Saturday, June 28, 2014

喜びでささげる人は、喜びで受け取る。YOU CAN BANK ON IT

6月28日のQT:喜びでささげる人は、喜びで受け取る。YOU CAN BANK ON IT!(マラキ3;7-12)神様は言われます、神様のものから盗むな!と。信仰とは何でしょうか?所有権の移転です。私の時間、お金、健康だったものが、神様の時間、神様のお金、神様のくださった健康、であるから自由になるのです。今日、10分の一献金がでてきますが、私は神様のものである、という告白です。そして、神様の約束は祝福です、しかも、少しぐらい保障してあげるでなくて、溢れるくらいに注ぐ、というのが神様の祝福です、こんな大事な関係、祝福、投資はこれ以上ないのでないでしょうか。単にこの世的な祝福だけでなくて、神様との関係の祝福です。今日、主イエスにある祝福を受けて生きます。喜びを持ってささげるのがクリスチャンです。宗教ならいやいやか仕方なく、します。しかし、今日のリビングライフのように喜びを持ってささげて、喜びで受け取ります。主よ、あなたを愛します。

Friday, June 27, 2014

主を煩わせるな!

6月27日のQT:マラキ2章17節-3章6節:主を煩わせるな!今日のマラキは神様を侮るな!ということです。神様の裁きは必ず来る!「見よ、私は私の使者を遣わす、彼は私の前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。~」1節、「この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする」私たちは、清められること、について負担があるのでないでしょうか。また、もしかして清められることにそこまでしなくても、と思う甘えがないでしょうか。そこまでしなくても、たいしたことないさ、と。しかし、聖書は言います。神様は侮られる方でない!私たちがわがままを言って見過ごされる方でない、ということです。好き勝手をしていたらいけない、ということです。必ず主は来られ、裁かれることを言われます。その日誰が立ちえよう、と言います。本当に主がこられた時、また再び来られる時まで純金のようにされることを願っているでしょうか?これくらいいでいいんじゃない?とか妥協することがないでしょうか。今朝、思わされたことは主を正しく恐れることは全うな道へ、正しい人生へ導かれることだと思いました。主の祝福であることであることを思いました。そうでないから、恐れて、不自由な人生を歩みます。今日、主の中で純金のようにされる祝福を受けたいと思います。

Thursday, June 26, 2014

:一つであることを壊すな!純粋であることを壊すな

6月26日のQT:一つであることを壊すな!純粋であることを壊すな(マラキ2;10-16)一つの父なる神様、私を(私たち)を創造された唯一の神様、私たちを愛して一方的な恵みの契約をくださった神様(契約って50・50ものですよね、しかい、それができないから約束を破った時にこうします、守った時にこうします~とあるのですが、神様と私たちは全く50・50でないので、まさに、一方的な、しかも、神様の愛の、まさに恵みの契約です!)、その神様に神様を信じない異邦の民との結婚、異邦の文化、神様を信じない文化、未信者の文化をもってきたこと、一つであることを壊すことを語られます。もちろん、結婚についても語ってくださっています。すごく分かりやすいたとえで、なおかつ心の痛い部分をぐっと刺すメッセージです。神様から一つでなくすもの、また家族を一つで無くすもの、もう一度、主の前に愛の契約の中に、一つになって生きます。一つを壊すもの、傷、怒り、から癒しを受けて生きます。適当としては、今朝、思わされたのは自分がバランスよく神様から牧されているのか?でないと、①人格、②牧会計画、③バランスよく必要な御言葉を語り、説教し、養育しているのか?④リトリートの必要、を思いました(適用の部分なのでつながりにくく、詠む人にはわかりにくく思われると思いますが)。

Wednesday, June 25, 2014

主の教えと共に生きる人の影響力

6月25日のQT:マラキ2;1-9(主の教えと共に生きる人の影響力)神様は祭司に警告を与えます。命令を与えます。まともに礼拝しないなら、まともに人々を教えないなら、祝福が呪いになる、!(2節)と。心に留めないから、と。神様の言葉は心に留めても善いし、止めなくても良いでありません。とめなければ、祝福が呪いになるのです。何よりも、今日のメッセージは祭司へです、私へです。また、イエス・キリストが来られて万人祭司なのです。本当に主への礼拝が恐れているのか?!確認させられます。悔い改めます。また、今日のQTで心に留まったのは「教え」というKEY WORDでした。良い祭司は、①神への恐れ、②真理の教え、③祭司の唇には不正がなく、④平和と公正のうちに神様と歩み、⑤多くのものを罪から立ち返らせる、ハレルヤ!⑥知識を守る、⑦人々は彼の口から教えを求める、⑧彼が、祭司が万軍の主の御使いだから、です。自分はどうだろう、と思うと落ち込みました。こんな私が教えるのは、本当に神様の恵みしかない、と思います。今朝、神様の教えに従う徹底さ、また教えることに勇気と愛を持って、恵みの中で、仕えさせていただきます。

Tuesday, June 24, 2014

汚れたパンを人にあげれるのか?

6月24日のQT:汚れたパンを人にあげれるのか?(マラキ1;6-14)以前に、マイケルオー先生がメッセージの中で「日本人はすごく礼儀正しくて、ある日プレゼントを上げると次の日に同じ金額くらいの別のプレゼントが来るくらいなのに、創造主なる神様にどうして礼儀がないの?」というようなことを言っていたことを思い出しました。果たして、その話はリアルに聖書に書いていました。「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う」6節「どこに、私への尊敬があるのか?」と言われます。7節「あなたがたは」私の祭壇の上に汚れたパンをささげて、どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか?と言う。」考えたら、人に汚れたパンをあげるなんてありえないことであり、最大の侮辱です。人間関係が壊れて、どれほど後にまで引く、大変な問題を起こすのか分かりません。でも、私たちの礼拝は、どうでしょう?日本の民は、クリスチャン、いや人のことでなくて、私はどうでしょうか?「さあ、今恵みを受けるために神に願ってみよ。~受け入れてくださるだろうか!」ありえない話です。しかし、以前の私はどうだったでしょう?今の仕える私自身のいけにえ、としての生き方はどうでしょう。主よ、悔い改めます。最善、最高のものだけを、最高以上の神様にささげます。

悔い改めのチャンスをもらった時に素直になれ!(

5月22日のQT:悔い改めのチャンスをもらった時に素直になれ!(第二サムエル24;15-25)ダビデは、イスラエルが主からの疫病のためにイスラエルが7万死んだのを見て「罪を犯したのはこの私です。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい、何をしたというのでしょう。どうか、あなたの御手を、渡したと私の一家に下してください」16節と言います。自分の悔い改め、責任をとること、本当に大事なことです。なぜなら、ダビデは自分の権力を守るために、えるために、誇るために、軍人の登録、人口調査をしたからです。神様は悔い改めにチャンスをくださいました。そこで、ダビデは素直に、心のそこから悔い改めて、アラウナのうち場から自分のお金を出して、打ち場と牛を買い取ります。神様へのささげ者を自分が何も出すことなく、ささげるようなことはしませんでした。ささげる心があります。その時に、神様はこの国の祈りに心を動かされました。一人のリーダーの悔い改め、素直な心、何よりも自分のものをささげて、買って(安い費用でなくて)、主イエスの前に出るときに、神様はこの国の祈りに心動かされます。今日、私から悔い改めます。そして、私からささげて生きます。この国の祈り、アメリカの、日本の祈りに、主が心動かされる日が来ますように。

愛されていることが分からない人生はつらい。

5月24日のQT(マラキ1;1-5)愛されていることが分からない人生はつらい。
今日からマラキのQTです、聖書通読でなくて、本当に落ち着いて、深く、マラキを読む、しかも、こんな短い箇所から学ぶのは初めてかもしれません。しかも、1節「宣言」で始まるのが2節「わたしはあなたがたを愛している、と主は仰せられる」とあるのです、どこの世界へ宣言が愛している、と始まるのでしょうか?神様だけでないでしょうか。神様の愛とは、ヤコブへの愛です。彼は正しく、真面目な人だったでしょうか?お兄さんをだまし、逃げて、逃亡先で結婚しても、だまし、だまされている、そんな人を一方的に愛し、一方的に選ばれたのが神様の愛です。私を考えた時に、私の過去の過ち、足りなさを思って、主に愛されている!と考えたら泣けてきました。私は愛されている!その神様に愛されている人生の価値はどれほどでしょうか!それを知ったら、他の人々や教会の人々がどろほど愛されているのか?!と思うと、もっと、神様に愛されていることを知る牧者にしてください、世界に流す牧者にしてください、と祈りました!愛されている、それなかったから、人生の意味が分からない、ないです。主に愛されてい人生を生きます。私も主を愛します。

Saturday, June 21, 2014

神様の国のTEAM WORK

5月20日のQT:神様の国のTEAM WORK(第二サムエル23;13-39)ダビデの30人のうちの3人の勇士たち(ストーリーつき)と説明のない勇士たちが出てきます。神様の国のチームは、ダビデのために「命を懸けてベツレヘムの水を持ってくる、まさに血の様な献身」を持つ人々、そして名前だけで、説明の特別にない人々(でも、多くの働きをした大事な人々です)で構成されています。いろんな人々がいます。その朝、’このように祈りました。①神様、このような命を懸けて、ある意味で狂っているのでは、と思う情熱を持つ人にしてください。そういう人々を与えてください、神様のために育ててください。また、いろんな人々を迎える人格を、用いることが出来るようにしてください。また、②神様のチームに私を招いてくださった感謝します。主に従い、この世に向かって肉の戦いでなくて、イエスの愛で戦わせてください、イエスの愛を伝えさせえてください。

起死回生の奇跡を起こす勇士とは誰か?

5月19日のQTプラス(第二サムエル23;8-12)起死回生の奇跡を起こす勇士とは誰か?人々が交代しても踏みとどまる人。ダビデの三勇士を通しての救いが19日のQTでありました。そこで、思った恵みをもう一つ、①ヤショベアムは槍をふるって800人を倒しました(8節)、②エルアザルはペリシテの人々を自分の手が疲れるときまで打ちました(9-10節)。兵士たちは引き返してきて、ただ剥ぎ取るためであった(10節)、とあります。SENAを見ると「ISRAELITIES RETREATED」となっています。また、③シャマは「民はペリシテ人の前から逃げたが、彼は畑の真ん中に踏みとどまって、これを救い、ペリシテ人を打ち殺した。こうして、主は大勝利をもたらされた」とあります。大変な時に、人々が逃げるときに、踏みとどまる人がいます。その人のために神様の救い、大勝利が来ます。最近落ち込んだことがありました。しかし、好み言葉を持って逃げるな、留まれ!と声をいただきました。私だけでなくて、共に主のために仕える、留まる、勇士たちと起死回生の祝福を体験していきます。

CHECK YOUR PRIDEリーダーが倒れると危ない,共同体は神様のもの、神様の国である

5月21日のQT:CHECK YOUR PRIDEリーダーが倒れると危ない(第二サムエル24;1-14)今日のQTは、ダビデが無理して、人口調査をすることから神様の裁きが来るシーンです。なぜ、人口調査がいけないのでしょう。以前、新学校の授業で学びを下のですが、人口調査自体が悪いのでなくて、9節「そして、ヨアブには民の登録人数を王に報告した。イスラエルには剣を使う兵士が80万人、ユダの兵士は50万人であった」とあるように、軍人調査であり、自分のために王国、軍隊を作り、神様よりも人間の力に頼る動機であったのです。ちなみに、英語版のSENAは「ENROLLTHE FIGHTING MAN」2Vとありました。今回は、ヨアブもあまり同意しない登録、調査でした。それをダビデは無理して説得したのです。ただ、感謝なことはダビデは自分のおろかさ、大きな罪(実際、神様の裁きは非常に大きいです)咎に気がつきます。リーダーが倒れると、不健康になると、共同体を自分のものにする時に、不幸が始まります、リーダーの責任は非常におき鋳物です。今朝、私の動機は何か?私自身のプライドはどうか?もう一度、神様の前におきます。教会は、共同体は主のものです。たとえ、自分がどんなに努力して立てあげても、主のもの、神様の国です。

Thursday, June 19, 2014

神様の約束を人生の最後に告白する人

5月19日のQT:神様の約束を人生の最後に告白する人(第二サムエル23;1-12)ダビデは、人生の最後に「神様への賛美、神様の導くある人生、その約束」について語ります。人生の最後に神様を賛美し、告白できるとは何という素晴らしい人生の締めくくりでしょう。神様の約束を人生の告白として信じてできるでしょうか?また、そうでない時に「よこしまな者は、いばらのように、みな投げ捨てられる。手でとる値打ちが無いからだ」という深刻な事実を受け取っているでしょうか。ダビデの約束の中で「まことにわが家は、このような神と共にある」5節告白します。それは、太陽の登る朝のような、綺麗な、曇りの無い人生です。神様を恐れる人はこのように生きます。そして、今日のQT後半部分は、ダビデの勇士たちが現れます。戦争の中で勇士たちは神様の大きな勝利を得ます。約束の通りです。今朝、主を恐れるさわやかな祝福の中でいきたいと思います。

Wednesday, June 18, 2014

神様を賛美する時力が来る

5月18日のQT:神様を賛美する時力が来る(第二サムエル22;29-51)ダビデの賛美は続きます。賛美が絶えない人ってなんと素晴らしいことでしょう!一見、賛美して、祈って、具体的に何が?とノンクリスチャンは思うかもしれませんが、主に賛美すること、祈りが力です、答えです。知恵が来ます、神様の驚きべき祝福が来ます、信じます。「神、その道は完全、主のみ言葉は純粋、主はすべて彼に身を避ける者の盾」31節。主に賛美する人は、その神様の嘘のない、純粋な力を体験します。大胆に歩んでよろけません、なぜなら神様がその歩みを強くされるからです。逆に、神に頼らない人は歩みが揺れます。神様が生きている、と賛美し、自分が神様の側に立つ人は(自分の側に神様を立たせるのでなくて)強いです。力を受けます、相手を完全に根絶やしにする力を受けます。今日のQT.賛美は書ききれない祝福があります。今日、神様を賛美して歩みます、主は生きておられる!(47節)あなたをほめうたいます。

Tuesday, June 17, 2014

すごい神様のみわざを体験するためには(第二サムエル22;14-28)

5月17日のQT:すごい神様のみわざを体験するためには(第二サムエル22;14-28)今日の聖書箇所は、ダビデが主のなされたわざを賛美し、人生の中で告白するところです。前半の14-20節は神様がいかに素晴らしい力ある方であるか、神様の救いが書かれています。後半は、神様の恵みへ応える生き方、難しい部分であっても、罪を犯さずに生きることがどれほど重要であるのか?神様は確かに私に報いてくださる方であることを書かれています。同時に、清いものには、きよく、捻じ曲がったものには捻じ曲がったとように、あります。因果応報でなくて、神様の愛で恵みで私を守ってください、罪を犯さずに、神様の誠実さに応答する人生を歩ませてください、と祈りました。今朝、私が罪を犯さないように、難しいこと、怒りの中でも、サタンが喜ぶのでなくて、神様の偉大なみわざを体験できるように祈ります。ハレルヤ!主よ、弱い私を守ってください。

Monday, June 16, 2014

PRAISE YOU:(第二サムエル22;1-13

PRAISE YOU:5月16日のQT:(第二サムエル22;1-13)主がダビデをサウル王から救い出した時に賛美したことでした。少し、今朝落ち込むこと、自分の中には残念だと思うことがありつつ、早朝祈祷会に行きました。不思議にMATT REDMANのGod Of Our Yesterdays が賛美が浮かんできました。そんな気持ちや、状況で無いんですが、と思いながら今日のQTをした時に分かりました。神様への感謝、賛美が今朝のKEY WORDでした。We thank You for grace in our yesterdays、 We thank You for peace in our hearts today、 We thank You our joy、 As tomorrow comes we will trust You God、救いの神様へ賛美しているか?感謝しているか?この神様の「もっと」体験しているか?神様の宮で賛美を聞かれているか?自分の心配と、悩みと比べ物にならない天地変異、神様のなされるわざを体験しているのか?体験していきたいのか?そう思ったときに未だに何もも起こっていない今に、賛美が起こりました。感謝を祈りました。何も起こっていないけど、変わっていないけど、具体的なアイデァ、解決策が与えられていないのですが、ただ、賛美を持って、祈りをもって、感謝を持って今日を始めました。主を賛美します。

神がこの国の祈りに心動かされた(第二サムエル21;10-22)

5月15日のQT:神がこの国の祈りに心動かされた(第二サムエル21;10-22)サウル王とヨナタンたちの骨、死体が野ざらしにされている時にサウルの側室であるリッパが荒布をしいて空の鳥から、野の獣から昼夜守ります。何と立派な勇気ある女性でしょうか。それを聞いたダビデが葬ります。その時に、神様はこの国の祈りに心動かされた、とあります。神様が祈りを聞いてくださるのには、時があります。また、すべき共同体への愛、思いやり、先王であってしかも、敵であったとしても、仕える時に、神様のわざが起こります。私にとって、①すべきことは何でしょうか?②祈りの答えの時を期待しながら祈ることは何でしょうか?今日のQTでは、更に神様の共同体のチームが勇士としてラファの子孫に勝つことが書かれています。神様の国は、ダビデだけでなくて他にも4人の勇士たちが、家来として育つ様子が書かれています。今日、主の祈りの答えを期待して新しい共同体、チームを育てて生きます。(写真はニューメキシコで十字架行進をしてきた勇士からのお土産です)

Saturday, June 14, 2014

危機に神様に聞け!私のためにさらしものになったイエス様(第二サムエル21;1-9)

今日のQT:危機に神様に聞け!私のためにさらしものになったイエス様(第二サムエル21;1-9)イスラエルに三年の飢饉があったときに「ダビデは危機のときに神様に尋ねる」謙遜さ、いつも神様に聞く姿勢を持っています。今日、主の前に、危機のときに謙遜になれる祝福がありますように。その時にサウル王がイスラエルとユダの人々への熱心のあまりに「ギブオン人(エモリ人の生き残り、ヨシュアのときにだまされて神様に聞かずに同盟を結んで生き残った民族)」をannihilate〈敵などを〉全滅させる,絶滅させようとした罪を問われました。サウル王が自分の人気集めのためにしたこと、その罪の代価を必ず支払うことになります。今朝、少し自分に適用して黙想しました。サウル王の子たちはしに渡されて辱められました。当然受けるべき罪の代価、払わないといけないことをしたわけです。罪の結果は恐ろしいものですが、隠すことが出来ません。こんな罪びとの私のためにイエスはしなれて、辱められた黙想、適用した時に涙が出てきました。主よ、私の罪を赦してください。私のために辱められたこと許してください。何ということでしょう、感謝でいえません。私を十字架の愛で憐れんでください。

一人の神様の知恵を語る女性の勇気が救う(第二サムエル20;14-26)

5月13日のQT:一人の神様の知恵を語る女性の勇気が救う(第二サムエル20;14-26)旧約聖書には、名前も書かれていない素晴らしい女性がいます。今日の知恵ある女性は、あのヨアブ将軍に(アマサを殺したばかりの)向かって、「主の譲りの地を飲み尽くそう」とされるのですか?と語ります。勇気があります。それだけでなくて、神様の約束を語ります。そして、自分は平和と忠実なものとして語ります。一人の知恵ある女性のために、町が救われて、SHEBAのために町が滅びないですみます。イスラエル同士の同士討ちもしないですみます。彼女は、町の人々を知恵を用いて語り、SHEBAの首をはねます。なんと、知恵ある、勇気ある、そして神様の心を語る女性の救いで無いでしょうか。今日、神様にある知恵を持って平和を持ちます。また、主にあるNEW TEAMを再編成していきます。

Thursday, June 12, 2014

PEACEMMAKERになるためには(第二サムエル20;1-13)

PEACEMMAKERになるためには従うこと(第二サムエル20;1-13)
アブシャロムの反乱が終わった途端、次はTROUBLEMAKERのシェバが反乱をイスラエルの人々を引き連れて起こします。昨日の聖書箇所のイスラエルの人々とユダの人々の利権争いに、つけこむ人がいます。また、今日は更にその反乱を鎮めるためにユダの人々を集めに行ったアマサが間に合わず、アビシャイがダビデの命令によって動き、ヨアブに暗殺される、という争い、もあります。今日の聖書箇所から学ぶべき教訓は何でしょうか?イスラエルの人々の不満、自分の利権争い、そして将軍職をとられた、ダビデの寵愛を奪われた、と嫉妬し、結局は戦い、相手を殺すことになってしまいます。果たして、ヨアブの気持ちはどんな気持ちだったろうか?自分が部下なら上司からの寵愛、ポジションを他に行ったらやっばり気分は良くないかもしれません。しかし、だからと言って人を殺す、攻撃するのは、共同体全体、組織全体にも、自分自身にも、自分の未来にも壊すものです。どうしたら、PEACEMAKERになれるでしょうか?それは、主のみ心、上に立てられた権威に従い、周りの平和を持つことです。難しいときに、自分に関する限り平和を保つこと、それは神様の御心に従うところから必ず、祝福が来ます。未来が待っています。今日平和の心を持って主に、上に立てられた権威に従って奉仕します。

Wednesday, June 11, 2014

生き方のバランスを持て!(第二サムエル19;31-43)

今日のQT;生き方のバランスを持て!(第二サムエル19;31-43)今日はダビデが世話になったバルジライに恵みを施す部分です。ここで、①私たちが恵みを受けた人への祝福を忘れないこと、誠実さを持って対応すること、と、もう一つはバルジライの態度です。彼は「王と一緒にエルサレムに上って行っても、私は後何年生きれるでしょう~」34節「私はもう善悪をわきまえることが出来ません、しもべは食べる物も飲むものも味わうことができません~」35節。彼の人生のバランスのとり方です。彼は、富貴を正しく使いました。ダビデの大変な時に支えました。大変なお金持ちであったのです。しかし、ダビデに呼ばれたときに「彼は自分の使命の道」でなく、自分のいるべきところ、すべきところにとどまりました。また、彼の年齢にふさわしく行きました。SENAを最近使っているのですが「31:King AND TO SEND HIM ON HIS WAY FROMTHERE」とありました。誰もが、良い生活、成功、富貴を夢見ます。でも、そのためにどれほど多くの人が成功という名前の下に混乱し、まよい、失敗していくことでしょうか?バルジライは最後まで判断力があるから、こういうことが言えて、行動できたのです。今日の後半のイスラエル民族とユダ民族の利権争いと対照的です。今日私の行くべき道、行動、主のみ心の中で歩みます。これをはずときに、イスラエルとユダのように争いが起こります、平和を全ての人ともてないのです。また、ユダも相手が悪くても「言い争ってしまい」ます。今日、主のみ心にある平和を持って歩みます。

Tuesday, June 10, 2014

和解と回復のためには(第二サムエル19;16-30)

今日のQT:和解と回復(第二サムエル19;16-30)今日QTの箇所のダビデは、シムイをゆるす、という場面です。「ツエルヤの子よ、あれは私のことで、あなたがにかかわりの無いことだ。あなたがは、きょう、私に敵対しようとでもするのであろうか。~」22節;この台詞なかなかいえないことだな、と思います。戦争に勝利したら、自分を呪った人を打つのが普通でしょう。アビシャイは以前もダビデに言ったようにシムイを打つように言います。しかし、ダビデはゆるし、また自分の思いで復讐することはダビデに逆らうこと、敵対することと言います。きょう、神様の心である赦しと寛容を持ちます。神様が私にそうしてくださったように、ゆるしを受けます(世の中じゃありえないことですよね)また、相手への寛容、理解をもちます。後半のQTでサウルの孫メフィボシュテ(名前が難しい、英語でも)への質問、話し合いの中で直接に聞き、尋ねる時がありました。どちらが正しいのか難しいですが、直接に話さない時に難しさがおこります、責任の無い判断があります。今日、双方の話を聞く自分でありたい、と思います、主よ、導いてください。

Monday, June 9, 2014

自分から歩み寄るリーダー(第二サムエル19;9-15)

きょうのQT :自分から歩み寄るリーダー(第二サムエル19;9-15)ダビデがイスラエルの人々に自ら歩み寄ります。彼らがアブシャロムにつき、反逆し、敗北したために行き場の無い、困った状態になります。この時に、ダビデは自ら歩みより、和解、回復を求めます、また彼らに回復をさせるように祭司たちを遣わし、言わせます。そして将軍アマサにも地位の安定を話します。ダビデは決して自分の力で王位を剥奪したり、急にせいて、事を行いませんでした。今日、神様の時に従って回復のミニストリーをします。また、こちらから歩み寄る回復、’和解をしていきます。こちらから’ゆるします。

Sunday, June 8, 2014

神様のリーダーシップを回復せよ

今日のQT:神様のリーダーシップを回復せよ(第二サムエル19;1-18)ダビデはアブシャロムの死を悲しみ、喪に服し、彼のために戦った兵士たちは「戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように」勝ってきました(3節)らしくない、話です。以前のダビデなら、また家族以外の人に接するダビデなら、正しい正義と裁きを行い、すっきりとするはずです。なんかさえません。そこで、ヨアブが「あなたの命を、あなたの息子たち~救ったあなたの家来たちに恥をかかせました」と言いに来ます。ヨアブの高慢さ、時に不従順さは肯定しませんが、今日の彼の発言はその通りだと思います。何が問題でしょう。アブシャロムはダビデにとって若者でも、国は反逆者です。公私の区別の必要があります。もともとは、家族を治め切れなかった結果、バテシバとの罪の結果、刈り取っているのです・KEYは悔い改め、そして正しい回復の道を歩むことです。今日、神様にあるリーダーシップの回復を目指します。神様の使命を持って歩みます。また、私には子供はいませんが、公私の区別を将来も持ちたい、と思います。そうでないことが、共同体にも不幸だし、家族にも不幸であります。主にある牧会を目指して生きます。

Saturday, June 7, 2014

神様の救いのニュースと親子の悲しみ

きょうのQT :神様の救いのニュースと親子の悲しみ(第二サムエル18;24-33)今日はアヒアマツがダビデに勝利をつ当てるニュースです。祭司の子であるアヒアマツは本当に純粋に、計算がなく、神様のくださった勝利と救いを伝えたくて走っていったことでしょう。少しここから黙想しました。本当に福音の知らせ、自分にとって大きな救い、神様の勝利が絶望の中にあったときに、出会ったら、じっとしてられないでしょう、走って伝えて生きたいでしょう。今日、主イエスが私になさった喜びのゆえに走って福音を伝える恵みもって歩みます。と、同時にダビデにとって子であるアブシャロムの死があります。これは、親としてありえる反応ですが、少し痛みのある行動です。もともと、ダビデの罪から家族が壊れて、その裁きを放置したためにある結果、です。今日、主の前に問題へ立ち向かって生きます。

Friday, June 6, 2014

人生の記念碑はイエスによって残る

今日のQT;第二サムエル18章16-23「人生の記念碑はイエスによって残る」今日はアブシャロムが死んで葬られる場面です、私たちは死ぬときに、どんな死に方をするでしょうか?アブシャロムは反乱の末に自慢の髪の毛が樫の木に引っかかって死にました(英語のSENAだと髪の毛)。世の中的に美しく、カリスマのある男の死は、神様の前に見事になんでもないと、かえって神様に従わず悪いことをした男として打ち砕かれました。そして、葬られ方ですが、森に投げ捨てられて、誰にも入れぬよう「石を詰まれました」アブシャロムは死ぬ前に「名前を覚える息子がいない」と自分の記念の柱を立てましたが、それはイスラエルの人々に反乱者の名前として惨めにしか残りません。私はどうでしょうか?神様の前に残る記念碑を、主のしもべとして、いや主にただ愛された者として、謙遜に残るでしょうか?主が残さないと何にもありませんし、永遠なのは主のみです。今日、主イエスとの仕える記録の一日を過ごします。主に仕える愛されたしもべとしていきます。何よりも、こんな私を覚えてくださる主をただ賛美します。

Thursday, June 5, 2014

神様の愛と高慢、従わないこと

今日のQT:神様の愛と高慢、従わないこと(第二サムエル18;1-15)今日はアブシャロムが「樫の木に自慢の髪の毛が引っかかって死を迎える」シーンです。彼の反乱にもかかわらず、自分が王位を奪われて、死の危険にあるにもかかわらず、ダビデは「私に免じてアブシャロムをGENTLEに扱ってくれ」と言います。それは、この世では考えられない愛です。ありえない話です。しかし、それでも愛するのが神様の愛です。兵士たちはアブシャロムが樫の木に引っかかって時にもそのダビデの命令を尊重し、従います「たとえ、銀千枚をいただいても、王のお子さまに手を出せません」12節、13節「もし、私が命をかけて、命令に背いても」と王への愛と尊重を持って従います。しかし、ヨアブは行ってアブシャロムの心臓を刺し通し、部下たちも続きます。この世的には、公には敵を討つのが当たり前でしょう、兵士たちは命をかけて戦い、イスラエルと戦ったからです。しかし、今日のリビングライフの表題でないですけど、アブシャロムの高慢(王様へ、何よりも神様へ)と不従順と、ヨアブの中にも王に従わない高慢があります、兵士の言ったとおり知らぬフリをしたかもしれません。今朝、主の前に従わなかったアブシャロムの頭が引っかかったように、主の前に悔い改めます。また、主の命令に従い歩みます。そして、それでも愛され、赦された神様の愛に感謝し、賛美します。

Wednesday, June 4, 2014

神様の助けを体験せよ(そして、危機を乗り越えよ)

今日のQT:神様の助けを体験せよ(そして、危機を乗り越えよ)第二サムエル17;15-29、ダビデをと助ける人々がたくさん出てきます。まずは、①アヒトフェルのアドバイスをフシャイは妨害し、そのはかりごとがあること、そのために荒野で夜を過ごしてはいけない、ことを伝えます。②その伝言を伝えにヨナタンとアヒアマツは命をかけて伝えに生きます、③彼ら二人を井戸に隠し、追っ手に別のことを言う女性、という主の用意された出会いの祝福があります。④ダビデのためにショビ、マキル、バルジライは生活の道具、食事、飲み物を持ってきます。これら一人人は誰一人かけてもいけない、命の恩人たちです。今朝、私を支えてくださった方々のために祝福を祈りました。やはり、私にとって命の恩人たちです。期間も、賜物も、いた時間違ってもやはりそうです、祝福を祈ります。また、神様の助けを持って未だ危機を抜けるかどうかわからないときに、それぞれ、自分に与えられた賜物、ポジション、場所で仕えて、危機を乗り越えます。教会がさらに成長するささげもの、チームで動きますように。

Tuesday, June 3, 2014

神様のPLANを聞け!

今日のQT:神様のPLANを聞け!(第二サムエル17;1-14)アブシャロムに人間的に優れたアヒトフェルはアドバイスします、夜襲をかけてダビデ王のみを殺し、イスラエルの民を打つ必要が無く、戻ってくるように出来る、と。古来、日本でも夜襲をして必要なポイントのみを打つのに成功したり、逆にそのタイミングを逃して敗北したことが多くあります。このアドバイスは最初アブシャロムとELDERたちの気に入るアドバイスでした。しかし、アブシャロムはフシャイに聞いてみようといい、フシャイの聞くからに壮大で、耳障りのいい、反対に全部をうつ、ゆっくり攻撃することに賛成します。何故でしょう?昨日のアヒトフェルのアドバイスを受け取って行動しながらも、今日の一番大事なアドバイスを逃すアブシャロムの心は、聞くべきところで聞けない耳はどういうことでしょう?この間、神様の心を求めた、という記録がアブシャロムにありません、ダビデのように信仰を持って神様の主権を認めたこともありません。何故、アブシャロムはこんなアドバイスを聞きながらも、フシャイの話を聞いたのでしょう。もちろん、神様の計画からですが、彼の心に安心が無かったから、また壮大な言葉に(中身の無い)弱い、ということがあげられます。壮大な計画は神様に任せることでないでしょうか?彼の心の中にある不安、野望、それは自分の力で王になることが出来ない、神様が立てるこそ、その計画を失いました。今日、神様の計画を聞いていきます、また、自分の心の中にある闇、不安、傷、罪、主の前に癒しを求めて歩んで生きます。

Monday, June 2, 2014

神様の方法で、心で勝利をえよ(

今日のQTL神様の方法で、心で勝利をえよ(第二サムエル16;15-23)今日のアブシャロムは、アヒトフェルの計略によって自分の父なるダビデ王のそばめたちと天幕を共にする、という18禁のようなすごい内容です(気になって最近はじめたYOUTH用のSENAも読みました)。アブシャロムはどうして、このような性的な罪を犯したのでしょう。諸外国がするような侵略者が女性を踏みにじり、権力を見せ付けるような、父親との関係がもはや修復不可能、となるようなところにいったのでしょうか。もともとの彼の不満は父親であるダビデが妹タマルを性的に踏みにじったアムノンへの復讐から始まったのでないでしょうか?何故、ここで彼は性的な罪を自らしたのでしょうか?それは、癒されていない傷、罪からです。性的な罪をいかった男が、自分が違う形でもあってはならないことをする、告白されていない罪、癒されていない傷があります。更に彼はダビデの腹心の友である(SENAの英語だとこんな訳になるんですね)フシャイの甘い言葉、欺瞞、そして固有名詞を抜いた「その方」という言葉にだまされます。また、何よりも、人が髪の言葉をうかがって得るようであったアヒトフェル(23節)の言葉の真実を見抜くことが出来ません、自分がこの世の計略によって行動してしまい、神様の前に祈りも止めることがダビデのようにありませんでした(不思議なくらいアブシャロムが祈ったことがでてきません、利用はしようとしても、もちろん神様はそんな方でありません)何故でしょう、それは隠された劣等感、自己中心、傷に付け入ることは簡単なことだからです。今日、この世の計略、価値観でなくて、神様のチームワーク、リーダーシップを祈り求めます。また、自分自身の傷や罪の悔い改めをしていきます。

Sunday, June 1, 2014

主は私の心をご覧になり

今日のQT:「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼の呪いに代えて、私に幸せを報いてくださるだろう」(第二サムエル16;1-14)今朝のQT読んで、あ~僕には出来ないな~と思わずため息をついたのは私だけでしょうか?ダビデは、のろいの言葉をシムイから言われてアブシャイは彼の首をはねて良いですか?と言います。しかし、ダビデはあなたにかかわりの無いことだ、と言います。普通の王様なら行って来い、と命令を出せばすむことです。ダビデは「主が彼にそういわせたのだ」と言います。ここに、若い時から変わらないダビデの姿勢があります。それこそ、「主は私の心をご覧になり」という姿勢、神様の主権を認めて生きる姿勢です。だからこそ、呪いにすぐに反応せずに済んだのです。主権を認めること、相手が私にのろいをしても、主が赦されていること、その状況に変わらない姿勢を持つダビデがいます。今日、主の与えられた状況の中で、主が見られる心持って歩み、礼拝奉仕します。