Wednesday, May 27, 2015

6월21일 주일에는 [한국와 일본에 다리가되자! 어버지 하나님와 사람의 다리가 되자!]

6월21일 주일에는 [한국와 일본에 다리가되자! 어버지 하나님와 사람의 다리가 되자!]주제으로 창립기년예배을 드립니다. 처마음을 화보하며 오늘은 주님의 위해 살고 내일의 비전을 받길 원합니다
일시:6월21일 주일 오후2시
장소:19950 場所:19950MARINER AVE#211 TORRANCE CA90503
gesut:사랑의 부합찬단、관악단
기도해주시고 많이 참석해주세요(사진은 2년전에 사잔입니다 2年前の写真です)
 

「韓国と日本の架け橋に、父なる神様と人の架け橋に」6月21日(日)創立記念礼拝

6月21日の日曜日は、「韓国と日本の架け橋に、父なる神様と人の架け橋に」と言うテーマで、創立記念礼拝をささげます。初めての心を回復し、今日を主のために熱心に行き、明日へのビジョンをつかむ日になるように祈ります。
日時:6月21日午後2時から
場所:19950MARINER AVE#211 TORRANCE CA90503
スペシャルゲスト:愛の夫婦合唱団、管弦楽団
お祈りください、ご参加ください
 

Monday, May 18, 2015

炎と雨でも応え、静かに語っても下さる神(1kings19;11-21)

炎と雨でも応え、静かに語っても下さる神(1kings19;11-21)エリヤが神の山ホレブで、主が通り過ぎるの知りますが、エリヤは火の中にも、風の中にも、地震の後にも、おられず、かすかな細い声を聞きます。主は、カルメル山で炎を持ってこたえ、偶像を打ち壊し、飢饉の中で大雨で応える方ですが、かすかな細い声で、語られる方もであります。しかも、神様はエリヤのために裁くこともなく、疲れ果てた主の働き人に語り、答えを(とんでもない!解決策を)準備して置いてくださる方です。それは、①アラムの王にハザエルを立て、②北イスラエルにはエフーを立て、③エリシャを後継者として立ててくださることです。今朝、主の声に道があること、解決があることを信じ、主の山にホレブに祈りに行きます(今週の献花です、素敵でしょ!でも、献花をしてくださる方が肩の手術をされます、ささげる美しい花のような心を主が受け取ってくださり、癒し、守られますように祈りください)
 

Sunday, May 17, 2015

疲れて、もう駄目!と思うときに神の山ホレブにいけ「疲れたら礼拝にいこう」(1KINGS19;1-10)

疲れて、もう駄目!と思うときに神の山ホレブにいけ「疲れたら礼拝にいこう」(1KINGS19;1-10)エリヤは、バアルの預言者、アシュルの預言者を打った後、イゼベルとアハブ王に命を狙われます、本当なら大勝利をして、アハブ王もイゼベルも悔い改めをして当然なのに、罪の自己防衛システムは、大変なことをうみます。そして、エリヤは逃亡し「主よ、もう十分です。私の命をとってください。私は先祖に勝っていませんから」4節といって、死を願い、疲れ果てて木の下で横になります。私たちもこういうことないでしょうか?エリヤはあれだけ勇敢な人だったのに、大きな主のみわざをした後に、燃え尽き、疲れ果ててしまったのです。そこで、主はふたたび、現れてくださり、「パンと水を与え、」{GET UP AND EAT}と言われ、励まし続けてくださいます。そして、食事を通して少ずつ力づてくださいます。私たちもこんな恵み、励ましが必要でないでしょうか?こんな励ましに力づけられたことがないでしょうか?小さい食事、少しずつ歩ませてくださる愛、本当にそれがあってここまで来たのでないでしょうか!また、主なる神は、神の山ホレブでエリヤにあってくださいます。そして、あなたは「ここで」何をしているのか?!質問してくださいます。主に出会うことが礼拝です。礼拝を通して、主は語ってくださいます、あなたは何をしているのか?ここで?と、語り、自ら正直に答えるように、考えるようにしてくださいます。礼拝は神様の出会いの場所です、そして、主は語り、励まし、力づけ、いくべき道を教えてくださいます、何よりも愛してくださいます。今日、主のもとに駆け込みます、礼拝を通して、まことの平安、休み、力を受けに、主の強くとりでに駆け込みます、礼拝を楽しみに、休みを得てきます。
 

Saturday, May 16, 2015

主こそ神です、と知らせてくださいという祈り(1kINGS18;30-46)

主こそ神です、と知らせてくださいという祈り(1kINGS18;30-46)エリヤは、バアルの預言者450人とアシュラの預言者400人と全面対決を一人でします。当然、偶像は火を下すことが出来ませんでした。そこで、エリヤの番になったときに①主の祭壇を、主の名前で立て直します(主よ、あなたの祈りの祭壇、礼拝の、ささげもの、私自身の心、罪を燃やすもの立て直させてください、朝の祈祷会立て直します、またLAと南カリフォルニアのために祈ります、主の愛で結ばれるように日韓のために祈ります)そして、②12部族の石をならべます(分断があっても、主にあってひとつです、とりなしをするものは、相手がどうであれ、主のために代表してとりなします)、③水で満たし、びちょびちょ、いや水であふれかえるほどに祭壇の回りまで満たしました(自分の力では出来ない、という状況です、でも、神様がしてくださる確信があればこそできることです、主の確信を持って歩ませてください)、④、36節「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であり、わたしがあなたのしもべであり、あなた...のみことばによって私がこれらすべてのことを行った、ということが、きょう、明らかになりますように」と祈ります、この時点までイスラエルの民は、悔い改めもせず、エリヤを認めもせず(逃亡している上に、どれほど孤独だったことでしょう!)、いたのです。雨が降らないのは、自分のためではない、と思っていたのです。主よ、日本に、アメリカに、全世界に神が主であることを示してください、私の隣人に、友人に示してください。⑤その時(38節)に、天から火が降り、全集の生けにえ、たきぎ、石とちり(ちりまで!)焼き尽くし、みぞの水も嘗め尽くしてしまったのです、!(私たちの考えたもの以上まで主は焼き尽くされます、わたしたちの想像以上の方です!)、⑥エリヤは、バアルの預言者を殺します(罪の徹底的なきよめです!)イスラエルの民たちは、「ひれふして、主こそ神です、主こそ神です」と答えました。そのリバイバルが来ますように。⑦そこに、雨が降ることが起こります、このとき面白いのは、エリヤに「地にひざまづいて、自分の顔をひざの間にうずめた」という祈りです!そして、海のほう七度みにいく「繰り返すことです、主のリバイバルのために、七度繰り返す、主のサインをみに、面倒がらずに、歩みます。⑧そして、最後はエリヤはアハブ王の場所の前を走ります!これって、超人的なことでないでしょうか!主の恵みをみた人は、主の奇跡を体験した人は、世の中に向かって「これが、主なる神様のなさることだ!」と叫ばずにいられません!そのような主の証し人になって生きます。
 

「いつまでよろめいているのか」(1KINGS18;16-29)


「いつまでよろめいているのか」(1KINGS18;16-29)エリヤはアハブ王の前に約束どおりに、神様の使命どおりに大胆に出ます。アハブ王に「煩わすもの」と言われたときに、エリヤはひるむことなく、はっきりと王に向かって「あなたとあなたの父の家こそそうです」と言います。主の命令がある人は、恐れません。逆に、北イスラエルは「あなたがたはいつまでどっちつかずでよろめいているのか」と言われたときに、何も答えれません、答えません。主なる神は唯一の神様です。他はありません。イスラエルの民は、ある人々は神様も礼拝(それは、礼拝でないですけど)しならも、偶像も共におがみました。主なる神様だけを信頼し、他に偶像を作っていないでしょうか?形のあるものでなくても、他の宗教でなくても、神様以上に頼るものがないでしょうか!今日、主なる神様だけをもう一度、信頼して歩んでいきます。
 

Thursday, May 14, 2015

オバデヤとエリヤを会わせる神様(1kings18;1-5)

オバデヤとエリヤを会わせる神様(1kings18;1-5)神様はエリヤに飢饉の三年目にエリヤに「アハブに会いに行け、私はこの地に雨を降らせよう」と言われます。そして、エリヤが「すぐに躊躇せず」主に従い、アハブ王に会いに行くときに、飢饉のために馬とラバを生かす草をを二手に分かれて探すアハブ王とオバデヤのうち、オバデヤに現れます。オバデヤは、非常に主を恐れていた(18;3)とあります。彼は、イザベルが主の預言者たちを殺したとき、オバデヤは百人の預言者を救い出し、50人ずつ洞穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養った(4節)とあります、彼は主を恐れ、英語では{DEVOUT BELIEVER}とあります。そのようなオバデヤがエリヤに会い、「アハブ王に会いに行く」ことを伝えよ、と言われたときに恐れます。エリヤが他に行かれたら、主の霊があなたを私の知らないところに連れて行くなら(12節)アハブ王に殺される、と言います。恐れるオバデヤに、エリヤは「私が仕えている万軍の主は生きておられます、必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう」と宣言します、主の命令を恐れる人は、人間を恐れません。主の命令に従う人は、「すぐに」従います。オバデヤは、主を恐れる人でした、そして、主の預言者を隠して、養い、命をかけて「主の声」を語る人を守ります。しかし、エリヤがアハブ王に会いに行こうと、彼の前に言った時にアハブ王の反応、行動を予想できました。そのために、恐れたのです。しかし、エリヤをオバデヤに会わせた、主の心があります。主に従ってきた人に、新しい神様の計画が、次のステップがあります。オバデヤはアハブ王には主人「MASTER」と言います、しかし、エリヤと主なる神様に「LORD」と呼びます。今日、私の主をLORDとして呼び、主の計画に躊躇せずに従います、
 

Wednesday, May 13, 2015

つまずきを主の摂理で飛ばせ!(1KINGS17;17-24)

つまずきを主の摂理で飛ばせ!(1KINGS17;17-24)エリヤを保護し、食事、生活をささえたいたやもめの息子が病気で死ぬことになります。そこで、彼女はエリヤに向かって「神の人、あなたはいったい私にどうしようとされるのですか」と言います、十分に理解できる話です、使えているのに、祝福でなくて、痛みが何故来るのか?苦難が来るのか?しかも、息子の死です。少し冷静になるなら、エリヤがやって来たときには「これを食べて死のうとしていたのに」忘れているのです。エリヤを、主を最優先にした時に、奇跡が起こり続けているのです!人間には、「こうあるべき」でるという図式が、外れるときに、「つまずき」が起こります。それを克服するのは、自分以上の知恵者であり、全能の方である、主イエスにより、神様の摂理です、でも、理解できないときはどうするのでしょうか?主は信じる、ということです。分からないときもです、今朝、まさに私にこの言葉が与えられました。そして、エリヤは祈りました。主はエリヤの願いを聞かれたので、とあります。主は死者を生かす方です、絶望、終わったことを生かす、復活させる、全能の方です!今日、自分はこうあるべき、捨てます。主を信じ、ついていきます!(写真は斜めになってしまって、教会の今週の献花です!感謝!)
 

主の言葉は必ずなる!がkey(1kings17;1-16)

主の言葉は必ずなる!がkey(1kings17;1-16)エリヤがアハブ王に向かって、北イスラエルの罪に向かって、ただ一人登場し、①「私の仕えている主は生きておられる、私の言葉によらなければ、ここ2、3年の間は露も雨も降らないであろう」1節、と力強く宣言します。本当に主の言葉を握る人は勇気があり、大胆で、そして「あーじゃないか、こうじゃないか」でなくて、はっきり、こうです!主の言葉を預かった預言者はこう生きます。そして、カラスにやしなってもらいます、②この聖書の言葉は、最初にlaに来たときに黙想しました、まさに、主はパンと肉でからすに私を食べさせてもらいました、ついで、祝福を覚えるのは、「からすのもってきた」パンと肉を黙想したある牧師先生が、「それはきっと、綺麗な、ナイスな肉でなて、black angusなどでなく」と黙想されました。すごく具体的でいい黙想です!でも、私は言います!宣言します、主はblack angusを私に食べさせ、美味しい、甘いパンを食べさせます!食べさせてくださいました(本当にそのときは経済的に苦しいときでした!)。本当に主...はほむべきかな!朝ごと、夕ごとに、主は養ってくださいました、③エリヤに一人のやもめのところにいって養ってもらえるように、主は約束されます。それは、お金持ちのやもめでなくて、死の直前のやもめでした。しかし、そこで言います「まず、私のために小さいパン菓子を作り、~主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」と!主を最優先、なによりも、主だけに頼るようにさせます。16節、主の言葉のとおり、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならなかった」とあります、ハレルヤ!しゅのみなを賛美します、今日のkeyは、主の言葉は必ずなる!です。そこに従順、というのもありますが、主の言葉を必ずなることを信じ、歩むか、です。今日また、チャレンジです、からすに、やもめに、養い、貧しくても神様のことをするelijahのような預言者、主の僕としてください、また祈ります。今日は素晴らしい恵みもありました!感謝、ハレルヤ!
 

Sunday, May 10, 2015

ジムリの7日天下(1kings16;15-20)

ジムリの7日天下(1kings16;15-20)バシャ王朝のさばきの道具としてもいいられたジムリはわずか、7日間でペリシテ人に対して陣営を引いてもどってきた将軍オムリに包囲されて、自ら王宮に火をを放って死にました。今日覚えた黙想は、①7日間の間、ジムリは罪を犯し、ヤロブアムの道に歩み、イスラエルに罪を犯させました、どうして、逆に、主の前に謙遜に歩めなかったのでしょう!祈りを出来なかったのでしょう、逆の結果はある、ないはともかく!、②謀反を起こしたものは、謀反で終わります。③神様の声を聞いてオムリをたてることもなく、神様の心を求める人もいませんし、探す人もいませんでした。④そんな北イスラエルは、王宮も焼かれて、だんだん栄光を落とし続けることになります。⑤主の方法、心でしないものは、罪のルーティンが繰り返され、滅びに一気に行かないだけで、どんどん落ちていきます。STOPするのは、悔い改め、主の愛に帰る事です。今日思った黙想の結論は、自ら作る繁栄は「つかの間」です。しかし、主の下さる「祝福」は永遠です。今日、主の下さる報いを求めていきます、私の現状、難しいときがありますが、主が私の報いであることを告白していき、信じます、主よ、感謝します、賛美します。
 

Saturday, May 9, 2015

懲らしめも主の愛であった!!!(1KINGS16;1-14)

懲らしめも主の愛であった!!!(1KINGS16;1-14)今日は、ヤロブアム王の一族へ神様の裁きを行ったバシャ王が、同じように「ヤロブアムの道に歩み、私の民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りをひきだした」(2節)と主に言われます。そして、「わたしはあなたをちりから引き上げ、私の民イスラエルの君主としたが」と裁きを宣言されます。何のために、バシャは用いられたのでしょう。罪への主の裁きのためです、そして、「わたしの民」であるイスラエルを導くためです。①私は何のために主に用いられたか、どこから用いられたのか?「ちり」であったことを忘れないようにしましょう、②神様が預けてくださるのは、わたしのものでありません、主の民、主のものです、その時に大事に、預けられている、使命感を持って歩むことになります。そして、主のみ言葉はまたしても(裁きのメッセージ)成就します。③神様の言葉は妥協なく、成就されます。罪への恐れを持たないといけません。謀反が起こるのも、それが出来るのも主の赦し、計画無しには起こることは出来ません。ヤロブアム、そしてバシャまでもが、主の前に罪を犯した。罪が繰り返され、そして、そのたびに主の裁きが繰り返されます。しかし、この中でおどろくべきことは、それでも「主の懲らしめ」は未だに愛である、ということです。完全な滅びでなくて、主は未だに悔い改めのチャンスを与えてくださっているのです。私たちは、人がまずいこと、良くないことをしていても、指摘しない、逆恨みされるのを避けます、逃げます。でも、主は必ずそれをつかれて、懲らしめを下さるときがあります。それは、まだ終わりでなく、神様の回復のチャンスがある、ということです。④そのチャンスを逃さない、素直に謝る、悔い改める私であるように祈ります、また、そのように仕えていきます。
 

Friday, May 8, 2015

どのように用いられるのか?(1KINGS15;25-34)



どのように用いられるのか?(1KINGS15;25-34)ヤロブアムの一族は、バシャの謀反によって、ヤロブアムに属するものは息あるものは一人残さず、根絶やしにされます29節、それは、神様のみ言葉のとおりでした、①神様のことばによる裁きはいい加減、適当がありません。必ずなります。私は「神様の言葉」いいもの、悪いもの、どちらを受けたいでしょうか?どのように用いられたいでしょうか?主を恐れるなら、主の目の前に正しく、怖れて(正しい意味で)生きるしかありません。そして、何よりも主の約束を信じて歩むしかありません、ところが、このために用いられたバシャも、主の目の前に悪を行い、ヤロブアムの道に歩み、34節とあります。これじゃ、意味がありません。②果たして、悪い流れを断ち切っているのでしょうか?それは、主イエスの十字架の愛しかありません。のろいを打ち砕く、主の愛しかありません。その信仰の流れ、継承を、新しい流れを持っているのでしょうか?KINGSは、南ユダ王国の(それでもあった)信仰継承を語り、北イスラエルの王たちが一度も良い王を出すことが泣く、信仰の継承ができなかった、ことを語ります。それでも、歴史は悪い王さえも、主の摂理の中で、人を懲らしめ、悔い改めの道具として、またさばきの道具として用います。私は今の状況を主なる神様の摂理の中で見ているでしょうか?私はどのように用いられて生きているでしょうか?今日、主に用いられる器、主の心と一つなる、主の目に正しいと思われることを祈り、願い求め、私を変えてくださることを祈ります。
 

Thursday, May 7, 2015

What is right in the eyes of the lord?!(1kings15;924)

What is right in the eyes of the lord?!(1kings15;924) 神様の国のリバイバルは、主の一方的な恵みです。一方的な主の建ててくださることから始まります。アビヤムの時にも「ひとつのともしび」を主は与えてくださり、そこからアサ王が建てられました。アサ王の特徴は、「主の目にかなうことを行った」です。それは、ダビデ王の行ったように、生きたように、行動の基準を持ちました。①神殿男娼を神殿からだけでなくて、国からも!追放しました、徹底した神様への悔い改め、行動です。②先祖たちが作った偶像を全部取り除きました、⇔私たちの追い出すべき偶像は何でしょうか?徹底して悔い改め、行動すべきことは何でしょうか?、③自分の母であるアブシャロム(英語ではHIS GRANDMOTHER)の娘マアカを応募の位から追放しました。自分の母、祖母であっても、権威ある地位から、栄誉ある地位から、影響力ある地位から追い出しました、そこには、正義への、神様への愛があったわけです。④聖別したものを主の宮に入れました、礼拝の回復です。⑤主の心と一つになりました。神様のリバイバルは、主の心と一つになることからきます。しかし、アサ王は晩年、足の病気、そしてラマに要塞を築かれることを通して、銀と金を持ってアラムの王ベンハダテに助けを求め、解決します。人間的には知恵があっても、神様に頼る人生でありませんでした。今日、主の心を持って、行動していきます、私の人生、一生涯に困難な中に主の働きがありますように
 

Wednesday, May 6, 2015

何で、ここまでするの!?という神様の愛(1KINGS15;1-8)

何で、ここまでするの!?という神様の愛(1KINGS15;1-8)レハブアム王の息子、アビヤムが3年間、南ユダ王国の王でした。ですが、彼が残したのは「彼は父がかって犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のように、彼の神、主とまったく一つになっていなかった」3節ということです、すべての罪を犯し、犯させ、神の心と一つでなかった、としか3年の統治なのに、記録されていないです。こんなさびしいこともないのでないでしょうか?しかし、もっと、驚きべきことは4節「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主はエルサレムにおいて彼に一つのともしべを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを硬く立てられた」というのです、なぜ、そこまでしないくてはいけないのでしょうか?北イスラエルも大きな罪を犯し、神様の裁きを待っているのに!!!それは、そこまでされるのか?!という神様の深い愛、あわれみです。そして、相手が裏切っているのに、約束守られる、契約を一方的に守られる主の誠実なご性質です。今日の適用です、①神様の基準は、ダビデが基準です。それは、神殿を建てる、繁栄をしたよりも、神...様の前に誠実であるのか?遥かに難しい基準です。②主の前に残されたLAMP(ともしび)を残すこと、祈りのともし火をもってLAMP(LAのために祈ります)していきます。③ダビデのように、何をのこすでしょうか?ソロモンは、神殿を残しても、罪の遺産だけを残し、信仰の遺産をダビデのように残しませんでした。その歩むべき道を残しませんでした。基準を子孫に残す、道を伸すこと非常に重要でないでしょうか?私は残すべきものは、何でしょうか?主の目の前に誠実に、正しいことを残すことでないでしょうか?そのために、「大事業をする」とかより「主の前に信仰を持って生きる」という価値観を持っているでしょうか?!聖書から価値観を作ること、主にある信仰の友の交わりを持ちます。④主のコマンドを守っていきます。何よりも、そこまでされる神様の愛に希望があることを信じます。(今日は、PHIのユダヤ人博物館から)
 
 

Tuesday, May 5, 2015

神様から隠れると思うな!神様は利用されるようなお方でない!(1kings14:1-20)

神様から隠れると思うな!神様は利用されるようなお方でない!(1kings14:1-20)ヤロブアム王は、神の人の裁きを聞いても、悔い改めませんでした。そして、今日のQT箇所である「自分の息子が病気になって」自分の妻に変装させて年老いた自分が王になることを告げた預言者アヒヤを訪問させます。彼から感じるのは、①徹底的に人を利用する姿勢です、神様の預言者を、ひいては神様を(神様は利用される方でなく、侮られる方でありません)、自分の妻でさえも(自分で行かずに、自分の妻に変装させます)それは、真面目に人と接してこなかった姿の結果です。②あれだけ、高いところをたて、勝手に祭司をレビ人以外からたてて、自分のために利用し、偶像礼拝をし、名声、お金、栄誉、権勢を得ようとした人が、人生の大事な危機に頼れる人、本当に神様の声を聞いてくれる人を誰も持たなかったのです。ここから学ぶべき霊的な教訓はなんでしょうか?→私は主に隠し事無く、日毎に素直に話し祈り、歩んでいるでしょうか。→私は真に心を開いて会うべき真実な友を持っているでしょうか。利用や使うでなくて、本当に頼るべき方と親しく歩んでいるでしょうか。ヤロブアムは自分の権勢やイスラエルを治めようとしましたが、それは主に評価されることなく、基準であるダビデの道からはずれて、せっかく主に建てられた祝福、チャンスを感謝もせずに、自分のなくなる子供だけが主の心にかない、それ以外は根絶やしにされ、町で死ぬものは犬が食い、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう、11節。という惨めな結末を持ってきたのです。主は侮られる方でありません。ー主から隠して利用などできません、今日、主の前にひれ伏し、正直に真実な主のしもべ、子供、として歩みます(写真は、イースター前のお花です)

この世のならわしまねていないか?!(1KINGS14;21-31)

この世のならわしまねていないか?!(1KINGS14:21-31)人生で、人にとって、クリスチャンにとって、大事なものの一つが価値観でないでしょうか?また、信仰を持つ、持たないでもっとも違うものが「価値観」からくる「習慣」生き方でないでしょうか?今日のQTでは、レハブアムが「異邦の民のすべての忌み嫌うべきならわしをまねて行った」24節あります。そこには、神殿男娼がいた、とわざわざ記録されています。レハブアムの生涯を短く、まとめると、①自分の傲慢のためにイスラエルを分裂させ、ユダだけ残った。②統治五年目に早くも神殿を奪われる、③偶像礼拝をし、ひどい罪を犯し、主を怒らせた、だけです。何も残るものがありません。それは、最初の彼の母はアモン人であった、と21節と31節に重ねて紹介されます。それは、おそらく違う異邦(神様を信じない、偶像礼拝をする)の文化をもってきた、価値観を持ってきた、ということでしょう。しかも、「良いならわし」でなくて、「すべて」の「忌み嫌うべき」ならわしを持ってきた、というのです。その普通でない、罪の堕落はエジプトに攻められて、主の神殿の踏みにじられ、略奪されて、繁栄をも失ってしまいます。罪の堕落は、繁栄をも失わせます。今朝、思いました。この国のために、町のために、故国のためにとりなしの祈りをしよう、と思いました。レハブアムは奪われた神殿の金の楯の代わりに青銅の楯を使います、でも、そんな形だけは意味がありません、必要がありません。力がありません、本当にすべきことは低く、謙遜になることであったはずなのです。悔い改めるはずだったのです、今朝、この国、町、CHのために、自分のために謙遜に悔い改め、とりなしの祈りをしていきます。(今週の礼拝のお花です!毎週、すごいでしょ!)

Sunday, May 3, 2015

残酷な不従順の代価をみてチャンスをつかめるか?!(1kings13;25-34)

残酷な不従順の代価をみてチャンスをつかめるか?!(1kings13;25-34)ヤロブアム王に、南ユダから来た神様の人は、神様の「そこでは食べるな、飲むな、もと来た道を帰ってはならない」という神様の言葉に不従順しました。そのために、ライオンにかまれて殺されたのですが、そのなきがらは、道端に投げ出されて、人々に通りがかりみました。ここから学べべき霊的な教訓は何でしょうか?①それは、神様のみ言葉は従っても良い、従わなくても良い出なくて、従うことです。従わないとこんな惨めな結果になる、ということです。②しかし、それは強要されるものでなくて、自ら従うものです。③主のみ言葉に従順しないときは、必ずハッキリ、そのことの代価が来ます。これをみて、ヤロブアムはどうしたでしょうか?相変わらず、悔い改めもせずに、①悪い道から立ち返らず、②レビ人でなくて、一般人から、誰でも志願をするものを祭司にしていたのです。これは、③宗教を利用とした大きな罪です、自分のために神様を利用とすると大変なことになります。誰でも宗教の大事なポジションに神様のCALLING無しにするなら、①...自分のために、自分の栄光、権力のために、②自分の利益、③お金のために、④名声のために、することになります。宗教と言う名前の罪は恐ろしいものがあります。自分のために偶像を作り、利用する人は破滅を持ってきます、まして、国の指導者です、大きな悪い影響があります。ですから、神様は14節「ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった」のです。ここから学ぶことは何でしょうか?悔い改めるときに、STOPすべきときにできないと大変なことになる、残酷な代価だけが待っている、ということです。それにしても、神様は憐れみ深い方です。悔い改めのチャンス、み言葉に従うチャンスをヤロブアムに下さったのです。今日、主のみ言葉に従い、日ごとにくい改めをしていきます。また、指導者として主に仕えていきます。(写真は、先週の教会の献花です)
 

Saturday, May 2, 2015

偽者を見分けるためには、ホンモノを見続けろ!(1kings13;11-24)

偽者を見分けるためには、ホンモノを見続けろ!(1kings13;11-24)南ユダからきた「神様の人」が北イスラエルのべテルに住んでいる年寄りの預言者に「13:18 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました」という箇所です、なぜ、年寄りの預言者がだます必要があったのか?というのは、リビングライフの解説に譲るとして(ヤロブアムへの裁きのもならず、北イスラエル全体の高きところを呪ったため、宗教的指導者全体の利害の侵害があったからと言われます)、なぜ、この神様の人はあまりに無防備にこの預言者の言葉を信じたのでしょう?それは、神様に直接聞いた言葉を従い続けなかったからです。また、直接に言われたわけでもない、「天使が来て、」というのなら、神様に直接聞くべきでしょう。また、何でそんな簡単に神様の言葉が変わるのか(変わらないでしょ!)、分別力が必要だったのです。彼は、神様の言葉に従い続けるよりも、人の言葉に動か...されたのです、厳しい裁きのメッセージを語る預言者は厳しく、主の言葉に従い続ける、必要があります、その文、油注ぎもあることを信じます。純粋に神様の言葉に従い通づける、神様をみ続けることを失い、北イスラエルへの捌きを身をもって示すことになりました、主の言葉には、純粋に、主の報いは主ご自身からあることを信じ続けないといけません、他人から出ないし、裁きを受ける北イスラエルからもらってはいけません。ホンモノから報いを受けないといけません。主こそが、我が報いです。偽預言者を見破るためには、ホンモノだけをみ続ける必要があります、そして、神様の言葉を利用して自分の利益を得ようとしているのか?見極めるラインです。ある牧師先生が言っていました。この時代、必要なのは霊的な分別力である、と。今日、主イエスだけを見つめます、み言葉だけを見つめていきます、ホンモノから報いを求めます。主が下さることを信じ、感謝し、賛美します。(写真は、毎週の献花をしてくださった中から)

Friday, May 1, 2015

偶像礼拝するヤロブアムの罪(1kings13;1-10)

偶像礼拝するヤロブアムの罪(1kings13;1-10)ヤロブアム王が、祭壇に香ををたくために立っていたときに、一人の神の人がユダからべテルにつかされました。偶像礼拝をしているヤロブアムは、①人々を偶像礼拝によって、マニュピュレートします(つまり、偶像を利用しているのです)、②罪を人々に犯させます、③自己権力をていじします、④自分勝手に行きます、そこには人に頼っている恐れが陰にあります。しかも、神様の祭壇を利用して、混合して、偶像礼拝をしていたのです、こんなことを指導者、リーダーがしていたら『やばい』ことです。→今朝、まず黙想したのは「上にいる人々のためにとりなすことでした、教会、多くの指導者のために祈ります」次に思ったことは、ヤロブアム王が神様の祭壇を利用していたら、当然の裁きが神様から来たことです(それは、神様の心を痛め、神様の名前を辱めることでした)。神様の権威を恐れないヤロブアムは、この神様のメッセージに怒り、神の人を捕まえようとしました。しかし、4節『すると、彼に向けて伸ばした手はしなび、戻すことができなかった』とあります、リビングライ...フの解説にあるように『手』とは、力を意味します。ヤロブアムの力が失われた、ということです。そこで、ヤロブアムは「あなたの神、主に祈ってください」と頼みます。そして戻ったのを見て「私と一緒に家に来て、食事をして元気をつけてください、あなたに贈り物をしたい」7節、と言います。ここには神様への悔い改めがありません。祈ってもらうときにも『自分の神』でないのです、自らが悔い改めることがなかったのです。しかも、人間的なトラブルを起こしたときにする方法で、いきなり食事、贈り物(賄賂ですよね)をしようとするのです。最後まで残念なのは、ヤロブアムは神様の悔い改めのチャンス、回復、和解を持つことがなく、自分の権力でイスラエルを持とうとした、ということです。裁きのメッセージをもらっているのです。今朝、とりなしの祈りをしていきます、素直に謝る、回復のために歩みます。そして、もう一つ神様の人は『食べてはいけない、飲んではいけない、同じ道を歩んではいけない』と神様から言われました。今日のQT箇所まではしっかり守っています。主の言葉を預かる人は責任と厳しさがないといけません、主の前に厳しさを自分自身へ持って生きます。神様の言葉に従っていきます。