでしょうか?嵐や苦難、災難のなかで、私は主の民でしょうか?主の民として生きているでしょうか?それは、神様と共に生きることです。災難の中でも、主は神です。私の中に神様はおられます、聖霊様がおられます、神様はいろんな方法で(聖書、夢、マ幻、真実な主のしもべを通して、礼拝で、祈りで、賛美で、)語られます。今日も主の使命を行きます、主と共に!そのような中で、賛美できます、このような私を用いてくださる主なる神様に感謝できます。今日、喜びを持って、終末のときに備えて、主イエスの救いを伝えていきます。
 

神様の答えと祈りの関係(ヨハネの黙示録8:1ー13節)

神様の答えと祈り(ヨハネの黙示録8:1ー13節)神様の前に聖徒の祈りは一つも地に落ちることがありません。今日のQT箇所で、聖徒の祈りが神様の前にささげられた時に、神様の裁きがスタートします。祈りは神様にDeal出来るものではありません。しかし、神様は祈りを聞かれる方です。あきらめずに、絶えず、もっと祈るべきです。100%神様の力、心をなされます、でも、ともに祈る人に神様の働きを、祝福を享受できます。祈り自体が喜び、楽しみです。今日、トーランスのリバイバルののため、教会のリバイバルのため、終末の時代救われる人おこされるため、神様の心の中で、もっと、ともに祈ります(写真はNYのグランドゼロ、旧貿易センターの前の記念碑)
 

今どんな気持ち?礼拝する気持ちです、!VISION!(今日のQT 、ヨハネの黙示録7章9-17)

今どんな気持ち?礼拝する気持ちです、!VISION!(今日のQT 、ヨハネの黙示録7章9-17)全ての民族、言語、国民が「我が救いは、御座にある神と小羊にある」と賛美する場面が今日のQTです、まさに、ビジョンです!究極のビジョンです、全ての人々が神様を礼拝し、自分の冠を投げ出し、権威あるものも無いものも、主の前にひざまずきます。神様から与えられたWHITE ROBEを着て。→①主を礼拝します、また、自分の救いは神様と小羊なるイエス・キリスト以外に無いことを告白します。本当にこのようなものを救ってくださるのはほふられた小羊だけです、あわれみです、神様の一方的な愛です。その方を賛美し、礼拝します。また、神様のWHITE ROBEで私の清められる部分は何か祈り、悔い改めます。愛せなかったことを愛します、→②小羊なるイエス(14節)が私を見て、何といわれるでしょうか?大艱難をとおっても、神様のWHITE ROBEで清められた人だ、自分のアイデンティを紹介してもらえるでしょうか。自分の自慢でなくて、神様に言われる人になるように祈り、歩みます。→③礼拝する人々を育てます、自分が礼拝する人になります、伝道し、仕え、イエスの弟子として養育、奉仕していきます。→④神様の家で使える人のように(15節)、仕える人を教会に仕える、香りのある人になり、育てていきます
 
 

キリストの十字架の道を歩む人生(ヨハネの黙示録6;9ー17

キリストの十字架の道を歩む人生(ヨハネの黙示録6;9ー17)ヨハネの黙示録で、①神様の言葉のために殉教したり、②あかしのために殉教した人々の魂が、神様の祭壇の下で叫びます、いつまで血の復讐をなさらないのですか?神様は白い頃も与えながら、言われます。その数が満ちるまで休んでいなさい、と。主のさば気が来ないのは、恵みです、救われていない人々へ福音を伝える時間をくださっているのです、福音を信じ受けれいる人をくださっているのです、そして、とうとう裁きの日が来る日には誰も、この地上に安全を探すことが出来ません。どれほど怖い日でしょうか。私はその日に向かって、どんな準備、心で歩んでいくのでしょうか?わざわいに向かって恐れを持って歩むのでしょうか?それとも、神様の言葉の証のために日ごとにカルバリの十字架のイエスと共に歩むのでしょうか?今朝、私は黙想しました。私には迫害、という目の前にないように思えるかもしれません、しかし、日ごとの苦難はあります。福音を伝えるための攻撃、妨害、があります。とても、迫害を受けて殉教をした先輩方と比較は出来ません。しかし、小さい苦難の中でも、日ごとに主のために、キリストの十字架を歩んで福音を伝えて歩んでいきます。
 

終末の審判の時に準備すべきもの(ヨハネの黙示録6:1-8)

終末の審判の時に準備すべきもの(ヨハネの黙示録6:1-8)終末の時に、白い馬(征服)…赤い馬(互いに殺しあう、剣).黒い馬(量りを持つ).青ざめた馬(死とハデスが付き従う),が来ます、そのような終末の時にクリスチャンが、私が準備すべきことはなんでしょうか、?①聖くいきること、終末の時に罪を犯すことを恐れること、②愛することです、神様の愛を分かち合う、4️⃣信仰を持って、主への信頼を持って、希望と平安を持つこと、5️⃣神様の言葉を学び、教え、価値観を変えて行くことです、生きて行く方向が分かります、この土曜日備えていきます