Thursday, September 8, 2016

創世記6章1-14節、誘惑の中でも希望の人になれ LAジュビリー教会 牧師 北野実


創世記6章1-10節、使命を持って箱舟に乗り越め! LAジュビリー教会 牧師 北野実


創世記6章13-22節 実行する信仰 LAジュビリー教会 牧師 北野実


創世記5章1-32節 祝福の流れを継承しよう LAジュビリー教会 牧師 北野実


創世記4章16-26節 祝福の人、祝福の家門に立て Laジュビリー教会 牧師 北野実


創世記4章5-15節、罪の自己正当化を打ち破れ LAジュビリー教会 牧師 北野実


創世記4章1-5節、神様との出会いの場所、時、礼拝 Laジュビリー教会 牧師 北野実


創世記3章21-24節 懲らしめも主の愛です LAジュビリー教会 牧師 北野実


創世記3章1-15節 主の権威に立つときに誘惑に勝利できる LAジュビリー教会 牧師 北野実


自分を何のために使うのか?(ローマ人への手紙6章12-23節)


6:12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。6:13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。6:14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
6:15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。6:17 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となったのです。6:19 あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。6:20 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

使徒パウロは、あなたがたの体を罪の支配にゆだねるな、情欲に従うな!と言います。そして、あなたがたの人生を不義の器として罪にささげるな、と言います。神様によって死から救われたものとして、義の器として神様にささげなさい、と言います、命令します。私たちは、せっかく死から救われた人生を何に使うのでしょう?救われた、与えられた、人生という時間を、何のために、GOALはどこに向かって走るのでしょう? 恵みの下にあるのだから、罪を犯してもいい、という好き勝手な生き方、自由奔坊な生き方でなくて、間違ったご都合主義のリベラルな人生なくて、神様に与えられた、せっかくのチャンスを、主イエスのために生きよう、義のために歩もう、といわれます。罪の奴隷であること、生きることの結果は死です。しかし、義の、神様の奴隷にいくつくところは聖潔であり、永遠の命です、どちらを選ぶのがいいのかは明らか、です。今日、神様のために喜んで、義の奴隷として、福音をもって使えます、伝道し、生活の場で証をしていきます。主よ、用いてください。

福音を伝えたい、喜びをもってGOOD WORKせよ!(ローマ人への手紙1章8-17節)

1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
 パウロは、まず(最初に!)ローマの教会の人々の信仰が全世界に知れ渡っている、ことを感謝します。そんな彼らを聞いて、何とかあって、ともに信仰を持って成長したい、励ましあいたい、自分の霊的なGIFTをもってローマ教会の人々を強めたい、と祈り、願います、その思いを伝えます。そして、その背後には、パウロのHOW CONSTANTLYの祈りがあります。いつも祈っている、とりなしの祈りの基本の姿勢があります(これって、本当に難しいことですね!でも、チャレンジしましょう)その中で、今朝、与えられた思いは福音を伝える交わり、BIBLE STUDYをできるように、という祈りでした、もちろん、祈りで終わらずに、祈りをもってチャレンジしていきます。