Wednesday, September 18, 2013

周りとの葛藤でも主に従う(士師記8章1-9)

士師記8章1-9、
8:1 そのとき、エフライム人はギデオンに言った。「あなたは、私たちに何ということをしたのですか。ミデヤン人と戦いに行ったとき、私たちに呼びかけなかったとは。」こうして彼らはギデオンを激しく責めた。8:2 ギデオンは彼らに言った。「今、あなたがたのしたことに比べたら、私がいったい何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実のほうが、よかったのではありませんか。8:3 神はあなたがたの手にミデヤン人の首長オレブとゼエブを渡されました。あなたがたに比べたら、私に何ができたのでしょう。」ギデオンがこのことを話すと、そのとき彼らの怒りは和らいだ。
8:4 それからギデオンは、彼に従う三百人の人々とヨルダン川を渡った。彼らは疲れていたが、追撃を続けた。8:5 彼はスコテの人々に言った。「どうか、私について来ている民にパンを下さい。彼らは疲れているが、私はミデヤン人の王ゼバフとツァルムナを追っているのです。」8:6 すると、スコテのつかさたちは言った。「ゼバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのでしょうか。私たちがあなたの軍団にパンを与えなければならないなどとは。」8:7 そこでギデオンは言った。「そういうことなら、主が私の手にゼバフとツァルムナを渡されるとき、私は荒野のいばらやとげで、あなたがたを踏みつけてやる。」8:8 ギデオンはそこからペヌエルに上って行き、同じように彼らに言った。すると、ペヌエルの人々もスコテの人々が答えたように彼に答えた。8:9 それでギデオンはまたペヌエルの人々に言った。「私が無事に帰って来たら、このやぐらをたたきこわしてやる。」
きょうのQT本文は、ギデオンに対して①エフライムの人々が言いがかりと言い訳をして自分たちを勝利から除外した、という箇所②300人で追撃を続けるギデオンたちに、スコテの人々はパンを与えず馬鹿にする、またペヌエルの人々も同じようにした、という内容です。今日の聖書本文で輝く場所は「神に従う三百人」で追撃を続けたことです。エフライムの人々も他の部族の人々も大事な戦いに犠牲をすることはありませんでした。また周りからは避難やバカにされたりしました。このような時にどのようにすればいいのでしょうか。それを今日の聖書箇所は語っています。まずは、それに惑わされて「主に従うこと、大事な使命を果たす」ことをおろそかにしてはいけないことです。また、周りの葛藤を意味なく作らないことです。何と難しいことでしょうか。それでいて、主の働き、実、結果を見せる必要があります。いま私のうちにも大事な神様の使命を果たすのに、まわりのかっとうやいろんなことがあります。しかし、まずに主に従い、使命に向かって行きます。また、葛藤を知恵を持って接します。主よ導いてください。

Tuesday, September 17, 2013

主の剣に力がある(士師記7章19…25節)

士師記7章19…25節、
7:19 ギデオンと、彼といっしょにいた百人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ちこわした。7:20 三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「主の剣、ギデオンの剣だ。」と叫び、7:21 それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。7:22 三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。7:23 イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ、彼らはミデヤン人を追撃した。7:24 ついで、ギデオンはエフライムの山地全域に使者を送って言った。「降りて来て、ミデヤン人を攻めなさい。ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取りなさい。」そこでエフライム人はみな呼び集められ、彼らはベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取った。7:25 また彼らはミデヤン人のふたりの首長オレブとゼエブを捕え、オレブをオレブの岩で、ゼエブをゼエブの酒ぶねで殺し、こうしてミデヤン人を追撃した。彼らはヨルダン川の向こう側にいたギデオンのところに、オレブとゼエブの首を持って行った。

ギデオンと300人の勇姿は主の剣だ、さけびそしてつぼを打ち壊し、たまついをかかげました。それだけで、7年間イスラエルを圧政し、いじめたミデヤンの13万の兵士が崩れ始めたのです。彼らのしたことはこれだけで、彼らの人数は300人だけでした。それ以外にしたことも、それ以上の人数も入りませんでした。それは、いかに主の名前に、神様の名前に力があるのかを示すことでした。私たちは自分の力に、自分の経験に、知恵に頼りがちです。そこに自分の計画、計算をおきます。しかし、今日の事件は主の名前にいかに力があるのか示す事件でした。きょう、主イエスのみなを宣言して、主の戦いを宣言して行きます

Sunday, September 15, 2013

あなたの偶像を叩き壊せ!(士師記6;25-39)

士師記6;25-39
6:25 その夜、主はギデオンに仰せられた。「あなたの父の雄牛、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を取りこわし、そのそばのアシェラ像を切り倒せ。6:26 そのとりでの頂上に、あなたの神、主のために石を積んで祭壇を築け。あの第二の雄牛を取り、切り倒したアシェラ像の木で全焼のいけにえをささげよ。」
6:27 そこで、ギデオンは、自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりにした。彼は父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間それをせず、夜それを行なった。6:28 町の人々が翌朝早く起きて見ると、バアルの祭壇は取りこわされ、そのそばにあったアシェラ像は切り倒され、新しく築かれた祭壇の上には、第二の雄牛がささげられていた。6:29 そこで、彼らは互いに言った。「だれがこういうことをしたのだろう。」それから、彼らは調べて、尋ね回り、「ヨアシュの子ギデオンがこれをしたのだ。」と言った。6:30 ついで、町の人々はヨアシュに言った。「あなたの息子を引張り出して殺しなさい。あれはバアルの祭壇を取りこわし、そばにあったアシェラ像も切り倒したのだ。」6:31 すると、ヨアシュは自分に向かって立っているすべての者に言った。「あなたがたは、バアルのために争っているのか。それとも、彼を救おうとするのか。バアルのために争う者は、朝までに殺されてしまう。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取りこわされたのだから、自分で争えばよいのだ。」6:32 こうして、その日、ギデオンはエルバアルと呼ばれた。自分の祭壇が取りこわされたのだから「バアルは自分で争えばよい。」という意味である。
ギデオンは,主なる神様の命令によって偶像を壊すことにします,それは,何と彼の父の家にある偶像でした.私にとって偶像はなんでしょうか?また,彼は自分の父の家にある偶像を壊します.これは,下手をすると家族関係,父との関係が難しくなる部分でした.しかし,彼は人を恐れて夜に行動しながらも,主の命令に従順し,行動します.私にとって神様以上にて頼っている偶像はなんでしょうか?まちがっているとしりつつも除去していない偶像はなんでしょうか?クリスチャンにとってあってはならない文化を追放することはなんでしょうか?今日,主イエス以上に頼るものを追い出して行きたいと思います.イエスの命令にしたがい,自分の家族にあるものでも,他に頼るものがないことを宣言します

収穫のない人生,恐れのある人生(士師記6;1-10)

士師記6;1-10,
6:1 イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。そこで、主は七年の間、彼らをミデヤン人の手に渡した。6:2 こうして、ミデヤン人の勢力はイスラエルを押えたので、イスラエル人はミデヤン人を避けて、山々にある洞窟や、ほら穴や、要害を自分たちのものにした。6:3 イスラエル人が種を蒔くと、いつでもミデヤン人や、アマレク人や、東の人々が上って来て、イスラエル人を襲った。6:4 そしてイスラエル人に対して陣を敷き、その地の産物を荒らして、ガザに至るまで、イスラエルに羊や牛やろばのためのえささえも残さなかった。6:5 彼らが自分たちの家畜と天幕を持って上って来たからである。彼らはいなごの大群のようにしてやって来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。しかも、彼らは国を荒らすためにはいって来たのであった。6:6 それで、イスラエルはミデヤン人のために非常に弱くなっていった。すると、イスラエル人は主に叫び求めた。6:7 イスラエル人がミデヤン人のために主に叫び求めたとき、6:8 主はイスラエル人にひとりの預言者を遣わした。預言者は彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、あなたがたを奴隷の家から連れ出した。6:9 わたしはあなたがたをエジプト人の手と、すべてあなたがたを圧迫する者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その国をあなたがたに与えた。
6:10 それでわたしはあなたがたに言った。『わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたが住んでいる国のエモリ人の神々を恐れてはならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」
 イスラエルの民は自分のしたいようにきた結果,収穫をしようとしても,ミデヤン人にとられていく,それを守る力のない,弱い人に,恐れのある人生になりました.神様の声を聞かない,自分の好きに生きる人生は楽に見えても,実は恐れのある人生,弱い人生,守る人のいない人生,自分を守って,すべてのものを供給してくださる神様の中にある平安のない人生です,そんなイスラエルに,クリスチャンに,神様は預言者を遣わして警告のメッセ-ジ,そして悔い改めのチャンスをくださいます.感謝なことです,悔い改めのチャンスが差し伸べられているのですから.今日,神様の声を聞いて行く人生を回復して行きます.

神様のコ-リング(士師6;11-24,)

士師6;11-24,
6:11 さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。6:12 主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」6:13 ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか。』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」6:14 すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」6:15 ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」6:16 主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」6:17 すると、ギデオンは言った。「お願いです。私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せてください。6:18 どうか、私が贈り物を持って来て、あなたのところに戻り、御前にそれを供えるまで、ここを離れないでください。」それで、主は、「あなたが戻って来るまで待とう。」と仰せられた。6:19 ギデオンはうちにはいり、一匹のやぎの子を料理し、一エパの粉で種を入れないパンを作り、その肉をかごに入れ、また吸い物をなべに入れ、樫の木の下にいる方のところに持って来て、供えた。6:20 すると、神の使いはギデオンに言った。「肉と種を入れないパンを取って、この岩の上に置き、その吸い物を注げ。」それで彼はそのようにした。6:21 すると主の使いは、その手にしていた杖の先を伸ばして、肉と種を入れないパンに触れた。すると、たちまち火が岩から燃え上がって、肉と種を入れないパンを焼き尽くしてしまった。主の使いは去って見えなくなった。6:22 これで、この方が主の使いであったことがわかった。それで、ギデオンは言った。「ああ、神、主よ。私は面と向かって主の使いを見てしまいました。」6:23 すると、主はギデオンに仰せられた。「安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない。」6:24 そこで、ギデオンはそこに主のために祭壇を築いて、これをアドナイ・シャロムと名づけた。これは今日まで、アビエゼル人のオフラに残っている。
ギデオンを主なる神様が呼ばれます.それは,彼が隠れて 小麦を打っているときでした.隠れている人に,恐れていると時に,主が呼び出されます.それは,人間の状態や能力神様は左右されるかたでありません.まず,コ-リングは①神様があなたともにいる.これがないと何も始まりません.何もできません.②神様のメッセ-ジに,使命を受けます.③神様の使命に信仰を持って反応します.そこで,多くの人々は疑います,恐れます,確認をしたいと思います.神様はそんなギデオンに答えて,奇跡を見せてくださいました.奇跡は神様を示すサインです,そして,言われます.恐るな!と.今日,主のコ-リングに勇気を持って答えてきます.主がともにいます.私たちはそんな神様に,ギデオンのように礼拝を持ってこたえるしかありません.

生活のすべてが賛美の理由です(士師記5;19-31,)

士師記5;19-31,
5:19 王たちはやって来て、戦った。そのとき、カナンの王たちは、メギドの流れのそばのタナクで戦って、銀の分捕り品を得なかった。5:20 天からは、星が下って戦った。その軌道を離れて、シセラと戦った。5:21 キション川は彼らを押し流した。昔からの川、キションの川。私のたましいよ。力強く進め。5:22 そのとき、馬のひづめは地を踏み鳴らし、その荒馬はけりまくる。5:23 主の使いは言った。『メロズをのろえ、その住民を激しくのろえ。彼らは主の手助けに来ず、勇士として主の手助けに来なかったからだ。』5:24 女の中で最も祝福されたのはヤエル、ケニ人ヘベルの妻。天幕に住む女の中で最も祝福されている。5:25 シセラが水を求めると、ヤエルは乳を与え、高価な鉢で凝乳を勧めた。5:26 ヤエルは鉄のくいを手にし、右手に職人の槌をかざし、シセラを打って、その頭に打ち込み、こめかみを砕いて刺し通した。5:27 ヤエルの足もとに彼はひざをつき、倒れて、横たわった。その足もとにひざをつき、倒れた。ひざをついた所で、打ち殺された。5:28 シセラの母は窓越しに、格子窓越しに外を見おろして嘆いた。『なぜ、あれの車の来るのがおそいのか。なぜ、あれの車の歩みが遅れているのか。』5:29 知恵のある姫君たちは彼女に答え、彼女も同じことばをくり返した。5:30 『彼らは分捕り物を見つけ出し、それを分けているのではありませんか。めいめいひとりの勇士にひとりかふたりの娘を。シセラには染めた織物の分捕り物を。染めた織物の分捕り物、色とりどりに刺繍した織物。分捕り物として、首には二枚の刺繍した織物を。』5:31 主よ。あなたの敵はみな滅び、主を愛する者は、力強く日がさし出るようにしてください。」こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。
デボラとバラクは主の勝利のあとで歌います.主がどのよようなことをされたのか?信仰で導いてくださったのか賛美します.信仰の人は,自分の状況や,自分の周りの人々で起こっていることを霊的な目で見ます.信仰を持って,すべての状況で主イエスを賛美します.私はどれほど,自分の生活の中で,自分の状況を導かれる神様を賛美しているでしょうか.主なる神様の主権を認めているでしょうか. 不平や不満が消えて,心配がおさまり,主なる神様からの信頼を持って賛美が起こり,未来のへのビジョンが与えられることを信じます.今日,賛美を持って一日をstartします

信仰の勇士に神様の勝利がくださる(士師記7;1-8)

士師記7;1-8()7:1 それで、エルバアル、すなわちギデオンと、彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた。ミデヤン人の陣営は、彼の北に当たり、モレの山沿いの谷にあった。7:2 そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。
7:3 今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい。』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。7:4 すると、主はギデオンに仰せられた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水のところに下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らをためそう。わたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行かなければならない。』と言うなら、その者は、あなたといっしょに行かなければならない。またわたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行ってはならない。』と言う者はだれも、行ってはならない。」7:5 そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って行った。すると、主はギデオンに仰せられた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。」7:6 そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。7:7 そこで主はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」7:8 そこで彼らは民の糧食と角笛を手に取った。こうして、ギデオンはイスラエル人をみな、それぞれ自分の天幕に送り返し、三百人の者だけを引き止めた。ミデヤン人の陣営は、彼から見て下の谷にあった
ギデオンとイスラエルの3万2千人の民は,主から言われます.\このたみは多すぎるから,自分の力で自分を救ったと言ってはいけない,と言われ,恐れている人が帰されます.それは,3分の2の数二も登りました.そして,神様の最終的な選びがあります.口に手を当てて水を飲む300人と,ひざをついて水を飲む残りの者たちです.わずか,300人しか残されなかったのです.これでは,完全に人間的には勝てない状況まで追い込まれました.今朝,私の祈りと適用は,主よ,謙遜に人させてください.です.この3日間,3BOSTOにある大学の寄宿舎にある学生教会で,賛美の祈りの夕方という集会でみ言葉の奉仕をさせていただきました.私にとって3日間連続の奉仕ははじめてでした.金曜日,土曜日,までメッセージの奉仕を無事にさせていただきました.そして残り,今日の日曜日の礼拝奉仕が主が救われた,主イエスの勝利の中でさせてください,私でなくて,と祈りました.主の栄光だけが表されますように

Monday, September 9, 2013

主が与えるなら信じよ!(士師記4;11-24)

士師記4;11-24、
4:12 一方シセラは、アビノアムの子バラクがタボル山に登った、と知らされたので、
4:13 シセラは鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めた。4:14 そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。4:15 主がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。
4:16 バラクは戦車と陣営をハロシェテ・ハゴイムに追いつめた。こうして、シセラの陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者はひとりもいなかった。4:17 しかし、シセラは徒歩でケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げて来た。ハツォルの王ヤビンとケニ人ヘベルの家とは親しかったからである。4:18 ヤエルはシセラを迎えに出て来て、彼に言った。「お立ち寄りください、ご主人さま。私のところにお立ち寄りください。ご心配には及びません。」シセラが彼女の天幕にはいったので、ヤエルは彼に毛布を掛けた。4:19 シセラはヤエルに言った。「どうか、水を少し飲ませてください。のどが渇いているから。」ヤエルは乳の皮袋をあけて、彼に飲ませ、また彼をおおった。4:20 シセラはまた彼女に言った。「天幕の入口に立っていてください。もしだれかが来て、『ここにだれかいないか。』とあなたに尋ねたら、『いない。』と言ってください。」4:21 だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。
4:22 ちょうどその時、バラクがシセラを追って来たので、ヤエルは彼を迎えに出て、言った。「さあ、あなたの捜している人をお見せしましょう。」彼がヤエルのところに来ると、そこに、シセラは倒れて死んでおり、そのこめかみには鉄のくいが刺さっていた。
4:23 こうして神はその日、イスラエル人の前でカナンの王ヤビンを服従させた。
4:24 それから、イスラエル人の勢力がますますカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを断ち滅ぼした。
 
 
 
今日の聖書箇所で「きょう、主があなたの手にシセラを渡される、主はあなたの前を出て行かれるではありませんか」14節とあるように、バラクとイスラエルにカナンの王様の将軍であるシセラを渡すと約束をくださいます。その主の約束を信じているでしょうか?神様は20年間もイスラエルを支配した戦車を倒し、乱し、すべてを剣に渡します、完全な勝利です。弱く、力のないイスラエルのゼブルン、ナフタリから一万人を選び勝利の栄光を与えます。しかし、将軍シセラを倒す栄光は、一人の女性にありました。神様は小さい、弱く見えるものを用います。神様にとって、力のあるないは重要でありません。重要なのは、神様の声に信仰で応答するかどうかです。今日、正直プレッシャーと恐れのあることがありました。しかし、神様の祝福の中で教会の礼拝がありました。感謝すると同時に、信仰がないな、と思わされました。主が与えるなら弱いものを、何も無いものを用いられる主を信じます。

Sunday, September 8, 2013

主に呼ばれたら行け!(士師記4;1-10)


士師記4;1-10、
4:1 その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。エフデは死んでいた。
4:2 それで、主はハツォルで治めていたカナンの王ヤビンの手に彼らを売り渡した。ヤビンの将軍はシセラで、彼はハロシェテ・ハゴイムに住んでいた。
4:3 彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえ二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。4:4 そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。4:5 彼女はエフライムの山地のラマとベテルとの間にあるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに上って来て、さばきを受けた。4:6 あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。4:7 わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」4:8 バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」4:9 そこでデボラは言った。「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。」こうして、デボラは立ってバラクといっしょにケデシュへ行った。4:10 バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れて上った。デボラも彼といっしょに上った。
日のQTは女性の士師であるデボラを通して神様が「ゼブルン」と「ナフタリ」から一万人を選び、その中からバラクを呼びます。それは、イスラエルを20年間苦しめたカナンの王様ヤビンの将軍であるシセラと鉄の戦車990両を破り、「あなたの手に渡す」と言われた神様の召しをなすためでした。ところが、バラクは女性士師であるデボラが共に行くことを願います。彼には自信がなかったのか、不安であったためでしょうか?信仰の決断、反応がすんなりとできなかったようです。今までメジャーでなかった部族であったろうゼブルンとナフタリ、しかし、神様はこの部族を通して神様のために用いたい、神様の民を救いたい、と呼んでくださいました。私たちはそのような神様の召しに答えているのでしょうか?自分が小さい、自信がない、よりも神様の召し、神様が私を使ってくださる、そこに私は、私たちは焦点を合わせるべきでないでしょうか?今の私は大したことができていない、教会の奉仕が小さい、でなくて、神様の召しに答えて強く歩んでいく私になることを祈ります。アーメン。

Friday, September 6, 2013

神様の救出計画を実行せよ!

士師記3;15,27(12-31)今日は二番目の士師である左利きのエフデと言う人が出てきます。中近東では「左利き」というと、特別な意味か、珍しいか、あまり良くない意味で使われていると聞きます。その彼が主なる神様の前に悪を行ったことから18年間モアブ(ロトの子孫)に支配されたところから救助をします。18年間とは長い期間です。一人の子が音になる期間です。そこで、思ったことは偶像を礼拝するものは、仕える者は、罪を犯すものは逆に罪に知らないうちに支配される、逆に奴隷になる、ということです。エジプトから脱出して奴隷から解放されたのに、この約束の地で奴隷になりました。クリスチャンも神様の救いを受けて、新しい生活に入っても、罪のために逆に奴隷に戻る可能性があります。楽しい、快楽など目の前にあってもそこに誘惑されるなら、知らないうちに奴隷の生活になります。私は自由なクリスチャンでしょうか?その罪の結果の刈り取りは大きなものがあります。また、左利きのエフデですが、モアブの王様に貢物を納めるポジションにいました。間違いなく有力者か、でなくては国への裏切り者であったかもしれません。しかし、分かりませんが、そんな彼に神様の召しが会った時に勇気を持って王を殺し、人々に神様のビジョンを宣言し、人々を集め、実に今度は80年の祝福(神様の祝福ってすごいですね、奴隷は18年だったのに)を一人の神様のリーダーのためにもたられされたのです。今朝の私の黙想、適用は①私の打つべきモアブは、罪は何か?②勇気を持って倒すべき敵は、乗り越えるべきものは何か?③神様のビジョンを宣言して人々を集めることは何か?④リーダーシップもって仕えることは何か?⑤宣言するべきビジョンは何か?です。勇気を持って今日を過ごし、出会う人々に主の恵み、救いを語ります

Thursday, September 5, 2013

主のTRIALのとき

士師記3;4節(QT本文1-11)主なる神様が戦いを知らない世代に、神様の命令に聞き従うかどうか?試み、知るために「残されたカナンの民がいた」とあります。何故でしょうか?そのようなことをされたのでしょうか?本当なら、主に従って戦うなら、主がカナンの民を追い出してくださったはずなのです。しかし、信仰を持って彼らは出ようとしませんでした。そこで、神様のイスラエルへの、クリスチャンへのTEST2とTRIALが始まります。やはり、イスラエルの民はどうかしてはいけないカナンの文化、民と結婚をして、簡単に偶像礼拝、偶像に仕えることが始まります。私たちは、私はどうでしょうか?交わってはいけないラインを妥協していないでしょうか?簡単に入れてはいけない世の中の(悪い意味の)文化を自分の大事なところに入れてしまい、影響を受けて、気がついたら大変なことになった、ということはないでしょうか?この朝、私自身確認したいと思います。また、その中でイスラエルの民たちが叫び求めると「救う救助者、オテニエル」を起こした、とあります。その前にイスラエルの民が罪を犯した時に、「売り渡された」という表現があります、REDEEMERなる神様(贖い主)が売り渡す、という表現に驚きました。それでも、主は叫び求めると救う救助者を起こしてくださいます。私たちをもう一度贖いだしてくださいます。今日、主のTRIALに神様の救いを信じて応えて生きます。

Wednesday, September 4, 2013

言うことを聞かない人の人生

士師2(11ー23)19節、」今日の聖書箇所は、士師記の表題になるような聖書箇所です。これから学ぶ主題をつけたような箇所です。それは、①神様の声を聞かない頑迷な生き方、②ヨシュアが残した追い出すべきカナンの民を追い出さない(自分たちの中の不純物を追い出さない)その結果、彼らから逆に影響を受けて偶像礼拝をし、神様に従わなくなります。性の乱れも起こります。性のみだれは生き方の乱れです。頑迷とはよく言ったものです。頑固で迷っていて、しかも神様が声をかけて、さばきつかさを送って救ってもいうことを聞かないのです。今朝、黙想することがありました。神様の声を聞く謙遜さ、賢さは人はから尊敬される生き方でないか!?と。学生時代の友人たちが思い浮かびました。自分の中で悩み、さまようと人と、たとえ辛くて大変でも神様の声を聞いて生きる学生は、背ずじがぴんとのびて、骨の通った人だったと。それは、一目おかれる存在であったことを思い出しました。今日、主のみ声を聞くクリスチャンになっていきます。主のみ声を聞くクリスチャンを育てて行きます。この南カリフォルニアに尊敬されるクリスチャン、教会を主にあって立てて行きます。私でなくて、主のみがなされることを信じて。

Tuesday, September 3, 2013

主を知るとは?!

士師記2;10「その 同世代の 者もみな, その 先祖のもとに 集められたが, 彼らのあとに, 主を 知らず, また,主がイスラエルのためにされたわざも 知らないほかの世代が起こった.」 (QT聖書本文1-10)ヨシュアとヨシュアと一緒にいた長老たち(7節:主がイスラエルのためになされた大きなみわざをみた)が生きている間は、イスラエルは主に仕えました。しかし、彼らの後、主を知らず、主がなされたみわざを知らない人々が起こった、とあります。主を知らないとはどういうことでしょうか?神様を知らない、ということでしょうか?まったく信じていない、とか聞いてもいないということでしょうか?黙想しました。私は神様を唯一の私の主としない、と言うことでないか?と思いました。それは、人生の主人である神様以外に、快楽や自分の楽しみ、自分の力や他に頼るものを作ることでないか?と思いました。文字通りに神様を知らないわけがありません。聞いたはずですし、ヨシュア記でも、子孫のために信仰の記念碑を作っています。私にとって、主なる神様を知ること、主なる神様がイスラエルのために奇跡をなされたことを見たことがない、とはどういうことでしょうか?それは、人生の主人なる神様をお迎えしていないことです。また、その神様を次世代が人生の中で体験するように教え、伝え、証しすることです。主を知るとは、私の人生の主人であること、その方が私の人生の全てを満たし、奇跡をなされ、大きなみわざを体験することです。主を知る一日を体験していきます。義人は信仰によって生きる。神様の力、十字架によって歩んでいきます。主よ、導いてください。

Monday, September 2, 2013

不純物と同居していないか?

士師1;30(QT聖書箇所22-36節)ヨシュアの死後、イスラエルの民は約束の地をとり
に行きます。しかし、今日の聖書箇所では、ユダ部族以外のイスラエルの部族(エフライム、ゼブルン、ナフタリ、アシュルン)はカナンの民族を征服できず、彼らが住み通したり、彼らを苦役に服させても、カナンの民が残ることが起こります。ダンにいたっては彼らに圧迫されて山地へ追いやれます。何故、彼らは聖絶したり、他部族と協力してカナンの民を追い出せなかったのでしょう。また、追い出さず、聖絶しなかったことの結果は何でしょう?それは、イスラエルの民は受けてはいけない世の中の文化を受けて堕落したり、カナンの宗教の影響を受けて子供をささげたり、性的な堕落へ(アシュルなど、豊穣を意味する偶像の神殿では性的な堕落をもってきました)性の乱れは、生き方の乱れをもってきます。聖地旅行の中で偶像礼拝の危険さ、またそこへ神様の裁きをレクチャーを受けました。また、社会的、国家的にもイスラエルは支配されたり、攻撃され続ける影響を受けるようになります。時間が掛かっても、たとえ、現実的に難しくても、カナンの支配を追い出さないといけなかったのです。罪を不純物を除去しないといけなかったのです。そうでないと最終的に大変なことになるのです。今日、私が受けるべき霊的な教訓は何でしょうか?それは、私の中の不純物を同居しているのものを除去しろ、ということです。日ごとに追い出さないとすぐに影響を受けて、知らないうちに占拠されてしまいます。これくらいいいじゃないか?仕方ないじゃない、という誘惑があります。今日、主の助けをもらって不純物、人への人間な依存、罪を除去していきます。主イエス・キリストの十字架を見上げていきます。

Sunday, September 1, 2013

この地を与えてください

士師1;1ー3(QT聖書箇所1;1ー21)今日から士師記のQTです。イスラエルの民は、指導者ヨシュアの後に残された地がありました。神様の約束された地でありつつも、未だに征服されていない地、私たちがとりにいかないといけない地です。そこで、彼らは最初にどうしたらいいのか?まず、神様に聞きます。非常に大事な点です。私たちは何かをする時に、まず神様に聞いているのでしょうか?そして、神様の答えをもらっているのでしょうか?それとも、神様に聞かないで決めているのでしょうか?次に大事なのは神様の答えをもらったら、 従順しているのか?!ということです。時に神様の答えにできるのか?恐れや心配を持つことがあります。誰でも始めてのことは恐れがあります。それでも、神様を信じて進んでいるのでしょうか。また、ユダはシメオンに向かってパートナーを持って、戦友として戦いに伴うことを願います。今朝の私の祈り、適用はこうです。主よ、このちをtorranceを South Bayを、南カリフォルニアを私に与えてください。イエスの愛を伝えさせてください。そして、神様の戦友をパートナーを与えてください。カレブのようにあの日、主が約束してくださったことをなしてください、今日の礼拝は小さいことですが、神様への祈り、約束、適用がなされる主日でした、主のみなを賛美します。