Friday, January 4, 2013

クリスマスの祝福

クリスマス
私たちの平和としてこられた主イエス
「いと高きところに栄光が神にあるように、地の上に平和が、御心にかなう人にあるように」
聖書ルカの福音書2:14
第一次世界大戦で、フランス・スコットランド連合軍と、同盟国側のドイツの軍隊の兵士3千人あまりを巻き込んだ戦闘があった。クリスマス・イブのこと、ドイツ側からクリスマス・キャロルを歌う兵士の歌声が流れると、それに応えてスコットランド兵士たちがバグパイプで伴奏をつけた。じきに三力国の兵士が100メートル離れたそれぞれの塹壕から声をそろえて歌った。数時間前には互いに殺し合っていた塹壕で、三ケ国語で共に歌う兵士たちを想像してみてほしい。何という変貌だろうか!
全世界で愛されるキャロルの平和な温かみに誘われるかのように、各国の軍隊は、危険を冒して塹壕から出て非公式の休戦に合意したのだった。このクリスマス休戦が10日にも及んだ所もあった。「敵」である者同士が写真を見せあい、住所や、チョコレート、シャンペーンなど小さなプレゼントを交換しあった。

ところが、クリスマスが終わって再び戦争が始まり、何万、何十万、何千万の人々が死ぬと言う第一次正解対戦が続きました、何故でしょうか?自己主張するからです、人よりも自分がいいものを得たいからです、そのためには、自分の利益のためには、嘘をつき、盗み、奪い、殺すのです。そこには愛もなく、十字架が無いからです、無条件の許し、愛、犠牲が人間にはできません、人間の造る、もしくは与える平和は一時的なものであり、主イエスの下さる平和は永遠のものです。
主イエスはクリスマスに、この世に、誰も行かない、さびしい、寒い、においのする、くさい家畜小屋で生まれました、何のためでしょうか?十字架にかかるために、この世に来られたのです。私たちの罪を背負って十字架にかかって死ぬためにきて下さってのです。
福音と言う日本語があります。それは、戦争の終わったときに鳴らすラッパの音です。
主イエスこそ、私たちと神様の戦いは終わった、十字架によって罪は許された、憎しみは終わって、愛しう関係になるよ、という宣言なのです。その主イエスの平和を私たちの心に受け入れるときに、神様と平和、人の平和、が来ることを信じます。このクリスマスに主イエスの平和が皆さんに心にありますように祈ります