Friday, February 28, 2014

何を残すのか?神様と永遠に生きることが残る

今朝のQT:第一サムエル14;52「サウルの一生の間、ぺリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その者をみな召抱えた」サウルの基準が分かる一言です。また、彼の人生がどのようであったのか?話す聖書の言葉です。ぺリシテ人(パレスチナ)からイスラエルを守るのは非常に大事なことであり、大きな業績でした。しかし、ここに神様がサウルを立てて、とかサウルに力を与えとか、でてきません。信仰を持って何したとか、ヨナタンのように出てきません。サウル王は従順せずに、祭司のすべきささげものを勝手にささげたために「永遠の王様としての家」を失ってしまいました。果たして、私はどうでしょうか?業績、成績をのこすることは大事です、しかし、神様が共にいてなされた、神様の奇跡を味わった、という人生でありたい、と思いました。残すものは、神様のみわざである、と思います。神様と永遠に生きた、という人生である、と思います。今日、神様と共に歩んで生きます。

祈る一人の人は、祈らない一つの民族より強い


今日のQT,第一サムエル14;1-2「ヨナタンは、道具持ちの若者に言ったさあ、向こう側のぺリシテ人の先陣のところへ渡っていこう」~2節「サウルはギブアのはずれの、ミグロンにある、ざくろの木の下にとどまっていた。彼と共にいた民は、約6百人であった」勇気あるヨナタンは、道具持ちの若者(戦士でなく)ぺリシテに渡っていきました。事は人数の大小でなくて、勇気ある人、主に従う人、信仰のある人によって決まります。ヨナタンは6節「主がお救いになるのに妨げになるものは何も無い」と告白し、宣言します。また、道具持ちも「心のままに」と従います。ついていく人に祝福があります。今日、私と私の奉仕する開拓教会が人数の大小でなくて、神様の従う、勇気、信仰を持って歩んでいきます。「祈りの無い民族より、祈る1人が強い」ことを実感します。神様の心のままに、勇気を持って歩みます。

宗教に頼る人はかけをする、イエスを信じるものは真実に生きる(サムエル第一14;24)

今日のQT:サムエル第一14:24 その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。サウルが民に誓わせて、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる。」と言い、民はだれも食物を味見もしなかったからである
「その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。サウルが夕民に誓わせて夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者は呪われる」、と言い、民は誰も食物を味見もしなかったからである。神様に信頼できない人は、「ちかい、かけ、まじない、」に頼ります。おまけに、宗教に頼ります。目先のことだけしか見れません。不確かな現在に、状況だけしか見れません。今、目の前にある時間だけ見てかえって損します。食事をして攻撃するほうが力があるのに、あせりがあり、考えることが出来ない...のです。それは、本当の収穫を蹴ることのできない人生です。神様の真実な愛に頼る人は安心とまことのリーダーシップがあります。サウルはぺリシテへの攻撃を非効率的にしただけでなくて、あとで大事な息子、勝利の手役者、信仰の人、勇気あるヨナタンを失うところでした。民たちも飢えて「分捕りものをしたときに血のまま食べて、主に罪を犯す」ことになりました。宗教(RELIGION)で生きるからです。はたして、私はどうでしょうか?神様の愛に頼り、進んで生きます。目先のことをしよう、しようと、あせりそうになりますが、もう一度、神様の愛(RELATIONSHIP)に頼り、信じて生きます。もっと見る