Thursday, June 30, 2016

霊的なリバイバルを求めよ(まず、礼拝者を立てよ)(ネヘミヤ12;1-30)

どうして、祭司やレビ人のリストを特別に書いたのでしょうか?それは、礼拝のためです、いくら城壁が再建されても、町が再建されても、信仰の共同体であるイスラエルの債権は、霊的な回復、霊的なリバイバルがあってこそ、です。第一次帰還、第三次帰還と帰ってきたイスラエル人は、何のために戻ってきたのでしょう?何の元に戻ってきたのでしょう。それは、神様の元に戻るためです、神様が戻してくださったのです。このリストは、ヨシュアの時代、エホヤキムの時代、エルヤシブの時代に、エホヤキム、ならみ総督ネヘミヤ、エズラの時代にわけて祭司を、はたき人のリストを書きます。まことのリバイバルは、霊的なリバイバルから来ます。商業的な、ことから’くるのであれば、同じようにイスラエルは滅びます、そのために、聖い礼拝者、そのために使える人々を立てるのが先立ったのです、今日、まずは私からきよめられて、主に仕えるよう祈ります、また、祈りつつ、賛美、礼拝の奉仕者をたてていきます。
1 シェアルティエルの子ゼルバベルとイエシュアと共に上って来た祭司とレビ人は、次のとおりである。セラヤ、イルメヤ、エズラ、12:2 アマルヤ、マルク、ハトシュ、12:3 シェカンヤ、レフム、メレモト、12:4 イド、ギネトイ、アビヤ、
12:5 ミヤミン、マアドヤ、ビルガ、12:6 シェマヤ、ヨヤリブ、エダヤ、
12:7 サル、アモク、ヒルキヤ、エダヤ。以上、イエシュア時代の祭司長とその仲間である12:8 レビ人では、イエシュア、ビヌイ、カドミエル、シェレブヤ、ユダ、マタンヤ。この彼とその仲間が賛歌の責任を負い、12:9 バクブクヤとウンニおよびその仲間が彼らの前で任務に就いた。12:10 イエシュアにはヨヤキムが生まれ、ヨヤキムにはエルヤシブが生まれ、エルヤシブにはヨヤダが生まれ、12:11 ヨヤダにはヨナタンが生まれ、ヨナタンにはヤドアが生まれた。12:12 ヨヤキム時代に祭司で家長であった者は、セラヤ家のメラヤ、イルメヤ家のハナンヤ、12:13 エズラ家のメシュラム、アマルヤ家のヨハナン、
12:14 メリク家のヨナタン、シェバンヤ家のヨセフ、12:15 ハリム家のアドナ、メラヨト家のヘルカイ、12:16 イド家のゼカリヤ、ギネトン家のメシュラム、12:17 アビヤ家のジクリ、ミンヤミン家、モアドヤ家のピルタイ、12:18 ビルガ家のシャムア、シェマヤ家のヨナタン、12:19 ヨヤリブ家のマテナイ、エダヤ家のウジ、12:20 サライ家のカライ、アモク家のエベル、12:21 ヒルキヤ家のハシャブヤ、エダヤ家のネタンエル12:22 エルヤシブ、ヨヤダ、ヨハナン、ヤドアの時代にレビ人は、その家長が祭司と共にペルシアの王ダレイオスの治世まで記録された。12:23 レビ人の家長は、エルヤシブの子ヨハナンの時代まで、年代記に記録された。12:24 レビ人の頭はハシャブヤ、シェレブヤ、カドミエルの子イエシュアと、その前に立って神の人ダビデが命じたように、交替で賛美と感謝を唱えた仲間たち、12:25 マタンヤ、バクブクヤ、オバドヤ、メシュラム、タルモン、アクブ。彼らは城門にある倉庫の警備に当たる門衛たちである。12:26 以上の人々は、ヨツァダクの孫でイエシュアの子であるヨヤキムの時代、長官ネヘミヤと祭司であり書記官であるエズラの時代に奉仕した。

Wednesday, June 29, 2016

ささげる習慣作りをしよう(ネヘミヤ10;32-39)

10:32 われわれはまたみずから規定を設けて、われわれの神の宮の用のために年々シケルの三分の一を出し、10:33 供えのパン、常素祭、常燔祭のため、安息日、新月および定めの祭の供え物のため、聖なる物のため、イスラエルのあがないをなす罪祭、およびわれわれの神の宮のもろもろのわざのために用いることにした。
10:34 またわれわれ祭司、レビびとおよび民はくじを引いて、律法にしるされてあるようにわれわれの神、主の祭壇の上にたくべきたきぎの供え物を、年々定められた時に氏族にしたがって、われわれの神の宮に納める者を定めた。
10:35 またわれわれの土地の初なり、および各種の木の実の初なりを、年々主の宮に携えてくることを誓い、ネヘミヤは、主にささげるものを決めます、それは、習慣的に、定期的にするものでした、ネヘミヤは非常に具体的な人です、信仰が漠然としていません。具体的に、主にささげて、主に仕える人々をささえ、礼拝のために準備、ささげるもの、OFFERINGを準備し、させます。
礼拝生活の回復は、律法どおりに書かれているように、聖書にか書かれているとおりに、毎年、決まったときに、神様の宮に持っていくようにさせます、私たちの礼拝は、おかしい、足のつかない理想主義、夢、でありません。主の前にささげる習慣作り、献金を土曜日に準備すること、また、給料をもらって最初にささげものを別にすること、それは、すごく大事な主へのささげもの習慣、日常生活です。それは、信仰を生活の中で体験することです。先日、ある友人の牧師先生が言いました、献金することは、本当にその人が主イエスを、救い主を、自分の主としているのか?どうか示す、と。わたしのじんせいを救われた神様、体、健康、時間、お金を下さったのです、思いっきり好きに使いなさい、と。それは、自らの意思でささげること、喜んですることです。今日、主にあるささげる人生を歩み、伝えます。

Tuesday, June 28, 2016

高慢になる人のつけ

今週からリビングライフのQTは、オバデヤ書です、NTのピレモンへの手紙同様に短い個所であり、内容はイスラエルを助けない、高慢なエドムへの裁きです。ちなみに、オバデヤの預言するエドムとは世界的遺産のペトラのある場所でもあります。
ここは、映画:インディアナジョーンズ最後の聖戦の撮影地として有名です。このペトラは現在のヨルダンにあり、谷間、峡谷を数km入っていくと忽然と現れる遺跡です。この遺跡は数世紀忘れ去られた存在で、大きな発見でした(私も10年前に行ったのですが、まさに突然現れる遺跡に不思議を感じました)。ここに住んだエソウの子孫たちの総称であるエドムは、1;14節「あなたは岩の裂け目に、高いところに住まいとし、誰が私を地に引きずりおろせようか』と言っている。とエドムは高慢に言ったのですが、神様の裁きは下り、誰にも忘れられてた存在になったのです、今日のメッセージは「高慢になるな!」です。高慢とは神様なしでやれる、生きていける、ということです。自分がやった、だけで生きることです。周りの人々の愛と恵み、忘れて、何より神様を忘れて生きることです、果たして、私たちどれほど謙遜に生きていることでしょう?今日、主の前に謙遜に、恵みでいきていきましょう。

Thursday, June 23, 2016

自ら模範を示す、そこまでしなくてもいいのに、と思うときに主の悔い改め、回復が来る

5:5 現に、私たちの肉は私たちの兄弟の肉と同じであり、私たちの子どもも彼らの子どもと同じなのだ。それなのに、今、私たちは自分たちの息子や娘を奴隷に売らなければならない。事実、私たちの娘で、もう奴隷にされている者もいる。しかし、私たちの畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、私たちにはどうする力もない。」
5:6 私は彼らの不平と、これらのことばを聞いて、非常に怒った。
5:7 私は十分考えたうえで、おもだった者たちや代表者たちを非難して言った。「あなたがたはみな、自分の兄弟たちに、担保を取って金を貸している。」と。私は大集会を開いて彼らを責め
5:10 私も、私の親類の者も、私に仕える若い者たちも、彼らに金や穀物を貸してやったが、私たちはその負債を帳消しにしよう。
5:11 だから、あなたがたも、きょう、彼らの畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家、それにまた、あなたがたが彼らに貸していた金や、穀物、新しいぶどう酒、油などの利子を彼らに返してやりなさい。」
 イスラエルの民たちは、貧しい自分たちの兄弟から、バビロンから帰還してきた、犠牲を払ってきた人々(彼らにとって経済的な危機、人生の危機、壊れる寸前の人生でした、しかもイスラエルにやってきたのに、エルサレムの城壁の再建のために、主にあって戻ってきたのに)から、担保を取って金を貸しました。これは、明らかに律法違反で(レビ25;48,35-36)した。ネヘミヤは、神様の言葉を守らずに生きた人々を感情でなくて、時間と場所を選んで、大集会の前で責めて、悔い改めと返すように、いいます、しかも、自分が間違いを行っていないのに、自分がかしたものをゆるし、帳消しにする、といいます。それは、非常に大きな量のGIVE BACKでした。しかし、それは、「信仰」を持ったイスラエル共同体の「行い」をもった、生き方の宗教改革でした。それは、自らしなくてもいいのに、そこまでしなくてもいいのに、自らがする主の言葉通りにいきる、する、ことの模範が彼らを主に従うように導き、主に従う約束をさせました。ネヘミヤのすごいリーダーシップと行政能力でもありますが、彼の人生の告白から来るリーダーシップです。神様を恐れて、神様のルールを守り、愛する、使える共同体を目指して、教会の奉仕をしていきます。

リバイバルを求めているか!?(ネヘミヤ9;1ー8)


9:1 その月の二十四日に、イスラエル人は断食をし、荒布を着け、土をかぶって集まった。9:2 そして、すべての外国人との縁を絶ったイスラエルの子孫は立ち上がって、自分たちの罪と、先祖の咎を告白した。9:3 彼らはその所に立ったままで、一日の四分の一は、彼らの神、主の律法の書を朗読し、次の四分の一は、告白をして、彼らの神、主を礼拝した。
イスラエルの民は、立ったままで、主の前に断食をして、悔い改め、祈り、礼拝しました。一日の4分の一は、たったまま聖書を朗読し、聴き、告白をして、主を礼拝しました。まことの礼拝は、ありのままで神様の前に出ることから始まります、悔い改めからまことのリバイバルが始まります。格好をつけているのは、違います、主のまえに出るとき、そのきよい神様の前に出るときに、自分のありのままに、きたない、穢れた、においのする、罪が示されます。そこへ、悔い改めと、何よりも神様の清め、十字架の許しがないと神様に出会えません。そして、まことの礼拝は、みことば、聖書への渇望へ導かれます。聖書をもっと読みたい、知りたい、神様に出会いたい、神様の心を知りたい、行いたい、いや、’行わせてください、となります。また、今日のネヘミヤのリバイバルはたったまま、礼拝をした、ということに霊的な熱さ、熱心を感じます。まるで、今でいうなら中国の地価教会で聞く霊的なリバイバル集会です。ふと、思いました。私たちはこのような、霊的なリバイバルを求めているのだろうか?このような霊的な熱さ、熱心を求めているのだろうか?時間がたつのも忘れて、使えることを願っているのだろうか?恵まれる集会なら、もりあがる集会ならあります、涙を流して、感動する、ならあります。しかし、このような霊的なリバイバルを求めているのでしょうか?今朝、今週、主のリバイバルを求める祈りをしていきます

警告を心に留めるなら誠実な神様が待っている(ネヘミヤ9;32-38)

警告を心に留めるなら誠実な神様が待っている(ネヘミヤ9;32-38)
9:33 私たちに降りかかって来たすべての事において、あなたは正しかったのです。あなたは誠実をもって行なわれたのに、私たちは悪を行なったのです。
9:34 私たちの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちは、あなたの律法を守らず、あなたの命令と、あなたが彼らに与えた警告を心に留めませんでした
ネヘミヤたちは、自分たちの罪と先祖たちの咎を告白し、悔い改めるときを持ちました。その時に、逆に対比されるのが、イスラエルの民を、信仰を持つ民を真実に導く神様の態度、恵み、の数々、です。エジプトから奴隷であったイスラエルを連れ出し、イスラエルの国を興し、祝福された方、です。しかし、イスラエルの民たちは、先祖たちは多くの不信仰、不従順をしました、多くの罪を犯しました。そのために、バビロンによりイスラエルの国は滅ぼされて捕囚にされました。そして、エルサレムの廃墟のような状態になったのです。これは、イスラエルの民にとっても、大きな困難でしたが、何よりも神様にとって大きな損失でした。古代中近東では、イスラエルの信じる神様が侮られることになるからです。それなら、神様がイスラエルの民を捨てて、裁き、別の民にすれば早いのですが、それをなさらない真実な、義なる、愛の神様なのです、ネヘミヤと民たちは、神様の恵みと真実さの前に、自分たちの罪を告白し、悔い改めます。今日、思いました。神様の警告を無視すると大変なことになる、ということ。そのままいったら大変なことになる、ということ。そして、悔い改めの前には真実な神様が待っていてくださる、ということです。何と素晴らしいことでしょうか?!神様は真実に、愛し、悔い改めるをものを捨てずに、きよめ、変えてくださいます。しかも、愛してくださいます。今朝、自分自身が素直に悔い改めること、そしてある人に連絡してあげることにします(神様の警告を聞いて、神様の愛の前に悔い改めることができるように)。
 

地上では旅人(ネヘミヤ8;13-18)

8:13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。8:14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した
 ネヘミヤと民たちが城壁を再建した後に、起こったのは霊的なリバイバルです。聖書を読み、理解し、悔い改め、賛美し、礼拝しました。しかし、それは一日で終わらずに、アンコールがもっとすごいことになりました、霊的なリバイバルはイベントで終わらずに、更なる霊的な渇望を起こします。→①ここから学べることは何でしょうか?私たちは、もっと聖書を読みたい、と思っているでしょうか。救われて聖書を読み続けたことはどこにあるのでしょうか?もっと、神様の声を聞きたい、と思っているでしょうか。救われてローマ人の手紙を読み続けたことを思い出しました、そのたびに感動があったことを思い出しました。聖書を読みます。また、学者エズラが読んだ聖書に、仮庵の祭りをお行わないといけない、知った民たちは今まで行われていなかったことを悔い改め、行います。→②適用です、私たちは、みことばがわかったら、今までしていなかったことは悔い改め、今日、今からできます、する必要があります。昨日まで神様のみ言葉従っていなかった、じゃ、今から従うのです。また、仮庵とは(SUKKOT)英語NIVではtemporary shelterです。私たちの地上の人生は、④永遠のものでありません、永遠は天国のものです。地上は一時的なもので、私たち旅人です。⑤ はTENTで生きることができない、もろい、一時的な、常に動きやすいものです。神様の恵みなしに、地上の人生は生きれないことを告白して生きていかないといけません。⑥神様の出会う場所、をもちながら地上の人生を行きます。そして、⑦天国を目指して生きていく目標があります。地上では旅人の人生を歩みます。

Wednesday, June 22, 2016

力を集めるときにSPEEDの奇跡も起こる(ネヘミヤ6;15~7;4)

6:15 こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。
6:16 われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである
ネヘミヤたちは、敵の攻撃、内部の攻撃(非難、後ろからのかく乱)の中でも、城壁の再建をわずか52日でしました。それは、ネヘミヤの①4ヶ月の祈り(王様に願い出る前に)、③エルサレムに到着してからの一人での早朝調査、準備、②王様への具体的な願い、条件、④具体的な、実際的な城壁再建の役割分担、⑤ネヘミヤの卓越したリーダーシップがあります。でも、何よりも大きいのは、神様のために心をひとつにして、働きは分担して使える中で、神様がなさった、ことにあります。教会も、いろんな準備を最善にする必要があります。しかし、神様がなさらないと何も起こりません。私たちの敵、周りの諸国民はみな恐れ、とあります。工事が神様によってなされた、ことを知ったからです。教会も、主の働きがあるときに「恐れ」がいい意味であります。神様は侮られる方でありません。主の教会も、小さくも、大きくも恐れがあります、今日、主の働きを信じ、ベストを尽くし、主の恐るべき働きがなされることを信じ、奉仕します。時間がかかる、かからない、決めずに主の働きを期待します。(写真はLAドジャーズのクレイトン・カーショーのスパイク)

自ら進んで、不便を享受する人・(ネヘミヤ11;1-14)

11:1 民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。11:2 すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した
イスラエルに帰ってきた人々の中で、自らエルサレムに住む人々がいました。彼らは廃墟同然だったエルサレムに住むことを決心しました。それは、不便、難しい生活を自ら甘んじて、受ける決心です。その理由は、エルサレムが神様を礼拝する場所だからです。何よりも彼らの故郷だから、です。しかし、それは甘い理想的な、ことよりも現実的な戦いが多かったはずです。もちろん、そのように献身する人を主は祝福されます、しかし、それは明日の聖書箇所です、計算してささげる、取引するものであります、まず、主にゆだねてささげます。今朝、生活の不便よりも、まず神様を礼拝すること、使えることを祈ります。神様に使える人の献身と回復を持って、適用は、①祈りの献身を別にさらに多く夕方、お昼と時間をとります、②また、祈りの時間ともに聖書を読みます。聖書通読をします(OTのヨブ記通読)、③路傍伝道に火曜日、木曜日と出ます。

Tuesday, June 14, 2016

協力しない人の記録と私の教会掃除(ネヘミヤ3;1-14)

:5 その次に、テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった。今日のQTは、ネヘミヤとともにエルサレムの城壁の再建をした人々の仕事と分担のリストです。こういう聖書箇所って、「ちょっと、難しい」?と思ったり、果たして「自分に関係があるのか?」思うときがあります。ところが、ふと、気にとまった聖書箇所がありました。それは、5節の「すぐれた人たちは~協力しなかった」という箇所です。あ~世界のベストセラーである聖書に「協力しなかった」と後々まで記録されるなんて、何と不名誉なことだろう、思いました。しかも、優れていても「協力しない」という言葉で残されるなんて、その人の心が現れるな、何と恥ずかしく、もったいないことだろうか、と思いました。でしょう。その瞬間、私にとって「はっとしたこと」がありました。それは、教会の掃除のことです。礼拝の部屋(私たちの部屋は日本語とスパニッシュが共用しています)を掃除した時に、スパニッシュの方々が食事をした後、片付けていない、残したままの掃除をしていない汚い部屋を掃除した時がありました。少し「なぜ、ここまで」という不満があったのですが、今日のQTをして神様が見ておられることを思い出しました。
聖書に「優れていても協力しなかった」という人々を見て、あ、私がそうならないように気をつけなくちゃ、神様の仕事に、心から協力、仕える、同調していこうと思いました。今日、喜びを持って掃除をします、主は見ておられることを覚えて。
 

神様のために、心と力を集めて、働きは分かち合う。

神様のために、心と力を集めて、働きは分かち合う。
DOING CHURCH AS A TEAM(今日のQT)
ネヘミヤ3;1-14、
3:1 こうして、大祭司エルヤシブは、その兄弟の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、とびらを取りつけた。彼らはメアのやぐらまで聖別し、ハナヌエルのやぐらにまで及んだ。3:2 彼の次にエリコの人々が建て、その次にイムリの子ザクルが建てた。3:3 魚の門はセナアの子らが建てた。彼らは梁を置き、とびら、かんぬき、横木を取りつけた。
3:10 その次に、ハルマフの子エダヤが自分の家に面する所を修理し、その次に、ハシャブネヤの子ハトシュが修理した。...

ネヘミヤは、城壁の再建を人々に具体的に、分配します。それは、奉仕する彼らにとって具体的で、身近な、自分の住居に近いところに仕事を配分したり、当然彼らは仕事の具体性、何よりも自分のところのもの、自分のものとして奉仕したことでしょう。すごくモチベーションをあげて城壁の再建をしたことでしょう。その理由は、何よりも、具体的に、毎日その場所をとおり、知っていて、親しみがあり、自分のものとして愛して奉仕したことでしょう。非常にいい配置です。またそれだけの配置でなくて、逆に普段している職業と、違う職種の方であろう、金細工人、香料作り、エルサレム周辺の責任者、また距離のあるギブオンとミッパの人々も城壁の再建に奉仕し、協力しました。、今朝、黙想させられたのは、ネヘミヤのリーダーシップとチームワークの作り方です。神様の国のために人々の心をひとつに集めました。イスラエルの人々にとってGHOST TOWN状態であったエルサレムを再建する、これ以上、私たちの信じている神様がそしられないように、城壁の再建のために心を集めました。そして、城壁の再建を具体的に、それぞれの適材適所に分担しました。それは、ネヘミヤが城壁の状態を誰も仕事のしていない夜中に一人で見て回り、おそらく、この再建のためには、この人、あの場所には、あの人と、仕事を分担させたのでしょう。それは、人のことを知っていないとできないことです。彼らの得意、賜物に合わせて配分しました。また逆に得意でないとしても、チャレンジを持って適材適所の配分をしたのです。一人では、神様の仕事はできません。協力して、分担してこそできます。今朝、ネヘミヤのリーダーシップを学び、心をひとつに、仕事は分担してを目指して生きます。

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神様のリーダーの秘密(ネヘミヤ)2;12-13

2:12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。
2:13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた
ネヘミヤは到着して3日間、過ごしてある夜にエルサレムの状態を見て回ります。その時には、神様の示されたことをまだ誰にも知らせずに、他の全てが眠っているときに、エルサレムの崩された状態を一人で見て回ります。リーダーには、誰にも知らない秘密があります。彼が用いられる理由があります。それは、時に誰も休んでいるときに動くこともあります。ネヘミヤは神様との祈りの関係を持っていました。また、王様に尋ねられたときに具体的に必要を述べる準備がありました。そして、エルサレムに到着して一人で状態を見て守り、再建のために状態を把握してから、人々に神様の導き、働きのモチベーションを伝えます。今日、主にある備え、秘密をもって備えます、神さまの宮のために準備していきます。

Wednesday, June 8, 2016

祈って呼ばれたときに備えているリーダー(ネヘミヤ2;1-10)

2:4 すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、2:5 王に答えた。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」
今日のQTをSHARE:祈って呼ばれたときに備えているリーダー(ネヘミヤ2;1-10)...
2:4 すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、2:5 王に答えた。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」

ネヘミヤは、4ヶ月間祈った後に王様の前で悲しみのある顔をしていることを尋ねられます。臣下が王の前に自分の感情を出すのはあまりに危険なことでした。しかし、①それは神様のタイミングでした。しかし、ネヘミヤは恐れながらも、思い切って正直に話します。王は願いを聞きます、そこで、ネヘミヤは一瞬神様の前に祈り、答えます。そして、’王は必要なもの、期間をたずねます。ネヘミヤは必②必要な再建の許可、総督たちへの通行の許可の手紙、材木を得ることを願います。それは、③神様の恵みのみ手がネヘミヤの上におかれたらです。
祈りの後に、神様の働きが始まります。でも、4ヶ月祈るネヘミヤの思いだどうだったでしょう?!
ネヘミヤを通して教えられるのは、危機の中で祈ること、祈らずに何も始まらないこと、そして、祈って具体的に準備すること、いつでも呼ばれたら準備できていることです。これは、決して簡単なことでありません。ネヘミヤのリーダーシップは祈って何もしないでなくて、準備していること、動いてばかりで祈らない、でなく、祈って備えるリーダーシップでした。そして、最後に「神様の恵みのみ手」があったのに、祝福のKEY,栄光がすべて神様に会ったことを証します。
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Wednesday, June 1, 2016

祈りをもってスタートするネヘミヤのミニストリー

ネヘミヤ1:3,6,9、11
今日から、ネヘミヤのQTが始まります。ネヘミヤとは、アメリカで建築会社の名前に使われるように、滅ぼされたエルサレムの城壁の再建(BC445年ごろ)をした人です。また、ネヘミヤはリーダーシップが学べます。ネヘミヤは、①祈りの人でした。故郷のエルサレムが廃墟同然になっていると聞き、神様に祈りました。②また、ネヘミヤは行動の人です、ペルシャの王様の献酌官であった彼は王様に再建を願い、許されました。③ネヘミヤは徹底的な準備の人です。王に尋ねられたときに具体的に(2章1-10)必要な材木、期間、通行許可をもらいました。④ネヘミヤは、人知らずに備える人でした(2;12-16)エルサレムの城壁再建の状態を夜中に目覚めて、点検して回りました。リーダーは人の休むときにもまじめに備えます。⑤城壁の再建を人々に分担します。奉仕を一人でするのでなくて、ともに神様の仕事を任せます。チームワークをします(3;1ー14、15-32)⑥敵の攻撃に、圧迫にも、神様の勝利を信仰を持って(なかなかできないことです)最初に宣言します(2;19-20)。私た...ちも、その信仰を持って生きたいものです。
ネヘミヤのもとに、エルサレムの残された人が非常な困難、そして恥辱、不名誉を受けていると聞き、立ち上がります。その時に、彼は祭司でも、預言者でもありませんでした。彼は異邦人の国の王様の献酌官でした。献酌官とは、王を暗殺しようとしたり、陰謀を持つものが攻撃しやすい場所を守るために、王からの信頼なしにはできない位置でした。外国でそのようなポジションを得るにはどれほどの苦労があるか分かりません。そのようなポジションを持っていた彼は、自分の故国イスラエルの悲惨な状況、城壁が崩されている、それは神様が辱められる、ということを聞き、自分のポジション、成功を置いて祈り始めました。彼は自ら①イスラエルの罪を悔い改め、自分自身が罪を犯したことを認め、悔い改め、②神様の約束に従って祈ります。神様へ不信の罪を犯すなら、諸国民の間に散らされる、しかし、主に立ち返るなら散らされた者を天の果てにいても約束の地へ戻す、③神様は偉大な力を持ち、それが可能な神様、であると宣言します。一人の人の祈りから今日の物語が始まります。一人の人の悔い改めから、神様の回復が始まります。今日からネヘミヤの祈りをもって、日本のために、教会のために、個人のために、まことのリーダーシップは祈りから始まります。ある牧師先生がこう言われました。「人が働くなら人の働きだ、でも、祈って働くなら神様が働く」神様の働きを祈りを持ってスタートします。