Thursday, April 30, 2015

分かっていない二人(1kings12;21-33)

分かっていない二人(1kings)レハブアム王は、ユダからイスラエルを全部を手中に治めようとします。そのために、神の人 シェマヤを遣わされて 12:24 『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。「兄弟、家族があらそってはいけない」と言われます。それにはレハブアム王も聞きしたがって帰って行きます。ところが、問題がヤロブアムです。せっかくイスラエルの王としてたってたのに、ヤロブアムはいつかイスラエルの民が離れていくのでないか、と恐れて偶像を作り、勝手な礼拝の場所、勝手に祭司をレビ人以外から任命し、イスラエルを混乱に落とします、どうして、逆に神様によって王様として建てられた、ことを知らなかったのでしょうか?認めなかったのでしょうか?逆に、主を礼拝し、忠実に使えて、神殿はそのままでも、尊敬できる行為で使えることが出来なかったのでしょうか?二人の分かっていない男...がいます、権力の中に、つかもうとしています。ですから、不安になり、偶像を自分のために作るのです、そして、他の人々を罪へ伝染させていくのです。ヤロブアムもレハブアムもどちらも、分かっていないのは、『立てられるのは神』である、ということです。そのことを知らないときに、自分の力で、権力で、しようとする人は『常に不安』なのです。ヤロブアムは、金の子牛を作るときに『相談』して、とあります、一体、誰と相談したのでしょう?何を相談したのでしょうか?ここに、神様に聞くことや自分に神様の心を伝えた人と出会うことはなかったのでしょうか?自分に頼る人は、偶像を作り、自分勝手に生きるために大義名分を作ります、また、わかっていないレハブアムは自分に問題があることを認めません。他人のせいや、環境のせいにします。今日、主に聞いていく、また自分の中に問題があることから神様に聞いて歩みます。
 

Wednesday, April 29, 2015

神様に聞く人がいないのか?(1Kings12;12-20)

神様に聞く人がいないのか?(1Kings12;12-20)レハブアムは、自分の聞きたかった意見を言ってくれた、若者たちの意見をそのまま宣言し、決断します。すでに、全イスラエルの会衆たちは、ヤロベアムをつれてきている、という危機的な状況、不安定な状況なのに、分別できない、とはなんと言うことでしょうか?!それは、レハブアムが長老に聞いても、若者に聞いても、一番聞くべきまことなる、私に主なる神様に聞かなかったからです。果たして、ソロモンから神様の審判の名話しも聞いていないほど、子女教育にまったく信仰教育がなく、偶像礼拝により堕落しきっていたのでしょうか?レハブアムのことばは、13-14節『12:13 王は荒々しく民に答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、12:14 若者たちの助言どおり、彼らに答えてこう言った。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」
』は、人を支配するだけの、権力や、自分の繁栄だけを得ようとする、この世の悪い支配者、...の姿しか見えません。普通に考えて誰が、このような権威者を望むでしょうか?神様が創造の時にアダムとエバに与えられた愛によって仕える、神様の代理としてのスチュワートシップがかけらも見えません。神様の政治によって立てられる王政だったのです。そのために、ダビデの家からユダの部族以外は、イスラエルは離れていきました。一人のリーダーのために、祝福されて、一つになり、一人のリーダーのために豊かになる共同体が、一人の権力だけを願うリーダーのために、欲望と、分裂に、力の失われた、共同体になるのです。それは、主なる神様の声を聞くのか、自分の声を聞くのか?によって分かれます。今朝思ったことは、①どのような共同体をたえるのか?、②どのようなリーダーになるのか?ということです。愛するときに、得ます。支配しようとするときに離れていき、失います。礼拝するリーダーに、共同体になります。神様の声を聞き、イエスの弟子になります。宣教していく共同体になります。
 
 
 

Tuesday, April 28, 2015

繁栄があっても、主が立てるなら(敵に)勝てない(1KINGS11;26-43)

繁栄があっても、主が立てるなら(敵に)勝てない(1KINGS11;26-43)主はソロモン王に反対する敵を立てられました。それは、ソロモン王の堕落、神様の下さった祝福は『公義』と真心を持って仕える為にあったのに、与えられたのには『目的』があったのに、彼はそれを黄金を集め、馬や戦車を集め、自分の王宮を14年かけてたて、多くの数え切れない700人?!の妃たちと、300人の?!そばめたちを持ち、そこから「彼の心を転じさせた」のです、彼は偶像礼拝に入り、その結果、彼の手からイスラエルは取り上げられて、10部族はヤロベアムに預言者アヒヤを通して、12に外套を引き裂き、10を取らせました。ソロモン王は、ヤロベアムを殺そうとしましたが、エジプトに逃れました(ここで、面白いのは、ソロモン王はエジプトのパロの娘を妃として、大きな待遇をしておきながら、その期待すべき、同盟国、協力してくれるはずのエジプトに彼が逃げた、ということです)神様に背くなら、いかに繁栄していても、自分の敵や攻撃を止めることが出来ません。神様の心と反対に生きても、敵さえ倒せば良い、とソロモン王は...思ったのでしょうか?本当にすべきことは、自分が低くなって、悔い改めること、かたくな心を砕かれて、主の前に出ることでなかったのでしょうか!これが、もっと簡単で、確かで、一番の、唯一の方法でなかったのでないでしょうか?また、この時にもう一つチャンスを与えられた人がいます、それは、ヤロブアムでした。『 11:38 もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行なったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行なうなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。』という約束、主に従うチャンス、その結果来る祝福を得れるはずでした。しかし、それはそうなりませんでした。今日、主に従う、道、おきてと命令を守っていきます。
 

CGNTV 放送が始まりました、主にだけ栄光を!北米から日本へ!世界へただ主イエスの愛を伝えます

http://japan.cgntv.net/newsub.asp?pid=2886&gubun=0302

最初から聞く気があったのか(1KINGS12;1-11)

最初から聞く気があったのか(1KINGS12;1-11)レハブアムは、ソロモンの跡をついで王になるために、イスラエルの全集団に会いに行きました。この時には、イスラエルの全集団はヤロベアムを逃亡先のエジプトから呼び寄せていました。そして、レハブアムに向かって『12:4 「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」と願い、要求しました。このようなときにどうすべきでしょうか?レハブアムは、未だに王権についてもいないのに、安定もしていないなのに、しかもイスラエルの全集団はUNDER THE TABLEではヤロベアムを呼んでいたのです、彼らの要求を聞くのが当たり前でないでしょうか?!それは、よく言う火を見るよりも明らかです。ソロモン王の政治は、繁栄の裏には、無理をし、過酷な労働をイスラエルにさせ、重いくびきを負わせたようです。それは、外国人を奴隷にしても、イスラエルの同国人を奴隷にしない、ということからも離れていたようです。レハ...ブアムは、ソロモン時代の長老たちにアドバイスを聞きました。12:7 彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」という、当たり前の、非常に知恵のあるアドバイスをしてくれました。しかし、レハブアムはこのアドバイスを拒否して、自分たちと同じ世代の若者にアドバイスを求めました。それは、未だに世界を知らずに、自分で何でも出来る、いまままでの世代とは違う、という心、そして繁栄の中、苦労や世間のすっぱい味を知らずに育ってきた人の力強い言葉でした(時に、古い壁やできない、と思ったことを取り除き、固定元年を壊して、新しいものを作ることがあります)。しかし、ここで思うことはレハブアムは自分の聞きたい言葉、自分のしたい言葉を言ってくれる人を探していたのでないか?ということです、その結果は、イスラエルの国を得るどころか、分裂させ(大きな責任です)、南ユダ王国しか残らない(それさえも、憐れみです!)ことになりました、今日、思わされたことは『自分の聴きたいこと』を言ってくれる人を探したり、あまつさえ、自分の聞きたい聖書の言葉を聞こうとしたり(まして、利用なんて大変なことになります!)ということはないか、ということです、客観的に見たらこんな簡単な決断を「自分のしたいとおり」にするなら、大変なことになります。ある人が言いました、どれが、神様の心か探すときに、自分の思いと反対のことをしたら「神様の御心」のことが多いよ、と。ある意味そうだと思います。今日、主の思いを聞くために従順に仕えていきます。

Sunday, April 26, 2015

神様を無視すると大変なことへ向かっていく(1kINGS11;1-13)

神様を無視すると大変なことへ向かっていく(1kINGS11;1-13)ソロモン王は、神様に禁じられた文化を、偶像文化を、カナンの妃、そばめ(神様を知らない、信じない、従わない、)を通して、自分の大事な家庭に、人生、神様の王国に入れてしまいました。『彼らはあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる』と言ったとおりに、していきました。そして、ソロモン王が偶像礼拝そのものをするようになってしまいました。そこで、神様は二度も現れて警告、裁きを宣言されます、これは、大きな変わらない(人間は変質しまくりですが)神様の愛でないでしょうか!?一度でなくて、二度です!それを愛といわなくて、何でしょうか?ソロモンは、これを無視してしまいます。入れたらいけないし、入って行っても行けない、という文化、偶像、価値観を、入れてしまったのです、それは、今日に始まったことでなくて、徐々に、徐々にははいっていった、いれてしまった、結果でした、それは、永遠のダビデ王朝の祝福を壊し、イスラエルの国家がわずかな間に分裂し、やがて滅亡していきます。今日、神様の悔い改めのチャンスを大事にします。また価値観をもっと純粋に持って生きます。
 

Friday, April 24, 2015

恵みでなければ立てない(1KINGS10;14-29)

恵みでなければ立てない(1KINGS10;14-29)ソロモン王が、多くの金を集め(それは天文学的な数字です)、その重さを量り(重さを量る、という表現すごいですね!?)
そして、馬や戦車を増やしてはならない(申命記17;16)の命令にもそむく、多くの戦車、馬を集める行為でした。申命記は、約束の地へ入ってからの神様の民が生きるべきルールが書いてあります。それを王様が早くも破ったのです。ここからだんだん敗北、没落の時間が始まってきます。今ある祝福は、神様の恵みです、どのように使うのか、それは主が私たちに任せてくださったことなのです。何故、ソロモンが王宮に象牙の王座を作り(しかも、他の国にないものを)金だけの器を使うようになったのか?難しいところです。黄金の重み、馬と戦車、そして交易から来る収益が、主の恵みより大きいのでしょうか?恵みでないと立っていけないのです!主の愛、十字架の愛でないと立っていけないのです!それがなくなったら、いかなる黄金も、軍隊も、交易の収益もなくなっていくものです。私たちの永遠の命なくて、歩めないものです。今日、主の恵みで歩んで生きます。
 

Thursday, April 23, 2015

神様のなされることはうわさになる(1KINGS10;1-13)

神様のなされることはうわさになる(1KINGS10;1-13)ソロモン王の知恵と、彼の業績をきいて(それは、『主の名に関連して名声を聞き』でした!)シェバの女王が訪問してきます。ここの驚くべきことは、リビングライフの解説にあるように「貿易」や「領土問題」と関連してやってきたのでなくて、ソロモンの知恵問答をしに自分たちの有力者を率いてやってきたことです。そして、ソロモンは彼女の質問に答えれないことがなく、またソロモンの宮殿、仕える人々の服装(国の力、勢い、豊かさ、質を示します)、そして態度(もっとも重要なポイントです)に、主の神殿でのBURNT OFFERINGに「息も止まるばかりであった」と驚きを示しています。当時、自分の利益のために動くことがあるのは普通であっても、その知恵のために、業績のために訪ねてくるとは、粋な感じがしませんか?①今朝、思いました。何か、物質、量で言ったら勝負できませんが、神様のなさる何か、センス、自分たちだけの教会の特徴、与えられた使命で勝負できないか、と思いました。くしくも、ある人が教会に訪ねてきたときに「ここはどんな」...教会ですか?とたずねられました。自分たちの教会、開拓ですから目だったもの勝ちです!「礼拝を喜び」イエスの弟子になっていく教会として歩みます。②人々の尋ねてくる教会になるように祈ります!ここに主のなさることが何か?ある、他と違う!という(高慢でなくて、競争でもなく)うわさの教会になるように祈ります。主にある各自の個性を持ってたてあげていきます、③シェバの女王は言います、「あなたにつく人はしあわせだ」8節、私は、私たちの教会は、ともにいて幸福でしょうか?神様の知恵を持っているリーダーシップのもとにいる人は幸福です。がんばります!④神様は、自分だけの利益のためにリーダーとするのでなくて、公正と正義をおこなすためにリーダーを立てます、自分の有意義のためだけでありません。神に栄光を返す、仕える人生を歩みます。⑤最後に、暗い影があるのは「ソロモンの王宮が主の神殿」と同じものを使い、シェバの女王の求めるものは何でも与えた、とあります。それは、黄金をたくさんもらったから、ということがありますが、主なる神様からいただいた知恵、主に関連していたことが知らないうちに、どんどん自分の栄光、自分の所有、そのうちに主と肩を並べる繁栄となっていきます。改めて、主イエスを愛し、与えられた目的を、与えられる目的を祈り、黙想し、準備して行きます。主の栄光のために!
 

Wednesday, April 22, 2015

神様のプロジェクトを完遂させよ(1KINGS9;10-18)

神様のプロジェクトを完遂させよ(1KINGS9;10-18)「ソロモンが主の宮と王宮と2つの家を20年かかって建て終えたとき」10節、15節「9:15 ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と、自分の宮殿、ミロと、エルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを建設した。」ソロモン王は、彼の事業、神殿の建築、そして彼の王宮建築、そして二つの家を建てました。また、多くの都市、エルサレムの城壁を立てました。今日、ここから学べる霊的な教訓は何でしょうか?それは、①プロジェクトを完遂するために怠けると来なく、外国の勢力を駆り、人々を動員し、時期を逃さなかったことです。私は果たして、遅々として進まないことを放っておかず、最善を尽くしているでしょうか?恥ずかしい限りです、最善を持って、集中して行います。②もっと、大きいことは、これが神様のプロジェクトであったのか?という大事な基礎的な部分、というよりもはずしたらイチバン決定的な失敗になることです。彼は、神殿を7年かかって建築し、自分の王宮のために14年かかりました。それだけでなくて、自分の2...つの家を建築しました。もちろん、自分の家を建てることは必要なことです、また良いことです!しかし、主の神殿より多くかかる理由があったのでしょうか?普通、宗教的にも難しいことでないでしょうか?③そして、申命記にかかっている金を多く増やすことはいけない(申命記17;17)を破りました。④エジプトの王の娘のパロ、を自分の家に、特別に招き入れました、違う価値観が入った、ということです。偶像礼拝が入ってきた、ということです、そのような母に育てられる子供たちが後継者になっていくのです。⑤ソロモンは、年に三度のFELLOWSHIP OFFERINGとBURNT OFFRINGはささげていました。でも、神様の心と一緒だったのでしょうか?!1KINGSの著書はソロモンのことを肯定的に書いてはいないと思います。ソロモンの繁栄が、主にあってだったのでしょうか?事業を完遂した部分はすごい、と思いますが、彼の時代に、必ずもしないといけない、ことだったのでしょうか?それは、ツロの王ヒラムに報酬を適当にあてがった部分から出てきます。成功でなくて、主の祝福のプロジェクト、主の心と共に生きるミニストリー、プロジェクトをしていきます。
 

Tuesday, April 21, 2015

主が立てるのでないと何も出来ない(1KINGS9;1-9)

主が立てるのでないと何も出来ない(1KINGS9;1-9)ソロモンが、いかに誠心誠意をこめても、主が臨在されないのであれば、神殿もむなしいものです。また、立派な神殿を建てても、神様のおきて、命令を守らないのであれば、意味ないものです。何のための、神殿か分かりません、キリスト教は主教をするつもりも、神様は侮られるものでありません。そして、主なる神様は言われます、「いつも、私の目と心をここにおく」と。聖別された、と。主なるみや、教会は人間は以下に誠心誠意を尽くしても、それだけでできるものでありません、主なる神様が臨在されてこそ!の恵みがあってこそ!です。今朝、私たちの教会を立ててください、と祈りました、臨在してください。そして、もう一つは「まったき心を持って、正しさを持って(FAITHFULLY WITH INTEGRITY OF HEART AND UPRIGHTNESS)わたしのまえに歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めを守るなら」ということです。イチバンの祝福である神様の前に歩むこと、この地上でも神様のルールで生きる天国民としての人生があります。今朝、主の命令を守って歩んでいきます。
 

普段から、主を賛美する人生を生きよう(1kings8;54-66)



普段から、主を賛美する人生を生きよう(1kings8;54-66)ソロモンは、長い国のための、民のために祈りを終えます。それを見ながら思ったことは、普段から①主なる神様への賛美がなければ、②主へ祈って、主の答え、主の御背異質を知っていなければ、その場だけにいっていきなりは出てこない祈りだ、と思います。③ソロモンは、「神様の下さった土地(人生)、よい約束は何一つたがわなかった」と告白します、主なる神様は信頼できるお方です!その方が共にいて、見捨てずに、見放さずに、おられることは祝福です、むしろ、私たちが離れたり、おざなりにしているような、大変なことをしていないでしょうか?主なる神様が共にいることは、人生の祝福の根源であるのです。キリスト教は、形式だけでなくて、「心を一つにする」の信仰です、他に、こんな宗教があるのでしょうか?しかも、自らの人格を持って、進んですることです。キリスト教は、関係の信仰です。私たちの言い分も、主の身そば近くにあることから来ます、今日、普段から主イエスに祈り、賛美し、み言葉を読んでいきます。
 

Sunday, April 19, 2015

人々は、あなたを見て偉大な神様を知る(1KINGS8;41-53)

人々は、あなたを見て偉大な神様を知る(1KINGS8;41-53)ソロモン王は、祈ります、外国人が来て神殿で祈っても、祈りを聞いてください、と願います。それは、神様はイスラエルの神様だけでなくて、全世界の神だからです。主を呼び求めるすべての者のに答える神様です。その祈りと願いを聞き届け、罪を犯したときも立ち返り、悔い改めるなら、ゆるし、回復を与える方です。異邦人たちは(神様を知らない人は)、まさにイスラエル人(クリスチャンの祈り)を聞いて、答えられる神様を知ります。人々は、偉大な神様の名前、GREAT NAME(名前とはアイデンティ、その人そのものです)をよび、MIGHTY HANDSをみ、OUTREACHED ARMSを見ることが出来ます、そして、神様を恐れる人生を歩むようになります。また、イスラエルの民が罪を犯して哀れみの心を持って回復があります(他の宗教、世の中ではありえないことです)。そして、連れて行かれた捕囚の民として敵国の人があわれむ、と言われます。これもまた、ありえない話です!人の心を、敵の心さえも動かす、目には見えない神様の手を体験することになります。それは、あなたが、私が「呼び出されて」「区別されて」神様のものとされたアイデンティ、クリスチャンから来ます。イスラエルは、クリスチャンは、あなたご自身のものであるからです。今日、主のものとして神様の手を体験する一日を歩みます。それを通して、人々が神様を知る、体験する、恐れる、祝福が流されることを祈ります。
 

Saturday, April 18, 2015

とりなしの祈りの特権(1KINGS)

とりなしの祈りの特権(1KINGS)ソロモン王様は、神殿を奉献して「主の祭壇の前」にて、「イスラエルの全会衆」のまえで祈ります、偉大な神様を宣言し、そこに神殿入りきれるような方でなくて、創造主であり、無限で、永遠の方が、有限の人間のある時期の、ある場所に収め切れない方であることを宣言します。しかし、主の臨在の場所で礼拝を受け取りください、祈りをお受け取りください!と祈ります。叫びと祈り、願いに「目を向けてください」と、「聞いてください」とあわれみを受け取ります。それは、指導者の特権です、とりなしの祈りをするのは、特権であり、最高に享受できるものです。それは、祝福であり、とうぜんすべき義務なのです。ソロモンは、神殿の奉献のときに祈りました。祈りを聞いてください、と。今日、主の祈り、ここに目を留めて、注目してください、戸と祈ります。手を上げて叫び、緊急の祈りをしていきます。
 

どんな病気、わざわい、でも誰が祈っても天が聞かれる祈り(1KINGS8;31-40)

どんな病気、わざわい、でも誰が祈っても天が聞かれる祈り(1KINGS8;31-40)ソロモン王は、イスラエルの民が罪を犯したときに、回復の祈りを語ります。それは、「32 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行なって、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。」人間は、完全な裁き主である神様を認め、恐れること!目に見える人だけを恐れるのでなくて、心を見られる、最高の権威者なる神様を恐れ、主の前に歩むことです。
「33 また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、34 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。」イスラエルは(クリスチャンは)神政国家のために、罪を犯したら、戦争に負けます、世の中の国家と逆です。世の中は悪いことをしてもばれなかったら、勝てる、と勘違...いします。しかし、神様の国はそうでありません、罪を犯すならかえって、大変なことになります、ちょっち余談ですが、ある牧師先生がこういうことを言っていました。クリスチャンの人が、神様を知っている人が一度だけ、しかも初めてした悪いこと、罪のためにばれてしまった、ということがあります、平気で罪を犯す人が何回もしているのに、ということがあります、それは、恵みです、神様の前に早く悔い改めることが出来るからです。ソロモン王は、まず①主の前に立ち返り、②賛美し、(神様が神様であることを認めます)、③この宮で礼拝し(神様の関係を回復し、)、④祈るなら、約束の地へ、相続の地へ回復させてください、と祈ります。大事な祈りの順序です。それは、どんな災いも、病気も、誰でも、この宮で祈るときに聞かれる、というクリスチャンの特権、アイデンティです。それは、しかし、一人の一人の生き方に、心に報いられる神様がおられることを信じ、恐れて生きないといけません。私は、神様の下さった賜物を持って、ベストを尽くして、心から生きているでしょうか!おそれて生きているでしょうか。しかも、祈りのKEYは、最終的には聞いてくださる方、神様にあります。今日、主のリバイバルを、雨をあなたの約束の地で降らせてください、と祈ります。どんば病気、わざわい、も関係なく、誰でも、主の礼拝の場所で立ち返り、祈るなら、ゆるし、かなえて下さること、主が生き方に報いてくださることを信じ、おそれ、歩みます。
 

Thursday, April 16, 2015

私の名でなくて主の名があがめられることを願ったDAVID(1KINGS12-21節)『

私の名でなくて主の名があがめられることを願ったDAVID(1KINGS12-21節)『主は暗闇の中に住む』12節といわれました、それは人間のところに偉大な創造主なる無限の神様を有限の人間の場所に納めきれない、そんな制限される方でないし、神様の栄光をもちきれない、ということです。
しかし、その中でイスラエルの全部族のどの町でもなく、神様はダビデを選ばれました。それは一方的な主の恵みで、選びですが、ダビデが誠実に、正義を持って、真心から主なる神様の前を歩んだからでもあります。そこで、ダビデは①イスラエルの神、主の名前のために宮を立てることいつも心がけていた。17節とあります。私は、主の名のためだけに、私の名前でなくて、主の栄光のあらわされるだけの礼拝する場所、臨在をされる礼拝、人生を、いつも心がけているでしょうか?その人生の中で、生き方の中で心がけているでしょうか?、ダビデはそのように生きました、そうしたら、神様は大きな祝福をくださいました!主のために生きることは本人のためにも祝福なのです。②しかし、主はダビデに言われました。あなたがたてはいけない、...あなたの子が立てる、と主は言われました。ここでも、主は主でした!ダビデにとってそれほどまでに愛した主に、仕えたい、と思ったことに、違うと言われたことはどれほどショックだったことでしょうか?しかし、ダビデは従いました。主は主です。神様の計画に従うときに本当の祝福が私の人生にも在ります。③そして、主の名、という言葉が繰り返されます。名前はと本質、その方のアイデンティそのものです。主のアイデンティ、目に見えない、無限の神様、有限の目に見える世界に縛らない神様、その方にために歩みました。主の名前のために歩んでいるでしょうか?④主の契約の箱が神殿に納められました。それは、480年以上前にエジプトから、脱出したときに、荒野でできた神様と神様の民の関係、約束、契約を入れたものでした。変わらない神様の愛、契約をつかんだのです。それは、ずっと変わらない神様の性質、約束によります。人間は失敗します。間違いを犯します。しかし、神様は変わりません。約束は変わりません。主の変わらない約束をつかみます。
 

Tuesday, April 14, 2015

神殿(教会)を建てるなら最高のものを、人々と共に(1KINGS7;23-51)

神殿(教会)を建てるなら最高のものを、人々と共に(1KINGS7;23-51)
今日のQT聖書箇所は、ソロモンの神殿の話から再び戻って、神殿の内部にある備品の製作についてです。1KINGSは、もともとバビロン捕囚の時に第一次帰還が解放される少し前に(BC561-537年ごろ)と言われます。ですから、第一次的に、バビロンから帰る前から、自分たちの正しいルーツはどこか?誰か、確認する目的があったと思われます。ソロモンの神殿、内部の器具を知っている人もあれば、知らない人もいたと思われます。すると、現在の私たちにも『文字だけを読んでは、遠い感じを受ける』神殿の建築、内部の器具も彼らも少し、いやもしかしたら私たちとにたシチュエーションだったかもしれません。①鋳物の海(SEA OF CAST METAL)は、12頭の牛の頭の上にありました、それは、イスラエル共同体のうえにありました。バビロン捕囚に連れて行かれた人々へのイスラエル民族のアインデンティの回復です、私たちも、共同体として神様の前に立っているでしょうか?主の前にクリスチャンとしてのアインデンティをも...って、神様の共同体として立っていきたい、と思います。礼拝の上に共同体の祝福がありますように。②27V:STANDS OF BRONZEがあり、雄獅子、牛とケルビムがあり、車輪もCAST METALでした。10個の洗盤など、青銅の道具、金の容器がありますが、ヒラムがソロモン王のリクエストにより製造したものがあり、他の人々が製造したものがあります、今朝、神殿のためにソロモンは、有能な人を用いて、最高のものをつくらせた、その時間を、人生を神様のために使わせたのだ、と思いました、真の神様のリーダーである、と思いました。私はどうでしょうか?教会には、いろんな人々がいます。ある意味で、すごいものを主から与えられた人々がたくさん眠っていることこがないでしょうか!?巨人が眠っているかも?!主への礼拝をその人々と作れたら、どれほどダイナミックな礼拝、主への栄光の礼拝、最高の神様へ最高のものをささげれるのでないでしょうか?そのために、私が器が神様によって大きくならないといけません、霊的な指導力、霊的な分別力、もっていないといけません。また、ダビデもソロモンは主のささげるものを用意していました、そのように、多くのものをあふれるほどにささげているのでしょうか?今日、主にささげる、共に育てる働きをしていきます。
 

Monday, April 13, 2015

成功が優先順位をゆるがせることがあってはいけない!(1KINGS7;1-22)

成功が優先順位をゆるがせることがあってはいけない!(1KINGS7;1-22)ソロモンは、主の神殿を建築して、自分の王宮を建築します(1KINGSでは、主の神殿建築の中に自分の王宮の建築記事が入ってきます)。それは、主の宮より倍近くの時間がかかり、しかも主の神殿と同じ材料を使ったり(12節)、①それは、恐れ多いことでないでしょうか?世の王様が自分の権力のために、維持のために立派な宗教の偶像を、宮をたてながら、自分の王宮を持ってすごくする、それと同じ道でないでしょうか?神様の国のリーダーは違っていないといけません、また、いつまでも主の僕でないといけません。②ソロモンは、レバノンの杉の宮殿をたてた、とあります、古代中近東では非常に高価なものであり、求めるのが難しいものです。家を与えられる、悪いものでなくて、必要なものです。しかし、それは、祝福を分かち合うものでないでしょうか?③神様の神殿以上に神経を使っているなら、どうでしょうか?何に神経を使うべきでしょうか?!主になる神にです、また任されている働きに忠実な僕でないといけません。④成功自体は悪いもので...ありません、でも、それが落とし穴になるのだったらどうでしょうか?⑤優先順位がすれてきていないでしょうか?成功が、祝福が、神様よりも世の中を愛することに、落とし穴になるかもしれません、気をつけたいと思います。⑥そして、世の中の王と同じ道は、多くの妾たちです!しかも、エジプトから違法の偶像を信じてる女性のために特別扱いをしました。それは、間違いなく、落とし穴になります、偶像礼拝、また神様よりエジプトを、この世の力をあてにすること、になります。⑦ソロモンは、素晴らしい像細工をするヒラムを呼び出して、自分の王宮を飾らせます。それは、リーダーシップとして『優秀な人材』を抜擢し、登用すること、素晴らしいことです。しかし、誰のために、何のために、用いるのか重要なことです。⑧ここまで、QTを黙想して、書きましたが、『成功』自体は悪いものでありません、誰しも、願うものです、しかし、それが、主への優先順位をはずしたり、高慢になったり、自分に栄光を帰したり、自分だけに使うのなら、かえって、痛い目、呪いにさえ代わってしまいます。いまの私には想像できないことですが、主が立てられた(ヤキン)、主に(よって)力がある(ボアズ)を告白する、私になっていきます。主と共に未来へ進みます。
もっと見る
 

Sunday, April 12, 2015

私の心のINNER SANCTUARY(1KINGS6;14-18)

私の心のINNER SANCTUARY(1KINGS6;14-18)主の神殿を立てるのに、7年かかって完成しました。その期間どれほど苦労、ささげもの、犠牲、献身があったことでしょう。でも、それら人間の苦労話が、下手な人間の苦労話が主の栄光をさえぎることはありません。今朝、至聖所を内装、工事を、立てる、きよめる、聖書箇所がQT箇所でした、今朝黙想したことは、①私の心の中のINNER SANCTUARYをきよめてください、②私の外見でなくて、心、人生そのものをきよめてください。③教会をきよめてください。④私の人生を、教会をきょめながら、たてあげてください。⑤主の栄光をさえぎらないようにさせてください、⑤主のGOALを目指して歩ませてください。⑥そのために、今日と言う日を歩ませてください、次を目指して歩ませてください。祈り、主日礼拝つかえて生きます。

何のために神様の神殿を建てるのか(1KINGS6;1-13)

何のために神様の神殿を建てるのか(1KINGS6;1-13)イスラエルの民は、出エジプトから480年、ソロモン王に即位してから4年目に、とうとう多くの準備、整えられることを経て、神殿建築にかかりました、そのデザイン、設計を書された部分を読みながら、どれほどこの設計に心がこもっていたのか?普通の教会の設計でも、いろんなこだわり、信仰を持ってつくるのに、神様のために神殿はどれほど期待して、最高の、最善のことをしたことだろう、と思います、また、どれほどうれしかったことであろう、と思います、ところで、主なる神様はこの神殿建築のときに「語ってくださいます」それは、神様の命令に歩み、守るなら、ダビデへの約束(永遠の王権、そしてメシアがこの王国の子孫から出てくる)ことでした。また、主がイスラエルの中に、民の中に共に住まわれることでした。神殿も、主が臨在されなければ、意味がありません。どんなに素晴らしい神殿を建てても、主への従順が泣ければ、主への共に生きることがなければ、むなしい宗教です。今日、教会を立てるときに、仕えるときに、主への従順、主への共に生きる祝福を受けていきます。
 

Friday, April 10, 2015

神の宮を立てるために美しい協力関係(1kings5;1-18)

神の宮を立てるために美しい協力関係(1kings5;1-18)ソロモンは、主の宮を立てるために自分たちの国にあまり資源のない、人々が技術のもっていない「杉の木材」と「もみの木材」を求めます。それは、ダビデ王の時からの関係をさらに祝福するものでした。主の宮を立てるために、①良い協力関係もしくは、同盟、時に下におもえることも、よく仕える美しい関係を持つ必要があります。先輩、後輩、同輩の関係、大切です。主にある信仰を持っている人は人間関係の中で、周りの関係の中で祝福を得ます。②ツロの王ヒラムは、ダビデの信仰、神を知っていました(彼が信じる、信じないは別として)神様の約束により、祝福されたソロモンの王朝、平和を知ります。主のビジョン、約束は時にバトンタッチをされていきます。主の働き、教会を立てることは、自分ひとりの力では出来ません、人の力では出来ません、主の約束があってこそ出来るものです。神様がダビデの時代で戦いを終わらせてくださったのです。そのことをダビデもソロモンも証しました。そのために、ヒラム王は主を賛美し、喜びました。良い証し人でありたいものです...。③大切なのは、主に与えられた知恵、人々を治める知恵です(7節)、究極的には、お金や権力ではありません。人々に仕える主からの知恵です、主に知恵を求めます。そのような主の器にしてください。④またソロモンが、払うと言う「杉の木材」またそのために働く人の賃金があります。主にささげものに、自分のささげ物、感謝なくて、どうしましょう?自分がささげなくてどうでしょう?、主に(人間的には)僅かなものでも、時間を、心をささげます、もっとささげる人にしてください、⑤ソロモンは最高のものをささげました、杉の木材、もみの木材は中東では高級のものです。切り出された石も、高価なものです。主にささげるもの、教会に持っていくものは最高のものでしょうか!⑥ソロモンは、多くの働き人、役割分担、をしていきます、教会は一人で出来ません、協力者、何よりもそれは利用の関係でなくて、平和の関係であり、美しい友情があります。協力し、役割をにない、共にするひとを与えてください、と祈ります。⑦ソロモンは、大変な準備をしました、今日、主にある準備をもって一日をしていきます。
 

Thursday, April 9, 2015

祝福の根源であるイエスを見ると自分を委託できる(1KINGS4;20-34)

祝福の根源であるイエスを見ると自分を委託できる(1KINGS4;20-34)どうして、私たちは自分の人生を預けることが難しいのでしょうか?どうして、自分の意のままにしたいのでしょうか。それは、主の下さる祝福を知らないからです。中東の小さい国であるイスラエルが、王政になって間もない国が、東の国である、知恵のスタートであるメソポタニアより優れた知恵をもてたでしょう。どうやって、文化が発達してたエジプトよりも勝る知恵があるのでしょう。神様以外に説明がありません。それは、心にかなう祈りをしてソロモンへの約束の答えでした。ハレルヤ!私たちはどうして、この約束をGETできないのでしょうか?人への忍耐を、環境への忍耐が出来ないからです。何よりも、神様ご自身への期待、神様ご自身への体験がないからです。神様の知恵がある人は、祝福がある人は日々とが尋ねてきます。単なる繁栄は人々が見学に来るだけです。でも、知恵のある人は人生になやむ人や困った人々が尋ねてきます。そこに、必要な答えを受けていきます。今日、主にある祝福、約束を期待して、主に委託する人生を歩みます。また、主にある知恵、準備をしていきます。
 

Wednesday, April 8, 2015

管理して整備するときを逃すな(1KINGS4;1-19)

管理して整備するときを逃すな(1KINGS4;1-19)今日のリビングライフそのままの題名なのですが、ソロモンがイスラエルをRULED OVER ALL ISRAELをした時に、ソロモンが自分の配下、各地の納める人を任命していく、聖書箇所が今日のQT箇所です。今日のポイントは、①時期、時間を逃さない人事配置(タイミングをはずすと大きな取り返しのつかないことになります)、②適材適所な、賜物別な、関係別な配置です。③意味のない急激な変化は、誰も耐えられなしついていけません。今日のリビングライフを見ると、ダビデ政権のところから大きすぎる変化でなくて、そのまま維持しながら進んでいるとあります。教会は、教職者一人でするところではありません。牧師一人で何とかなるスーパーマンでもありません。それでは、神様の国の共同体ではありません。また、与えられた賜物を使わないのは、もったいない人生です、私の与えられた時間、賜物、環境、空間、人間関係、用いて主のために使うことが出来ないといけません。そうでないと、人生はあっという間に過ぎてしまいます。今日、主のタイミング、適材低所の配置、奉仕をします、今日しか出来ない奉仕、タイミングを逃さず歩みます、また、今日出来ないことは、未来のために備えて生きます。また、奉仕者と共に友人を作っていきます。ソロモンにとって臣下もいながら、友人もいました、王様は孤独な存在ですが、友人がいたことがどれほど大きいことだったでしょうか!主にある友人を持って生きます。
 

Tuesday, April 7, 2015

低い者の神様の権威(1KINGS3;16-28)今日は、ソロモンが2人の遊女の子供がどちらが本当の親、であるのかを示す、有名なさばきの箇所です、神様がいかにソロモンを通して知恵を与え、ADMINISTER JUSTICEをされたか、と言う箇所です。しかし、今日リビングライフの解説にあるようにもう一つの部分は、遊女の方、というある意味で①イスラエルの暗闇の部分、②社会的に難しい問題、③人々が相手にしにくい人を最高権力者であるソロモンが自ら相手にして、単に頭の言いだけの知恵でなくて、まさに神様の知恵によって、心のある、暖かい、愛のある裁きをした、ということです。それは、もっとも(こういうと誤解を生みますが)低い、難しい、相手にするのも大変な、人への神様からの愛、権威です。そこに、ソロモンが『まさに、神様からの知恵だと恐れるような』人々が恐れる裁きをすることができました。今朝、思わされたのはCHに来る方々の中で、いろんな人に、神様の愛から、神様の知恵からADMINISTER JUSTICEができるように、よいうことです、難しいし、大変ですが、自分じゃ本当に出来ないな~低い者の神様である主の前に、自分がまず低いものとして仕えていきます。主にある権威の前に仕えていきます。
 

OBEDIENCE IS WISDOM(1KINGS3;1-15)

OBEDIENCE IS WISDOM(1KINGS3;1-15)ソロモン王は、神様の愛を示して多くのささげものをしました、何よりも、量が問題でなくて『礼拝』をした、ということです。そこで、神様はソロモンに現れてくれました。そこで、何を求めるのか?ということを言われた神様に『善悪を判断してあなたの民を裁くために聞き分ける心(英語では形]眼力のある, 洞察[識別]力のある;((the ~s))((名詞的))見識[眼力]のある人a discerning )をしもべ(この姿勢、態度、心が良いですね!)に与えてください、さもなくば、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか』と求めます。それは、神様の心にかないました、いま、どれだけ、わたしは指導者としてこのような心で持って仕えることをしているでしょうか。まだまだ足りません、正直!かなり!今朝、真摯に求めます。discerning HEARTを与えてください。主なる神様は、ソロモンにこの祈りに答えて、更に大きな繁栄と祝福を与えられました。また、今日のQTのもう一つの部分、神様の前を『誠実』と『正義』と『真心』をもって、歩んだダビデと同じように歩むなら、あなたの日を長くしようと言われます。今日、人格を持って仕えることが出来るように、不足で、弱く、必要のあるわたしを変えていってください!
 

Sunday, April 5, 2015

イースターは、わたしを『急いで走らせる』(マタイの福音書28章1-10)

イースターは、わたしを『急いで走らせる』(マタイの福音書28章1-10)イエスの復活を信じていなかったマクダラのマリヤと他のマリヤたちは、明け方にイエスの墓に行きました(でも、人間的だけど本当にイエスを愛している姿でもありますね)。そこで、天使が降りて、墓の石を取り除けます。そして『前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て収めた場所をごらんなさい』6節、『ですから、急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせない。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたはそこ、お会いできる、ということです。では、これだけはお伝えしました』イエスが復活される、’と旧約聖書にも、イエスの預言にもされていましたが、女性たちも、弟子たちも信じていることが出来ませんでした、期待していることが出来ませんでした。しかし、現実にイエスが復活されたことを知り、彼女たちは『そこで、彼女たちは恐ろしくはあったが、大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った』8節、イエスの復活を聞いて、知って、じっとしているのは逆におかしいことです、こんなにエキサイトなことは、歴史上、わたしの人生に無いのに、だまって、座り込んでいることが難しいはずです、ゆっくり、話しに行くのも違う話です、叫び、急いで伝えずに、入れません、歩いてでなくて、走って伝えに生かせます。イースターは、イエスを伝えに走らせます。人々に叫びに、宣布しに生かせます。今日、主イエスの復活を叫びます。
 

Saturday, April 4, 2015

もう終わりで良いだろ!(受難週QT:第一ペテロ4;1-8)

もう終わりで良いだろ!(受難週QT:第一ペテロ4;1-8)1節『このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は罪とのかかわりを立ちました』十字架のイエスは言われます、もう罪のかかわりはいいだろ、終わりにしな!わたしがそのために十字架で肉体の苦しみを受けたのだから、も終わったことだよ!これから、話にならない、比較にならない、素晴らしい人生を生きよ!と復活の主イエスは行言ってくれます。2節『こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためで無く、神の御心のために過ごすようになるのです』罪は断ち切られた、古い自分は終わった、戻りたくない過去の自分、終わった、わたしが十字架で終わらせたよ、だから使命を持っていきよ!立ち上がれ!と言ってくださいます。時に、昔の悪い、習慣、罪、友からなぜ、昔みたいに付き合わない、と非難されたり、誘惑されたりするかもしれません。しかし、生きるものと死ぬものをさばき神様を恐れる方に、人生の決算書を出さないといけないことを知っている人は、そんなことに止まられずに、まっしぐらに神様のくださった、復活の栄光の使命の人生を走ります。今日、昔の自分、古い習慣の罪から自由になり、復活のイエスを伝える、教える、生きる使命の人生を行きます。ハレルヤ!主イエスは復活されました、何を恐れますか?!死と悪の権勢を破ったイエスを賛美します、礼拝します。
 

Friday, April 3, 2015

罪びとの間に共に十字架につかれたイエス(ルカの福音書23;33-46)

罪びとの間に共に十字架につかれたイエス(ルカの福音書23;33-46)今日は、GOOD FRIDAYです。38節『どくろと呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスを犯罪人とを十字架につけた。犯罪人の一人は、右に、一人は左に』イエスは犯罪人とともに十字架につけられたました。それは、罪のない人が十字架につけられたことを意味します。犯罪人の十字架は彼らの罪の結果でした。しかし、イエスの十字架は自分の罪や理由があるのでなくて、人類すべての罪を背負って十字架にかかったのでした。それは、まるで「どぶの汚染水のようなところ」の真ん中に「まるで白いバラが」置かれたようでした。神様の子であるイエス・キリストが十字架につけられて、私たちの罪を背負い、呪いを受けられました。(木にかけられたものは呪われたものといわれる、旧約聖書)しかし、イエスはのろいを受けられた、というより『呪いそのもの』となられた、ということです。そこには、民衆たちが「ながめていて」指導者たちは「あざわらい」ローマの兵隊たちが「あざけり」をしたのです。この中で、誰も私の罪の代わりがイエスの十字架...と分かった人も、自分が今イエスを十字架に書けた、ときずいた人もいません。指導者さえもです。①指導者たちが彷徨うと民も彷徨います。指導者が私欲のために生きると民たちが苦しみます。今日、神様を恐れる指導者に、悔い改める指導者にしてください、と祈ります。また、アメリカの指導者たちが神様を知り、恐れますように、と祈ります。キリストに出会う人こそリーダーです。ところが、今日、人生の最後の瞬間にイエスに出会ったのは、②犯罪人の一人だったのです。彼は最初は一緒になってイエスをあざけったのに、途中で自分の罪を認め、だから十字架にかかっていることを認め、しかし、イエスが罪を犯したことのない方であることを知り、『あなたの御国の位にお付になるときは私を思い出してください』と言ったのです。それに対して、イエスは「まことに、あなたに告げます。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と救ってくださったのです。③イエスは最後まで伝道されました、なんと感動的なことでしょうか!最後まで人の救いのためにゆるし、愛されました、今日、主イエスの救いを最後まで伝える私にしてください、と祈ります。主よ、あなたは最後まであわれみ深く、ゆるし、最後まで魂の救いのために歩まれました、その恵みを私にもください。そして、主イエスは46節『父よ、わが霊を御手にゆだねます』といって、息を引き取りました。④イエスは最後の瞬間まで、父なる神様に従順する人生でした。最後まで、神様の心を行う人生でした。そのために、神様と私(たち)の隔ての陰が取り除かれたのです。主イエスの死が、私たちに祝福となったのです。今日、主に従う祝福を与えてください、私の自我が死ぬ祝福、神様の心を行う祝福を回りに流す人にしてください。
 

Thursday, April 2, 2015

緊急の祈りのとき(マタイ26;36-46)

緊急の祈りのとき(マタイ26;36-46)今朝は、主イエスのキリストのゲッセマネの祈りの聖書箇所が、QTです。39節『わが父よ、できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのままになさってください』イエスは十字架の前に、①正直に祈られました、でもそれは人格的な信頼があってこそ、できることです。心と心の会話を祈りで父なる神様となされました。私は日ごとに父なる神様と心の会話をしているでしょうか。②しかし、主の心のままになさってください、と祈られました。それは、杯(神様の怒りの杯)を罪びとの代わりに飲むことでした、しかし、主イエスは父なる神様の心に従われました。クリスチャンにとって大事なことは(それは、この時代にはやらないことかもしれません)従順すること、キリストの心に自我が砕かれることです。それは、時に訓練のようなときに思えますが、神様の信頼、愛から来るものです。苦しいように思えますが、明け渡すときに、信じられない平安がやってきます。私は、主に明け渡して自我を処理しているでしょうか!この...受難週、主イエスの自我が砕かれる祝福を受けたいと思います。イエス・キリストは十字架にかかる前に、決死の祈りをされました。日常と違う緊急の祈りをされました。弟子たちも伴われて、祈りました。ところが、今日のもう一つのTOPICは弟子たちが心は燃えていても、体は弱く眠ってしまったことです。つかれてしまったのです。しかし、イエス・キリストは疲れていなかったでしょうか?弟子たちに以上につかれていた事でしょう。それは、人間の力では出来ない聖霊による祈りでした。今日、実はすごくつかれていました。しかし、今日は祈りのとき、それを逃さないようにします。祈りのときが終わると『人の子が渡されるとき』が迫っていたのです。それなら、祈りのときがなくなるのに、どうして祈らずにいれますか?!今日、主に会って祈ります。私のために、教会のために、LAのために、
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Wednesday, April 1, 2015

私を生ける神に仕えさせるキリストの死(ヘブル人への手紙9;11-22)

私を生ける神に仕えさせるキリストの死(ヘブル人への手紙9;11-22)今日のQT箇所は、対照になっています。①OTの、人間の作った幕屋、やぎと子牛の血によって聖所に入る人間の大祭司、やぎと雄牛の血、牝牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、聖めの働きをして肉体を聖める、はじめの契約(旧約聖書の契約)②NTでは、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神様におささげになったその血は、どんなに私たちの良心を聖め、死んだ行いから離れさせ、主なる神に仕えるものとすることでしょう。新しい契約(内容は変わりませんが)の仲介者であるキリストが始めの契約の違反(人間たちが契約を、神様の約束を守れないために、律法を守れないために、キリストがその違反の責務を負ってくださったのです。ハレルヤ!)今週の受難週のメッセージは私の救いのために、OT旧約聖書では人間が作った幕屋に人間の祭司が立てられて、何度も、やぎや牛の血により、罪の贖いをしました。でも、それでは完全にきよめることを出来ませんでした。外見はきよめても、その心が変わる、内面が変わることがありません、いや、で...きませんでした。ところが、そのはじめの契約の違反を補うために、永遠の祭司、人間でなくて、神様の子であるイエスが祭司として、しかも、ご自分の血で私たちの罪を十字架において一度のみで、贖ってくださったのです。それは、イエスの血無しに、犠牲無しに、ありえないものでした。それは、死んでこそ有効なものでした。イエスの血潮は、私の人生を変えます、私の心を変えます、私の内面を変えます。人間の作った幕屋では、そこでの贖いでは外見を聖めて、変えても、本当の内面を変えることが出来ませんでした。しかし、旧約聖書の幕屋、あがない、儀式、それらはイエスの来られること、イエスの贖いを予型、予表するものでした。悪いものでありません。しかし、それでできなかったことをイエスがしてくださいました。今日、思わされたのはイエスは救うだけでなくて、私の人生を変えてくださったこと、私の内面を、生き方の目標を下さったことです。今日、死んだ行いから離れて、今日も生きる神様に仕えていきます。いままで、死んだ行い、罪の奴隷だったのが、自分の弱さの奴隷だったのが、イエスによって強く、主の奴隷として、義の奴隷として生きていきます、そのしゅイエスを賛美します。