Friday, August 19, 2016

責任を持って堂々と主の前に証できる人生(JOSHUA:ヨシュア22;21-34)

22:21 すると、ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族は、イスラエルの分団のかしらたちに答えて言った。22:22 「神の神、主。神の神、主は、これをご存じです。イスラエルもこれを知るように。もしこれが主への反逆や、不信の罪をもってなされたのなら、きょう、あなたは私たちを救わないでください。22:23 私たちが祭壇を築いたことが、主に従うことをやめることであり、また、それはその上で全焼のいけにえや、穀物のささげ物をささげるためであり、あるいはまた、その上で和解のいけにえをささげるためであったのなら、主ご自身が私たちを責めてくださるように。22:24 しかし、事実、私たちがこのことをしたのは、次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子らが私たちの子らに次のように言うかもしれないと思いました。『あなたがたと、イスラエルの神、主と何の関係があるのか。22:25 主はヨルダン川を、私たちとあなたがた、ルベン族、ガド族との間の境界とされた。あなたがたは主の中に分け前を持っていない。』こうして、あなたがたの子らが私たちの子らに、主を恐れることをやめさせるかもしれません。22:26 それで、私たちは言いました。『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。全焼のいけにえのためではなく、またほかのいけにえのためでもない。22:27 ただ私たちとあなたがたとの間、また私たちの後の世代との間の証拠とし、私たちが、全焼のいけにえとほかのいけにえと和解のいけにえをささげて、主の前で、主の奉仕をするためである。こうすれば、後になって、あなたがたの子らは私たちの子らに、「あなたがたは主の中に分け前を持っていない。」とは言わないであろう。』22:28 また私たちは考えました。後になって、もし私たち、また私たちの子孫に、そのようなことが言われたとしても、そのとき、私たちはこう言うことができる。『私たちの先祖が造った主の祭壇の型を見よ。これは全焼のいけにえのためでもなく、またほかのいけにえのためでもなく、これは私たちとあなたがたとの間の証拠なのだ。』22:29 私たちが、主の幕屋の前にある私たちの神、主の祭壇のほかに、全焼のいけにえや、穀物のささげ物や、他のいけにえをささげる祭壇を築いて、きょう、主に反逆し、主に従うことをやめるなど、絶対にそんなことはありません。」22:30 祭司ピネハス、および会衆の上に立つ族長たち、すなわち彼とともにいたイスラエルの分団のかしらたちは、ルベン族、ガド族、およびマナセ族が語ったことばを聞いて、それに満足した。22:31 そしてエルアザルの子の祭司ピネハスは、ルベン族、ガド族、およびマナセ族に言った。「きょう、私たちは、主が私たちの中におられるということを知った。あなたがたが主に対してこの罪を犯さなかったからである。あなたがたは、今、イスラエル人を、主の手から救い出したのだ。」22:32 こうして、エルアザルの子の祭司ピネハスと族長たちは、ギルアデのルベン族およびガド族から別れて、カナンの地のイスラエル人のところに帰り、このことを報告した。22:33 そこで、イスラエル人は、これに満足した。それでイスラエル人は、神をほめたたえ、ルベン族とガド族の住んでいる地に攻め上って、これを滅ぼそうとは、もはや言わなかった。22:34 それでルベン族とガド族は、その祭壇を「まことにこれは、私たちの間で、主が神であるという証拠だ。」と呼んだ。
ルベンとガド、そしてマナセ部族はイスラエルの尋問に、主の前に堂々と話しました。事実を、ストレートに伝えました、自分たちの葛藤、恐れ、子孫が「主の前に分け前を持っていない」ということを恐れるために、こうしました、と正直に伝えました。それは、イスラエルの人々に満足させる、納得させる答え、態度でした。彼が、誤解を作ってしまったのは確かでしたが、その理由は、自分たちが主の民であることのアインデンティを失わないために、主を記念するためであり、祭壇を作ったことを話し、証しました、それは、主に反逆したり、イスラエルの中で不信の罪でもないことを証明しました。それは、彼らが主をほめたためる答え、関係になりました。今日、主に会ってストレートに関係をもってたずね、話す関係を目指していきます。主の平和の関係を持てますように祈ります
 

大切なのは関係!(ヨシュア23;11-16)

23:11 あなたがたは、十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。23:12 しかし、もしもあなたがたが、もう一度堕落して、これらの国民の生き残っている者、すなわち、あなたがたの中に残っている者たちと親しく交わり、彼らと互いに縁を結び、あなたがたが彼らの中にはいって行き、彼らもあなたがたの中にはいって来るなら、23:13 あなたがたの神、主は、もはやこれらの国民を、あなたがたの前から追い払わないことを、しかと知らなければならない。彼らは、あなたがたにとって、わなとなり、落とし穴となり、あなたがたのわき腹にむちとなり、あなたがたの目にとげとなり、あなたがたはついに、あなたがたの神、主があなたがたに与えたこの良い地から、滅びうせる。23:14 見よ。きょう、私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。23:15 あなたがたの神、主があなたがたについて約束したすべての良いことが、あなたがたに実現したように、主はまた、すべての悪いことをあなたがたにもたらし、ついには、あなたがたの神、主が、あなたがたに与えたこの良い地から、あなたがたを根絶やしにする。23:16 主があなたがたに命じたあなたがたの神、主の契約を、あなたがたが破り、行って、ほかの神々に仕え、それらを拝むなら、主の怒りはあなたがたに向かって燃え上がり、あなたがたは主があなたがたに与えられたこの良い地から、ただちに滅びうせる。」
 ヨシュアは、イスラエルに伝えるべきことを残そうとします。その時に、第一番は①神様を愛すること、でした。それは、関係です。私の主である神様を大事にするときに、愛するときに、人生のすべての方向、価値観が決まってきます。そして、次に②カナンの民族と関係を持つな、彼らの偶像文化を入れるな!といいます。今日、私の付き合ったらいけない、入れたらいけない文化をもってゆきます、イスラエルは、クリスチャンは、神様の民です、聖い民です。この世に生きつつ、区別される必要があります。また、カナンの偶像文化、性、倫理的、価値観、を考えたときに、まことの主は誰か!?によって決まる、と思いました。主を気をつけて愛していきます。そうでないと、自分の生活にわな、落とし穴、むち、とげ、にならないよう祈ります。そうでないと、約束の地で滅ぼされます。また、③イスラエルが、神様による約束はすべて実現されたこと、地を与えられたことを思うなら、感謝して生きるしかありません、でも、それを忘れるなら大変なことになります、人として難しいことになります。​どうして、感謝を忘れることができるでしょうか?主を恐れずに入れるでしょうか?!キリスト教は、形でなくて、心です、魂です、主を愛して歩みます、恐れて、主の民として歩みます。また、私が日本語で伝道している、こののアメリカの祝福のために祈ります。主を恐れ、神様の祝福の国であったときに、しっかり歩めるようにとりなしの祈りをします。主を愛して一日歩みます。

Thursday, August 18, 2016

誤解を作ったら、持ったら、直接に対話せよ(JOSHUA:ヨシュア22:10-20)

22:13 それでイスラエル人は、祭司エルアザルの子ピネハスを、ギルアデの地のルベン族、ガド族、およびマナセの半部族のところに送り、22:14 イスラエルの全部族の中から、一族につき族長ひとりずつ、全部で十人の族長を彼といっしょに行かせた。これらはみな、イスラエルの分団の中で、父祖の家のかしらであった。22:15 彼らはギルアデの地のルベン族、ガド族、およびマナセの半部族のところに行き、彼らに告げて言った。
22:16 「主の全会衆はこう言っている。『この反逆は何か。あなたがたはきょう、主に従うことをやめて、イスラエルの神に反逆し、自分のために祭壇を築いて、きょう、主に反逆している。22:17 ペオルで犯した不義は、私たちにとって小さなことだろうか。私たちは今日まで、自分たちの身をきよめていない。そのために、神罰が主の会衆の上に下ったのだ。22:18 あなたがたは、きょう、主に従うことをやめようとしている。あなたがたは、きょう、主に反逆しようとしている。あす、主はイスラエルの全会衆に向かって怒られるだろう。
ヨルダン川の東側にモーセを通しての割り当ての地持ったRUBENとGADITES,マナセ(MANASSEH)たちは、ヨルダン川のほとりに祭壇を築きました。しかし、これは誤解を招く行為になりました。そこで、イスラエルの人々は「うわさ」を聞いたときに(うわさ、それは責任の無いものです)、祭司ピネハスとイスラエルの残りの10部族からCHEF MANを選び、問いただすことにしました。聖書箇所を読みながら、直接に聞く姿勢、祭司、そしてイスラエルの代表を選び、送り出したこと、素晴らしいと思いました。また、聞く内容もおかしいことを言っていません。今朝、思わされたことは、①誤解させることに気をつけろ、策に説明して、コミュニュケーションとること、②誤解をしたら、させたら、正しい、直接に会話をすること、でした。イスラエルの指導者たちは、不穏な中で正しく、直接に、事実だけを聞きにいきました。対話すること、直接に聞きます。

 
 
 
 
 
 

一人が千人を追う(ヨシュア23;1-10)メーべル・フランシス宣教師のあかし

23:10 あなたがたのひとりだけで千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。
23:1 主が周囲のすべての敵から守って、イスラエルに安住を許されて後、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。23:2 ヨシュアは全イスラエル、その長老たちや、かしらたちや、さばきつかさたち、およびつかさたちを呼び寄せて彼らに言った。「私は年を重ねて、老人になった。23:3 あなたがたは、あなたがたの神、主が、あなたがたのために、これらすべての国々に行なったことをことごとく見た。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主だからである。23:4 見よ。私は、ヨルダン川から日の入るほうの大海まで、これらの残っている国々と、すでに私が断ち滅ぼしたすべての国々とを、相続地として、くじによってあなたがたの部族に分け与えた。23:5 あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたの前から彼らを追いやり、あなたがたの目の前から追い払う。あなたがたは、あなたがたの神、主があなたがたに告げたように、彼らの地を占領しなければならない。
 ヨシュアは、VERY OLDになったときに、イスラエルのリーダーたち、長老たち、JUDEGES,OFFICILAS,に伝えることがありました。それは、①神様があなたがた(イスラエル、クリスチャンのために)なさったこと、戦われた、②そのことを体験しただろう、③その結果、ヨシュアたちとすでに征服した土地を得た、こと、④残った地を占領しないといけない、ことでした。ヨシュアが伝えたかったことが歩きがしました、それは、信仰を持って約束の地を偵察にいって、この地を主が与えるといわれたその日から、40年後の約束の地の占領まで、そしてVERY OLDになってしまったこの日まで、変わらない信仰の遺産でした。それは、①モーセの律法の書にかかれたことを断固として守ること、また右にも左にそれない、まっすぐに(純粋)に歩むこと、ことごとく(すべて)行うこと、②そして、占領するカナンの人々の偶像文化を入れるな!→適用:私の交わりを持ってはいけない人々、集まりは何か?③主にすがること、でした。だからこそ、一人が千人を追うことが可能なのです!このみ言葉を読む時に思い出す方がおられました。それは、メービル・フランシス先生という松山協同教会(アライアンス教団)におられた宣教師先生でした(もちろん、私が松山協同CHにいたときには母国、天国に帰られていました)。この先生の与えられたみことばが、ヨシュア23;10の一人が千人をおう、でした。先生はこのビジョンを持って伝道をされて、松山協同教会を開拓され、松山名誉市民になるくらいに、松山の方々を愛されました。多くの方々に、まさに千人の方々をおい、イエス・キリストの愛を伝えられました。その方を覚えつつ、今朝のQTのみことばを読んだ時に、私にできるのか?私が、一人が千人を追う、ことができるのか?と思いました。しかし、ヨシュアはいいます、神様が戦われる!と。今朝、祈り、まだ勇気のない私を用いて、一人が千人を追わせてください、と祈ります、主の前に、主が私のためにご自身が戦われることを信じて、出て行きます。

一人が千人をおう(ヨシュア23;1-10)

23:10 あなたがたのひとりだけで千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。
23:1 主が周囲のすべての敵から守って、イスラエルに安住を許されて後、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。23:2 ヨシュアは全イスラエル、その長老たちや、かしらたちや、さばきつかさたち、およびつかさたちを呼び寄せて彼らに言った。「私は年を重ねて、老人になった。23:3 あなたがたは、あなたがたの神、主が、あなたがたのために、これらすべての国々に行なったことをことごとく見た。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主だからである。23:4 見よ。私は、ヨルダン川から日の入るほうの大海まで、これらの残っている国々と、すでに私が断ち滅ぼしたすべての国々とを、相続地として、くじによってあなたがたの部族に分け与えた。23:5 あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたの前から彼らを追いやり、あなたがたの目の前から追い払う。あなたがたは、あなたがたの神、主があなたがたに告げたように、彼らの地を占領しなければならない。
 ヨシュアは、VERY OLDになったときに、イスラエルのリーダーたち、長老たち、JUDEGES,OFFICILAS,に伝えることがありました。それは、①神様があなたがた(イスラエル、クリスチャンのために)なさったこと、戦われた、②そのことを体験しただろう、③その結果、ヨシュアたちとすでに征服した土地を得た、こと、④残った地を占領しないといけない、ことでした。ヨシュアが伝えたかったことが歩きがしました、それは、信仰を持って約束の地を偵察にいって、この地を主が与えるといわれたその日から、40年後の約束の地の占領まで、そしてVERY OLDになってしまったこの日まで、変わらない信仰の遺産でした。それは、①モーセの律法の書にかかれたことを断固として守ること、また右にも左にそれない、まっすぐに(純粋)に歩むこと、ことごとく(すべて)行うこと、②そして、占領するカナンの人々の偶像文化を入れるな!→適用:私の交わりを持ってはいけない人々、集まりは何か?③主にすがること、でした。だからこそ、一人が千人を追うことが可能なのです!このみ言葉を読む時に思い出す方がおられました。それは、メービル・フランシス先生という松山協同教会(アライアンス教団)におられた宣教師先生でした(もちろん、私が松山協同CHにいたときには母国、天国に帰られていました)。この先生の与えられたみことばが、ヨシュア23;10の一人が千人をおう、でした。先生はこのビジョンを持って伝道をされて、松山協同教会を開拓され、松山名誉市民になるくらいに、松山の方々を愛されました。多くの方々に、まさに千人の方々をおい、イエス・キリストの愛を伝えられました。その方を覚えつつ、今朝のQTのみことばを読んだ時に、私にできるのか?私が、一人が千人を追う、ことができるのか?と思いました。しかし、ヨシュアはいいます、神様が戦われる!と。今朝、祈り、まだ勇気のない私を用いて、一人が千人を追わせてください、と祈ります、主の前に、主が私のためにご自身が戦われることを信じて、出て行きます。

Wednesday, August 10, 2016

わくわくするような割り当て地のイラスト


オンギジャンイ コンサート サウスベイアンカー教会



近くの教会でオンギジャンイ賛美チームの通訳の奉仕をしてきました、

わくわくするような割り当て地への期待もて(JOSHUA:ヨシュア19;24-51)

19:24 第五番目のくじは、アシェル部族の諸氏族に当たった。19:29 その境界線は、ラマのほうに戻り、城壁のある町ツロに至る。またその境界線は、ホサのほうに戻り、その終わりは海であった。それに、マハレブ、アクジブ、
19:32 第六番目のくじは、ナフタリ人、すなわちナフタリ族の諸氏族に当たった19:35 その城壁のある町々は、ツィディム、ツェル、ハマテ、ラカテ、キネレテ
19:40 第七番目のくじは、ダン部族の諸氏族に当たった。19:47 ダン族の地域は、さらに広げられた。ダン族は上って行き、レシェムと戦って、これを取り、剣の刃で打ち、これを占領して、そこに住み、彼らの先祖ダンの名にちなんで、レシェムをダンと呼んだ。
今日のQT箇所は、五番目のくじをひくアシュル部族(24-31節)と、6番目のくじをひいた部族であるナフタリ部族(32-39節)そして、7番目のくじをひいたダン部族です。英語のQT雑誌であるSENAに、こんな絵がありました。それは、WHEN I ENTER THE PROMISE LANDという絵に、次にI WILL THROW AWAY MY GREED AND MY OWN WIILという二番目の絵、そして最後にAND RECIEVIE THIS GIFT OF GRACE WITH GRATITUDEという絵でした。思わされたことがありました。何よりも、私の賜物、弱さ、主の使いたい、と願うところ、人々に仕えるのに最高の部分を、誰よりもご存知な(全知の神様です!)主は、最高のところを下さったのだな、と思いました。しかし、その前に、自我や自分自身を知らずにいるために、主の前に欲を持っているために、多くの失敗や周りを傷つけます。神様の言葉、約束、そしてきLOTという自分をおく作業が必要です。主にゆだねる作業が必要です、主にゆだねるなら、期待があります、しかし、主にゆだねきれないなら疑いがあります、それは、私への主の愛を知らないからです、今日、①アシュルは創世記49;20の預言のとおりに海上貿易の祝福を受けて、②ナフタリ部族は、カナンの最北端に険しい地形、険しい城壁の町を得ました。また、③ダン部族は、ぺリシテの海岸平野とユダの山地の間を割り当てられて、いきました。主に信頼して、従うなら、主の下さる約束、神様の言葉の実現の場所に、いさせてもらえる世代、体験できる、自分たちでできる、ようになるときに、どれほどの喜びでしょうか?それとも、自分のWILLをGREEDを言い続けて、もしくは心の中で不満をいって、壊してしますのでしょうか。今日、主にある喜び、期待を、わくわくをもって受けて、奉仕します。

自分の割り当ての地の中に人を住まわせるユダ部族、そして住むシメオン(JOSHUA:ヨシュア19;1-23)

19:1 第二番目のくじは、シメオン、すなわちシメオン部族の諸氏族に当たった。彼らの相続地は、ユダ族の相続地の中にあった。19:9 シメオン族の相続地は、ユダ族の割り当て地から取られた。それは、ユダ族の割り当て地が彼らには広すぎたので、シメオン族は彼らの相続地の中に割り当て地を持ったのである。
シメオン部族の割り当て地は、ユダ部族の割り当て地の中にあります、これは。すごいことです。彼らの地を過ぎないで、外に出ることはできないのです。それは、ユダ部族との関係もよくないといけないし、ユダ部族も受け入れてくれないといけない関係です。これは、リビングライフの解説にもあるように、バアル・シメオン事件の(民数記25;14)人数が最も少ない部族になり、ヤコブの遺言どおりに(創世記49;7)これもすごい!ですね、領地って人生の非常に重要な部分で、微妙な部分です。これは、ユダ部族の受け入れる姿勢、そして逆にシメオン部族の受け入れていただく姿勢にも、非常に大きなものを感じます。今日、適用として隣人の関係をしっかりもっていきます、まずは、私たちの家族、友人、そして周囲の教会、日本人社会ともって行きます。

Tuesday, August 9, 2016

小さいならセンスをもって勝負せよ!(ヨシュア:JOSHUA18;11-28)

18:11 ベニヤミン部族の諸氏族がくじを引いた。彼らのくじに当たった地域は、ユダ族とヨセフ族の間にあった。18:12 彼らの北側の境界線は、ヨルダン川から出て、その境界線は、エリコの北側に上って行き、さらに山地を西のほうに上って行き、その終わりはベテ・アベンの荒野であった。18:13 そこから境界線は、ルズに向かい、ルズの南のほうの傾斜地に進む。ルズはベテルである。さらに、境界線は、下ベテ・ホロンの南にある山の近くのアテロテ・アダルに下る。18:14 境界線は折れて、西側で、ベテ・ホロンに面する山から、南のほうに回り、その終わりはユダ族の町キルヤテ・バアル、すなわちキルヤテ・エアリムであった。これが西側であった。18:15 南側は、キルヤテ・エアリムの端からで、境界線は西のほうへ出て、メ・ネフトアハの泉に出て、18:16 境界線は、北のほう、レファイムの谷間の中のベン・ヒノムの谷を見おろす山の端に下り、ヒノムの谷を、南のほうのエブス人のいる傾斜地に下り、エン・ロゲルに下る。18:17 それから北のほうに折れ、エン・シェメシュに出、アドミムの坂に対するゲリロテに出、ルベンの子ボハンの石に下る。18:18 それから、北のほう、アラバの近くの傾斜地に進み、アラバに下る。18:19 その境界線は、北のほう、ベテ・ホグラの傾斜地に進み、境界線の終わりは塩の海の北の入江、ヨルダン川の南端であった。これが南の境界であった。18:20 ヨルダン川が東側の境界線となっていた。これはベニヤミン人の相続地で、その諸氏族の周囲の境界線によるものであった。
 ベンジャミン部族は最初に「LOT」をひきます。その中で、小さい部族としてユダ部族とヨセフ部族の間に囲まれることになります。こういうQTがあるときに、私は簡単な地図を書きながら、QTをしました。また、知っている地名があったら、丸をつけるようにしました。リビングライフの解説の中でベニヤミン部族は、①強いユダ部族とヨセフ部族のクッションの役割をした、②また、最初の王であるサウル王はベニヤミン部族から出て、③噛み裂く狼、創世記49;27、にあるように神様とともにあるのなら弱さは弱点でない、とありました。本当に恵まれたので、そのまま書きました。でも、私が恵まれたのは別の部分です。それは、ベニヤミンが、エリコ、べテル、エルサレム、という私でも知っている、聖書の有名な地を持った、ということです。小さくても、力が足りなくても、大事な場所をとるなら周りが無視できない存在になります、影響の与える存在になります。エルサレムは神殿のある、礼拝の場所、べテルはヤコブが最初に神様で会い、自分の人生を導かれるなら10分の一をささげます、といった礼拝の場所、エリコといえば、第三の都市、です。商業、ビジネス、人の交易の中心です。今日、思いました。私たちの教会にとって、①礼拝がすばらしい、もちろん神様がすばらしい、わけですが、②LOCATIONをもって、大事なポイントをつかむ、ということを思いました。弱くても、センスをもって勝負すること、そして弱くても、小さくても、神様がともにいるのなら弱さは弱点でないことを信じます。

勇気を持って神様の約束の地をとりにいく理由(JOSHUA18;1-10)

18:1 さて、イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らによって征服されていた。18:2 イスラエル人の中で、まだ自分たちの相続地が割り当てられていない七つの部族が残っていた。18:3 そこで、ヨシュアはイスラエル人に言った。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。
相続位置が割り当てられてない7つの部族がいまだにいました(なんと過半数の数!です)。彼らにJOSHUAは、神様の下さる地をとりにいくように、「いつまで延ばしているのか!」といいます。そして、彼らに3人の偵察たち、をだして、主の前にくじをだして割り当て地を当てるようにいいます。黙想しました、なんと神様の約束の地があるのに、いつまでも、伸ばして、怖がって、こもっている姿勢は、目の前に、現実に座り込んでいる姿は、信仰を持って、神様に頼らずに出る姿勢は、まるで現代の、じっーと座り込んでいるクリスチャンの姿、まるで私の姿、でないか?と思われされました。伝道してみたけど、挫折して、難しく思って、できないと思っている、自分でGLASS シーリングを作ってしまっている、自分の人生はこれ以上できない、自分で、神様と相談せずに決めてしまっている人、のようだと思いました。そんな私に、クリスチャンに、主は言われます。偵察たちを送って、神様の約束の地をとりに行きなさい、といわれます。信仰は消極的なものでありません、まして概念的なものでありません。待っている人は何も得れません。それどころか、失ってしまいます。JOSHUAはそんな彼らに、優しい、愛の心を持って(羊飼いの心ですよね)「とりにいきなさい」と言います。今日、主に会ってたちあがります
。(このQT,2日たって書いているのですが)このQTした後で、連絡すべき人を2人、また誘って声をかける人を逃してしまったことに気がつきました。私が信仰もって立ち上がらないための失敗です。せっかく、神様のメッセージをもらったのに、のです。主に会って立ち上がっていきます。

Saturday, August 6, 2016

あなたを強く、大きくされれた理由(ヨシュア17;14ー18)言い訳のできない理由、あなたはビジョンを持っているか?

17:14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」17:15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」17:16 ヨセフ族は答えた。「山地は私どもには十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」17:17 するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。17:18 山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」
ヨセフ部族が、ヨシュアに自分たちの分け与えられた地がひとつしかない、わたしたちは主の祝福により数の多い民なった、といいます。最初、QTをしながら「これが、文句を言っているのか?」それとも、「具体的に求めているのか」少し迷いました。後者なら決して悪いことでありません。英語のQT雑誌であるSENAは後者を選択していました。しかし、逆に、英語のNIVでQTしていてヨセフ部族は文句を言っているとわかりました(IF YOU ARE SO NUMEROUS,15V:AND IF THE HILL COUNTRY OF EPHRAIM IS TOO SMALL,)。それに対して、ヨシュアは不平や不満にたいして、説得力や妥協でなくて、まっすぐにビジョンを持って強く推して行く推進力を持って、信仰を持ってとってこい!とビジョンを示します。彼の信仰が示されます、ヨシュアとCALEBは40年前に、45年前と変わらずに、信仰を持ってとってくる、主なる神様が下さる、と告白します。ヨセフ部族は、最初は「ああいいいえば、こういう」これは条件がつかない、から無理、あの人は強すぎる、ということをいいます、山地は難攻不落である、谷間の民は、鉄の戦車を持っている、これじゃ、いつまでたっても、何もできません、不平や不満をもって、自分の向かうべき問題にぶつかりません。あてはずれな、ところへ向かいます、それは、大きな損であり、時間、人生の浪費です、ヨシュアはそんな彼らに、ビジョンを示します、ビジョンは神様の助けなしにできないことです。だからこそ、ビジョンです。神様の視野で、見ることです。不可能を可能にするビジョンで見ないといけません、ヨセフ部族が大きくなったのなら、小さすぎるのなら、神様が祝福されたのなら、それは、神様の大きな使命があるからです。小さい部族にできないことをするために、小さい部族を助けるために、共同体の全体のために大きな働きをするために、リーダーとしてもっと、責任を負うためにしなさい、と言われたのです。大きい教会が大きくなったのは、自分だけのためでありません。大きい教会がするべき責務があるのです。祝福には、理由があります。わたしが、以前にMEGA CHURCHにいたのは、訓練されたのは、見させてもらったには、祝福の理由があります。今日、ビジョンを持って神様の地をとりに行きます。LAを、南カリフォルニアを与えてください。

Friday, August 5, 2016

必要を訴えよ!伝えよ!(ヨシュア17;1-13)

17:1 マナセ部族が、くじで割り当てられた地は次のとおりである。マナセはヨセフの長子であった。マナセの長子で、ギルアデの父であるマキルは戦士であったので、ギルアデとバシャンが彼のものとなった。17:2 さらにそれはマナセ族のほかの諸氏族、アビエゼル族、ヘレク族、アスリエル族、シェケム族、ヘフェル族、シェミダ族のものになった。これらは、ヨセフの子マナセの男子の子孫の諸氏族である。17:3 ところが、マナセの子マキルの子ギルアデの子ヘフェルの子ツェロフハデには、娘だけで息子がなかった。その娘たちの名は、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。17:4 彼女たちは、祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、族長たちとの前に進み出て、「私たちの親類の間で、私たちにも相続地を与えるように、主はモーセに命じられました。」と言ったので、ヨシュアは主の命令で、彼女たちの父の兄弟たちの間で、彼女たちに相続地を与えた。17:5 こうして、マナセはヨルダン川の向こう側のギルアデとバシャンの地のほかに、なお十の割り当て地があてがわれた。
17:6 マナセの娘たちが、彼の息子たちの間に、相続地を受けたからである。ギルアデの地は、マナセのほかの子孫のものとなった。
マナセ部族の中で、長子となる、勇士である、リーダーでもある、代表でもあるマナセ、のマキルが地を受けとける場面があります。また、それと並行して彼の子孫である「マナセの子マキルの子ギルアデの子ヘフェルの子ツェロフハデには、娘だけで息子がなかった」という部分が出てきます。その娘たちは、自分たちに相続の地をください、と願い出ます。それは、見事に祭司の前に、ヨシュアの前に「主の命令」であることを訴え、ヨシュアは「主の命令」により、彼女たちに神様の相続の地を与えます。神様は公平であり、正義の方であり、誠実な方です。差別のない配慮をJOSJUAたちはしました。でも、今朝、私の心にとまったのは、彼女たちが必要なことを、主の心、命令を、恐れることなく、人間的に、求めてきた、ということです。今でこそ、社会福祉制度、保障などがあります。しかし、何よりも、彼女たちは信仰を持って自分たちの相続地、INHERITANCEを求め、訴えた、ということです。それは、自己利益を求める、とかほかの批判、自分自身からの呵責など関係のない、主の下さる相続を求める、心です。言いにくい、話しにくい、人の目を恐れるのでなくて、主の下さることを訴えたのです。今朝、私の相続を与えくださいと祈りました。どのようにしたら、与えられますか?どのようにとりにいくべきですか?何を具体的に行動したらいいですか?主よ、私を、私の仕える教会をリバイバルさせ、霊的な領域を与えてください。マナセ部族が広い地域を領有したように、主の福音を広く伝えさせてください、主よ、この地を、LAを、南カリフォルニア州を与えてください。

Thursday, August 4, 2016

ジュビリー教会セミナー 北野実牧師 良い指導者になるために 金ソンシック牧師先生 ジュビリー教会セミナー



ジュビリー教会指導者訓練 指導者とは? 良い指導者になる10戒
1.  人格が良い人.      * 謙遜な人      * 言葉と行いが一致している人
2. 従順な人.15:22 するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる(第一サムエル15:22)。 ハンセン病にかかったナアマン将軍、ヨルダン川で体を洗う 
3. 尊敬される人. 言葉と行いに信頼されるほどの人でないといけない パウロとバルナバはアンテオケ教会で信頼された • 良いご主人 • 良い父親 • 良い指導者になれる
4. 長所を知って発展させる(成長していく?)人. Gallup 調査によると 130万名を対象にした調査 20%が自分の強い部分(長所)知っている。  1.5%だけが 強い部分(長所) Maximize する. 練習は完全を生み出す. 落ちる雨が降り続ければ、岩さえをつらくぬくように
5.情熱的な人열성적인 사람. 良い指導者は、自分の仕事に情熱的な人だ.  すべてのことに情熱を持って、最善を尽くす姿を見せないといけない。 ルカ  17:5-10  “17:9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。17:10 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」” (ルカ 17:9-10) ペテロは失敗をたくさんしたけど、情熱がある指導者だった. • イエスを三回否認した • 主はキリストです、神の子です/十字架にかからないように  • 船から飛び降りて泳いでいく 熱心
6. 祈る人 .
7. 愛を実践する人.        与える人生を生きないといけない.  
  8. 勇気のある人 

ジュビリー教会指導者訓練 指導者とは? 良い指導者になる10戒

ジュビリー教会指導者訓練 指導者とは? 良い指導者になる10戒
1.  人格が良い人.      * 謙遜な人      * 言葉と行いが一致している人
2. 従順な人.15:22 するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる(第一サムエル15:22)。 ハンセン病にかかったナアマン将軍、ヨルダン川で体を洗う 
3. 尊敬される人. 言葉と行いに信頼されるほどの人でないといけない パウロとバルナバはアンテオケ教会で信頼された • 良いご主人 • 良い父親 • 良い指導者になれる
4. 長所を知って発展させる(成長していく?)人. Gallup 調査によると 130万名を対象にした調査 20%が自分の強い部分(長所)知っている。  1.5%だけが 強い部分(長所) Maximize する. 練習は完全を生み出す. 落ちる雨が降り続ければ、岩さえをつらくぬくように
5.情熱的な人열성적인 사람. 良い指導者は、自分の仕事に情熱的な人だ.  すべてのことに情熱を持って、最善を尽くす姿を見せないといけない。 ルカ  17:5-10  “17:9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。17:10 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」” (ルカ 17:9-10) ペテロは失敗をたくさんしたけど、情熱がある指導者だった. • イエスを三回否認した • 主はキリストです、神の子です/十字架にかからないように  • 船から飛び降りて泳いでいく 熱心
6. 祈る人 .
7. 愛を実践する人.        与える人生を生きないといけない.  

  8. 勇気のある人 


マタイの福音書6章 16-18節:まことの断食:神さまだけに集中しろ!ホンモノと偽者の違い LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:16 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6:17 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。6:18 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。

使徒の働き4章19-31節:聖霊の事件は私にどんな関係があるか?! LAジュビリー教会 北野実



4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。4:20 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」4:21 そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
4:22 この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。4:23 赦された二人は仲間の所に行って、(最高法院の)大祭司連や長老たちが言ったことを報告した。4:24 聞くと彼らはいっせいに、神に向かって声をはりあげて祈った、「主よ、』あなたは、天と地と海とそれらの中の一切の物とをお造りになりました。』4:25 あなたはわたし達の先祖、あなたの僕ダビデの口をもって、聖霊により、こう言われました。『なにゆえ異教人らは騒ぎたち民どもは空しいことをたくらむのか。4:26 地上の王たちは勢ぞろいをし主権者たちは一緒に集まって主とその(油注がれた)救世主とに反抗する。』4:27 (そして、この預言は成就しました。)実際ヘロデ[アンテパス](王)と(総督)ポンテオ・ピラトとは』異教人らや』イスラエル人の『民ども』と共に、『あなたに油を注がれて(救世主として聖別され)た、』あなたの聖なる僕イエスに敵対してこの(エルサレムの)都に『集まり、』4:28 あなたの力強い御心をもって実現しようとあらかじめ定められていたことを、なしとげたからであります。4:29 だから、今、主よ、彼らの(わたし達に対する)おどかしをよく御覧ください。そして出来るかぎり大胆に御言葉を語る力を、(わたし達)あなたの僕どもにさずけてください。4:30 御手をのばして、あなたの聖なる僕イエスの名のゆえに、癒しや徴や不思議なことを行わせてください。」4:31 こう彼らが祈りおわると、(たちまち)集まっていた所が揺れ、だれもかれも聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語った。
 
 

マタイの福音書6章19-24節、クリスチャンの財政観LAジュビリー教会 牧師 北野実LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
 
 
 
 

マタイの福音書6章11-13節:主の祈りPART2(天国の民として生きる力 LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

主の祈り(違いのある人)マタイ6章8-10節 LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。

マタイの福音書6章9-15節)福音の力を享受する人生(ゆるし)LAジュビリー教会 北野実



6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

マタイの福音書6章5-8節、奥まった部屋から全世界へ LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

マタイの福音書6章1-4節:天国民の持つ秘密の祝福:救済 LAジュビリー教会 牧師北野実



6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

祝福はどこから!?(ヨシュア16;1-10)

16:4 こうして、ヨセフ族、マナセとエフライムは、彼らの相続地を受けた。
16:5 エフライム族の諸氏族の地域は、次のとおりである。彼らの相続地の東の境界線は、アテロテ・アダルから上ベテ・ホロンに至り、
16:10 彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた。今日もそうである。カナン人は苦役に服する奴隷となった。
ヨシュアとイスラエル部族は、約束の地を分けることになりました。今日の聖書箇所は、ヨセフ部族(マナセ、エフライム)です。ヨセフ部族は、末っ子に近い部族でしたが
レビ部族が祭司となったために、彼ら2部族が約束の地の分け前を2部族になって受けることになりました。それは、祝福は神様から来ることだからです、ヨセフを選ばれてエジプトでイスラエルを大きな国民にした神様の祝福がありました、祝福は神様から来ます。また、エフライム部族は創世記48章の8-20節にあるヤコブの預言どおりに次男が先になり、大きな勢力を得ることになります。祝福は、神様の選び、約束から来ます、→今日、適用(黙想)で祈ります、主よ、神様のみ言葉の約束どおりに、み言葉通りに人生を導いてください、神様の選びにより、約束によって祝福してください。また、最後にひとつ、ヨセフ部族は、ゲゼルに住みカナン人を追い払わずに(追い払えなかった、のでないのですJOSHUA10;33、ヨシュアはゲゼルの王と軍隊を破っていたのに、です!)、そして彼らは苦役に服する奴隷にしました。それは、労働力がほしかったのかもしれません、しかし、神様の命令は追い出すこと(DENTERONOMY7;1-5)、でした。不純物を入れてはいけない、ということです。それは、現在の楽を求めることから、現実に妥協することから、未来を暗くしていきます。今日、主にあって不純物を取り除いていきます。神様からの祝福を失わないように、つかんでいきます、不純物を離します。

Wednesday, August 3, 2016

難しい人は、いつも難しい(CALEBの信仰に学ぶ)ヨシュア14;1-15

14:10 今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。14:11 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。14:12 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
CALEBは、40年前にカデシュ・バルネアで信仰を持って主に従ったCALEBとJOSHUAの約束を願い出ます。それは、カナンの地を10人の偵察たちとJOSHUAとCALEBが、見たときに、①10人は彼らは巨人のようで、自分たちはいなごのようだ、神様は私たちを滅ぼそうとされた、と神様への愛を疑い、信仰を持って歩むことができませんでした。②しかし、JOSHUAとCALEBは主に従いとおしました、そのために、彼らだけが40年間の荒野生活を終えてカナンの地はいることができました。10人違っても、多数決で負けても、神様に従いとおすことが必要です、教会は、神様の国は民数主義でありません。神様の声に従います。2人しか従わなくても、彼らは従い続けました。そして、40年後にCALEBは「あの日の約束を果たしてください」といいます。それは、約束どおりに生きても、すでに85歳のCALEBでした。考えてみると、主のみ言葉に従っても、すでに85歳になってしまった、と文句を言ったり、若いころならできますけど、とEXCUSE(同じか!?)することもあります。しかし、CALEBは主の約束を成就されたことを感謝しながら、12節「どうか、今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったmのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことをができましょう」と信仰の告白をします、人間的に言うなら、①すでに85歳になった、とか、②アナク人は相変わらず大きいです、とか、③城壁のあるまちまちでなくて、城壁のないまちまちを、とか、④自動的にください、何にもしないでください、言えるでしょう。しかし、CALEBは信仰を持って、年をとっても、難しい城壁のある町を、難攻不落の山地をください、主がともにいるなら、と告白します。難しい人はいつも、条件をつけて難しいといいます。あれが条件解決したら、といいます。しかし、そんな完璧な条件だけを求めるのなら信仰は必要ありません。今日、私にとって無理、難しいことを、主よ、あの日の約束のとおりに与えください、祈り、行動します。主がともにいるなら追い払えます、この町を、WEST LAを、TORRANCE,SOUTH BAYを与えてください。

敵はいろんな方法でやってくる(ヨシュア9;1-15)

9:1 さて、ヨルダン川のこちら側の山地、低地、およびレバノンの前の大海の全沿岸のヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞き、
9:2 相集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。
9:3 しかし、ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行なったことを聞いて、9:4 彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、9:5 繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。9:6 こうして、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国からまいりました。ですから、今、私たちと盟約を結んでください。」
ヨシュアとイスラエルの民たちの敵(神様の敵)は、①合同して戦いを挑んでくる王たちと、②変装して、計略を持ってやってきたギブオンの住民のような人々に分かれます。彼らは、古びたパン、着古したサンダルと服、古びた袋、継ぎを当てたぶどう酒の皮袋をもって、盟約を結びにきます。その時に、ヨシュアも、長老たちも、その時に主に聞かずに失敗をしてしまいます。それにしても、イスラエルは聖絶の問題、敗北とあった後で、再び攻撃にあい、失敗してしまいます。思えば、ギブオンの人々の①エジプトで神様のなさった奇跡のNEWS、②最近のヨルダン川のエモリ人の二人の王にしたこと、を聞けば時間的におかしい、とも思えることもあったのでないか?と思いますが、だまされてしまいます。今回のヨシュアのQTを黙想し、考えるに、イスラエルは弱い、ということです。神様がいないのであれば、ということです。クリスチャンは神様はいないのなら、弱いことを自覚し、どんな些細なことも主に聞くことが必要です。でないと、私は弱く、判断力も、知恵もないものである、ということです。今日、主の前にみことばに聞き(箴言の聖書通読)、と祈りを持って使え、求め、奉仕していきます

神様の祝福とのろいの疑似体験させるヨシュア(ヨシュア8;30-35)


8:30 それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築いた。8:31 それは、主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたとおりであり、モーセの律法の書にしるされているとおりに、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であった。彼らはその上で、主に全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげた。

8:32 その所で、ヨシュアは、モーセが書いた律法の写しをイスラエルの人々の前で、石の上に書いた。
8:33 全イスラエルは、その長老たち、つかさたち、さばきつかさたちとともに、それに在留異国人もこの国に生まれた者も同様に、主の契約の箱をかつぐレビ人の祭司たちの前で、箱のこちら側と向こう側とに分かれ、その半分はゲリジム山の前に、あとの半分はエバル山の前に立った。それは、主のしもべモーセが先に命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。 8:34 それから後、ヨシュアは律法の書にしるされているとおりに、祝福とのろいについての律法のことばを、ことごとく読み上げた。
 
 
ヨシュアは、エバル山とゲリジム山に分かれて祝福と呪いとの律法を読みます。エバル山に全焼のいけにえ、と和解のいけにえささげてから、律法を読みます。ヨシュアはAIの勝利の後にこれを行います。以前にも、ヨルダン川を渡った後に、割礼を施す、という小休止をしました。それは、神様に導かれたヨシュアの霊的なリーダーシップです。勝利にのって次から次へと攻めるほうが戦略的に、また効率としていいかもしれません。しかし、神様の約束の地をとりにいく神様の民にとって、大事なのは神様との同行でした。そのために、ヨシュアは霊的な小休止を取りながら、この地へ入っていく意味を教えます。それは、奇妙な疑似体験、ドラマとも言えるような、律法を読むことを体験させました。それぞれに、祝福とのろいを象徴する山を2つにして、相対して、民たちを動員して体験させます。ヨシュアはその前で全部の律法を読みます。ヨシュアは非常に活動的なリーダーシップを発揮します、それは、戦いのリーダーであるだけでなくて、この戦いを通して得るカナンの地へ行く意味、すむ意味は、神様のみ言葉を守って生きることを伝えます。それは、神様の約束(いまだに占領していない、まだまだこれからの、神様の約束の地)の先取りです。いかに占領したとしても神様のみ言葉を守らないなら、のろいの人生で滅ぼされて、この地から追い出されてしまいます。ヨシュアはこの準備をことあるごとにします。今日、ヨシュアのリーダーシップを祈ります。みことばを疑似体験できる、立体的な礼拝、奉仕を祈っていきます。

失敗を恐れを締め出すのは、悔い改め!(ヨシュア8;10-23)

8:18 そのとき、主はヨシュアに仰せられた。「手に持っている投げ槍をアイのほうに差し伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」そこで、ヨシュアは手に持っていた投げ槍を、その町のほうに差し伸ばした。8:19 伏兵はすぐにその場所から立ち上がり、彼の手が伸びたとき、すぐに走って町にはいり、それを攻め取り、急いで町に火をつけた。8:20 アイの人々がうしろを振り返ったとき、彼らは気づいた。見よ、町の煙が天に立ち上っていた。彼らには、こちらへも、あちらへも逃げる手だてがなかった。荒野へ逃げていた民は、追って来た者たちのほうに向き直った。8:21 ヨシュアと全イスラエルは、伏兵が町を攻め取り、町の煙が立ち上るのを見て、引き返して来て、アイの者どもを打った。
イスラエルの民たちとヨシュアはAIの町をもう一度、攻撃しに行きます。それは、神様の代案のとおりに伏兵を置き、従うところから始まりました。人は失敗をすると、恐れが起こります。また、失敗をするのでないか?と。しかし、ヨシュアと民たちは、神様の前に悔い改めて、①いい意味の緊張感を持って、②民の先頭に立つリーダーシップをヨシュアはもって、③ともに戦う民と(TEAMWORKをもってDOING CHURCH AS A TEAM)、④戦う民を持って(戦いを実際にします)、AIを攻め取りにいきます。戦いの勝利は、神様にかかっています。それに私たちが従っていくかどうかです!⑤ヨシュアは、その夜に民とともに夜を明かします。それは、ともに戦い、苦労すること、身をもって行動をもって、示します。人は何度も失敗します、罪も犯してしまいます、しかし、それから立ち直らせるのは、悔い改めです!主への方向転換です。その時に、今までの挫折も、失敗も、乗り越えるものです。今日、主の前に主の代案に、しっかり服従して、BESTつくして進みます。それは、今までの失敗に、罪に、不従順を、恐れをなくす「悔い改め」の力です。新しい神様の道に、代案に、示されたことに、緊張感を持ってすすんでいきます。

神様のみ言葉を全部するときが幸せだ!(ヨシュア8;24-35)

8:26 ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。
ヨシュアとイスラエルの民たちは、AIの住民を今度は徹底的に、剣でうち殺し、聖絶します。特に、ヨシュアはAIの住民をことごとく聖絶するまで、「投げやり」を差し伸べた手を引っ込めなかった、26節。そこには、徹底的にしていくヨシュアのリーダーシップがあります。神様の言われたことを「ずっと」し続けること、出し続ける、ヨシュアの姿があります。終わるまでやめない、彼の緊張感、そして民たちに伝わるリーダーシップの緊張感があります。させる、彼の神様への従順があります。本当の幸福、勝利はどこにあるでしょうか?それは、神様の言葉を最初から最後までするときにあります。中途半端にするのでもなく、適当に自分の考えを混ぜるのでなく、現実はこれだから、と神様の主権を認めないのでもなく、神様のとおりにするときにHAPPYがきます。ヨシュアとイスラエルは、今回は聖絶するものは徹底的に排除します。全部を清めるとき、残さないときに、罪の要因、誘惑がなくなります。少しも残さない、ことがPOINTです。そして、今回は、戦利品をつかみます。ちゃんと神様の報いもあります。今日、神様のみ言葉を全部、従う、行うことを祈ります、弱い私を助けてください、神様のみことばを全部行う祝福、幸福をつかみます

前の弱いイスラエルと何が違うのか?(ヨシュア8;1-9)

8:1 主はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。8:2 あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。ただし、その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町のうしろに伏兵を置け。」
8:6 彼らが私たちを追って出て、私たちは彼らを町からおびき出すことになる。彼らは、『われわれの前から逃げて行く。前と同じことだ。』と言うだろうから。そうして私たちは彼らの前から逃げる。
イスラエルの人々は、アカンの罪を告白し、罪を処分しました。その跡で、再び神様はたって、AIを攻めるように言われます.罪の清めの結果、起こる回復と主の御心がまたなされようとしていました。しかし、その回復は罪の悔い改めを神様が受け取ってこそ、神様が回復してくださってこそ起こるものです。そこで、主は再び、AIを攻めること、聖滅と戦利品の違い、を明らかにされてから、伏兵を置くように言われます。神様は具体的に指示をされます。そして、ヨシュアは全軍を率い、勇士を3万人(3倍選び)選び、伏兵を置かせます。明らかにJOSHUAが謙遜に、恐れを持って、今回の戦いに臨んだことは言うまでもありません。しかし、それと逆にAIの町の人々は、「われわれの前から逃げていく、この前と同じことだ」と予想される高慢な状態でした。その中で、JOSHUAが「主があなた方の手に渡される」という神様の再びの約束、そして「主の言いつけどおりに」行わないといけない、またそれを私は命じた、と主に従うこと、JOSHUAが主の命令を伝えたこと、宣言し、民とともに夜を明かします。何が変わったのでしょうか?主がともに折られることです。それが、最弱のイスラエルを最強に変えます。霊的にわからなかったAIの民は、この前と同じと思います。私たちも、神様がともにいないのなら、弱いイスラエルと同じです。しかし、主がともにいるのなら、最強になります。後は、主のみ言葉通りにするだけです、最善を尽くしてJOSHUAがリーダーシップをとり、行い、させたように、歩むことです。本当にあるべきクリスチャンの姿です、私の回復はそこから始まります。神様の前に悔い改め、主の何を目標にすべきか、みて、主の言いつけどおりに最善を尽くして歩みます、

断固として罪に立ち向かうこと(ヨシュア7;19-26)

7:19 そこで、ヨシュアはアカンに言った。「わが子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。あなたが何をしたのか私に告げなさい。私に隠してはいけない。」7:20 アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。
7:21 私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」
7:24 ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。7:25 そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。7:26 こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。
  アカンに、ヨシュアは彼の罪を告白させます。アカンの盗んだものは、決して少ない少量のものでありません、聖書を読んで決して少し目がくれんで運んでいった、というポケットにこっそり、という量ではありません。それは、けっこうな量の盗みであり、おそらく自分ひとりでなく、家族など、ほかの人の助けが必要なはずになります(どうやって、一人隠すことができるでしょう)。このアカンの罪のためにイスラエルは神様の関係が壊れました、神様の臨在を失い、戦争に負けました。アカンは、見てほしくなり、とあります。目の欲、罪が、目の前の現実だけが、目に見えなくても、臨在の神様がいわれた命令を守られせなかったのです。それは、「これくらいいいいだろう、ばれないだろう」という罪でした。①今日、目に見える欲に気をつけます、見ることに注意します。また、アカンはイスラエルが約束の地をとりに行く大事な戦争であること、自分たちイスラエルの共同体のことを考えませんでした、何よりも、彼はくじでひかれる最後の瞬間まで、告白をしなかったのです。②ヨシュアは、最後まで罪を告白しない、逃げようとする、しらをきろうとするアカンに罪を告白させました、今日、主の前に罪を告白させる事実を引き出す、告白のミニストリーをするように祈ります。③アカンたちは、家族や所有物ともにアコルの谷に連れて行かれました。それは、彼らアカンたちが決して貧しい人たちでなくて、所有のある一族であり、ひとつの共同体として力があったことがわかります。そこで、アカンと一族、所有物さえも石で撃ち殺されて、焼かれます(所有物さえも)、それは、罪をまったく残さない(もしも、所有物を残したら、そこへまたおかしい、処分、分配に困るでしょう、戦国時代なら手柄にあった人に渡されるところでしょうが、違います)、今日の三番目の適用は、罪は徹底的にこわす、処分するです。それは、神様の祝福を疑うことです。また、共同体を壊す罪、小さい、大きい出なくて、罪は罪であること、断固として処分をしないといけないこと、まずは自分から。そして、主にある聖なる共同体の正しい、厳しさを持っていくようにします。

罪は隠し通せない(ヨシュア7;10-18)

7:16 そこで、ヨシュアは翌朝早く、イスラエルを部族ごとに進み出させた。するとユダの部族がくじで取り分けられた。7:16 そこで、ヨシュアは翌朝早く、イスラエルを部族ごとに進み出させた。するとユダの部族がくじで取り分けられた。
イスラエルは、エリコの戦いで聖絶すべきことを守りませんでした。それは、たとえアカンという一人の罪であっても、イスラエルの信仰共同体の全体に影響を与えます。ひとつでも罪があったら「神様がともにいることがありません」それは、そく、イスラエルがここでまける、約束の地に入っても、神様がいないと時に、何にもない民族に、ここで敗北して全滅する、ということになります。主はイスラエルの罪を指摘されて、その罪を除き去るまで敵の前に立てない、とあります。そこで、ヨシュアはくじをひいて、罪を犯したものを取り分けます。ここで、ふと黙想したことがあります。アカンはそのときにどんな気持ちだったのか?ということです。最初、①くじを引かれるときは、「まさか、大丈夫だろう」と思っていたことでしょう。でなければ、自白するはず、です。自分の罪のためにイスラエルが敗北して、ここ約束の地に入ったのはいいですが、全滅する、後ろにも引けない、前にも引けない状態になったのです。そのことへ良心の呵責、罪のくいらためはなかったのでしょうか?(なかったから、言わなかったのでしょう)次に、②くじをひかれて「ユダ部族」がひかれたときには、「まさか」と思ったことでしょう。③次の「ゼラフ」がとられたときに、焦りが起こったことでないでしょうか?しかし、彼は告白しなかったのです。④そして「ザブディ」がとられて、本当に顔が蒼白になったのでないでしょうか。しかし、彼はチャンスのあるときに出ていかなったのです。⑤最後に自分がとられました。今日の黙想は、2つです、1)主の前に罪びとは告白をしない、ということです。そのチャンスのあるときに自分は、主の前に罪を告白できるように、します、ということです。2)共同体の中に、罪があるときに、それは徹底的に除去しないといけない、ということです、明らかにして罪を除かないと主の臨在はない、ということ。教会というクリスチャン共同体はありえない、ということです。これは、私のような足りないリーダーには、優しすぎて難しい部分です、しかし、罪のを除かないのは、まことの愛がないことです。何よりも、教会という共同体を主の前にきよめていきます。

主が人の声を聞かれる(ヨシュア10;1-14)

10:8 主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」
10:12 主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」
10:13 民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。
10:14 主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。
エモリ人の5人の王たちが、エルサレムの王の同盟の要請にこたえてヨシュアとイスラエルの民たちを攻撃してきます。人は、力に、権勢に、大きさに、数に恐れます、そのために。志のない同盟をします、力のない同盟をします。力を数に自分の勝負を頼ります。しかし、神様の人は神様にのみ頼ります。ヨシュアは神様から再度、「恐れるな」!というメッセージを受けます。そして、戦いにおいて神様はイスラエルが激しく、打った上に、「天からの石を降らせ」イスラエルの討った数よりも多くの数を討たれます。そして、ヨシュアが主に語り、日がギブオンでとまり、月がアヤロンの谷を止める、という天地創造以来の時間の秩序と、季節、一日の時間の過ぎることを、また一部の地域での変化をなされます、そうです、主はイスラエル(戦う神、です。私たちのために!)自然も、摂理も変える神様を願う、語る、聖霊に満たされたヨシュア、今日、トーランスの中で、主が働かれることを信じ、ともに戦ってくださることを信じ、私たちのために、自然も、摂理さえも、帰る主に願い、祈り、叫び、伝道していきます。この地を、約束の地を、TORRANCEをサウスベイ、LA,南カリフォルニアをとらせてください、人でなくて、力でなくて、神様を頼みにして、主の僕、民のために、約束のために、天変地異までおこす、神様の奇跡を私の中に、教会の中に与えください。

時を逃すな!(ヨシュア10;15-28)

10:18 そこでヨシュアは言った。「ほら穴の口に大きな石をころがし、そのそばに人を置いて、彼らを見張りなさい。
10:19 しかしあなたがたはそこにとどまってはならない。敵のあとを追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らの町にはいらせてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」
ヨシュアたちは、勝利の後で、①5人の王たちをほろ穴に閉じ込め、②続いて、敵たちのしんがりを追いかけ、攻撃し、町に入らせないようにします。それは、今、何をすべきか、ということでした。戦争は今、しかありません。このチャンスを、今逃すと次はありません。今日の黙想は、1)今すること、2)今すべきことを、時を流すな、ということです、ヨシュアたちは、全滅させたの後に戻って、王たちを倒します。今日、主にあるチャンス、きょうすべきことをしていきます。

神様の言葉に私の人生は全部征服されたか!?(ヨシュア10;29-43)

10:30 主が、その地も、その王も、イスラエルの手に渡されたので、彼は、この地とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、その中にひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、その王にもした。
10:31 ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、リブナからラキシュに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った
10:32 主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、彼は二日目にそれを取り、それと、その中のすべての者を、剣の刃で打った。すべてリブナにしたとおりであった。
ヨシュアたちとイスラエルは、カナンの南部の征服戦争を終えて戻ります。その時に、繰り返して私の心に残ったみことばが「聖絶」した、という言葉、また一人も生き残るものがないようにした、すべて、~したとおりであった、という言葉でした、ここで聖絶について話す気はありませんが、すべて「そのとおりにした」また、例外なくやってきた、という言葉が心に残りました、人は、これくらい、今日くらい、いいじゃない、ということが起こらないでしょうか?また、今日に限ってしなかった、できなかった、ということが出てくるのがあるのでないでしょうか?しかし、ヨシュアとイスラエルたちはそのようなことをしませんでした。悪い意味の例外のない、すべてを神様のいわれたとおりにする、ことでした。それは、全部そのとおりにしないとイスラエルは先に進めないからでした、自分たちの力で勝利しているのでなくて、神様がともにいることで勝利しているのです。
従い続けることで、勝利しているのです。そうでないと、AIのような敗北が続きます。何度も繰り返します、いや、繰り返すどころか、約束の地に入ることができません、逆に追い出されます。今日のリビングライフの表題は、神様の言葉に征服されれば、勝利する人生になります、でした。本当に素敵な表題と思いました。今日、主のみ言葉に例外なく、征服されることを祈ります、自分がこの部分は、別ですとか、自分で考えて好きにします、でなくて、神様のみ言葉に征服される、全部!祝福を得たいと思います。

一言も逃さないから恐れない(ヨシュア11;1-15)

11:6 主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」
11:9 ヨシュアは、主が命じたとおりに彼らにして、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼いた。
 11:15 主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行ない、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。
ハッオルの王ヤビンは、方々のカナン人、エモリ人、へて人、ペリジ人と、エブス人たちと連盟を結び、イスラエルと戦います。全陣営を率いてきた彼らの戦いを前にして、主はヨシュアに「彼らを恐れてはならない、あすの今頃、わたしは彼らをイスラエルの前で刺し殺されたものとするからだ」と、勝利を約束されます。しかし、それには条件があります、勝利の後に「彼らの馬と戦車」の徹底的な処分を言われます。今朝、黙想しました、主はなぜ、ヨシュアに毎回、「恐れるな!」といわれるのか?毎回、新しい敵に、おびただしい敵の数、予想のできない戦い、そのたびに、恐れるヨシュアに、神様はそのたびに、恐れるな!神様があなたの手に敵を渡す、といわれたのでないか?と黙想しました。
はたして、私はどうでしょうか?すでに神様の勝利をもらっていても、新しいチャレンジに、新しいことに、やはり恐れます。それは、私の力でしようとするからです、それでは、勝つことができません。その時に、どうしたらいいのでしょうか?神様の命令を受け取ることです。自分の現実の中に、神様の命令、約束、力が21世紀の私の中に来ることです。ヨシュアは、イスラエルが勝利にしたときに、神様のいわれたとおりにします。一人も生き残ることがしないようにしたとか、馬のハムストリングを’切ったとか、戦車を焼いたとか、それらは、非常に大事なことでした。神様の言われたことを一言も逃さないから恐れがありません、何も隠すものが、心に後ろめたさがありません。罪への誘惑、前のカナン人たちの影響が残らないようにしました。また、ヨシュアはこれら一言ものがさないようにしました。今日、主の前に一言ものがなさい、信頼を持ってしたがっていきます。



 

信仰生活は漠然としたものでない!(ヨシュア15;20-63)

15:1 ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は、エドムの国境に至り、その南端は、南のほうのツィンの荒野であった。
15:2 その南の境界線は、塩の海の端、南に面する入江から、
15:33 低地では、エシュタオル、ツォルア、アシュナ、
15:47 アシュドデと、それに属する村落、すなわち、村々。ガザと、それに属する村落、すなわち、村々。エジプト川と大海までとその沿岸。
15:48 山地では、シャミル、ヤティル、ソコ、15:61 荒野では、ベテ・ハアラバ、ミディン、セカカ15:63 ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった。それで、エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んでいた。今日もそうである
今日のQTは、ユダ部族の相続地のリストでした、一番難しい、面倒くさい、と思えるかもしれないQT,聖書箇所ですが、もしも、自分が与えられる土地だったり、家だったり、親戚の、友人の土地だったり、したらどうでしょう。その気持ちを持って読んでみました。ただ、流さないように、①日本語の地名のほかに英語で地名を書き写しながら、②南と西のFOOTHILLSと、沿岸まで、簡単に地図を書きながら、③村と町の数をCHECKしながら、④自分の知っている地名を逃さないように、QTしました。そこで、感じたのは、信仰生活は漠然としたものでなくて、また概念や思想的なものでなくて、現実的なものである、ということでした。自分が相続地を受け取る、なら必死になって求めて、生きておられる神様を現実に、肌で感じたのでないでしょうか?今日、主の前に具体的に私の相続地を求めていきます。主のリバイバル、教会の祝福を求めます。また、ユダ部族は、エブス人を追い払えなかった、とあります。それは、リビングライフにあるように巨人であったアナク人を追い張らいながらも、エブス人を追い出せない?(もしくは、追い出さなかった?)おかしな問題がありました。ユダ部族は、ほかの部族よりも熱心に征服をして約束の地を得ました。しかし、わずかな、小さい部族を追い出さなかったことが、あとでつまずきになります、しかも、これはエルサレム、将来に、主を礼拝する首都になる場所でした。わずかな、これくらいが後々につまずきになります、今日、つまずきの原因を、少しくらいの不従順はいいさ、をやめます。100%従順、純粋を目指しまます。

Tuesday, August 2, 2016

マタイの福音書6章5-8節、奥まった部屋から全世界へ LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

マタイの福音書6章 16-18節:まことの断食:神さまだけに集中しろ!ホンモノと偽者の違い LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:16 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6:17 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。6:18 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。

マタイの福音書6章5-8節、奥まった部屋から全世界へ LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです.6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

主の祈り(違いのある人)マタイ6章8-10節 LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。

)マタイの福音書6章11-13節:主の祈りPART2(天国の民として生きる力 LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

マタイの福音書6章9-15節)福音の力を享受する人生(ゆるし)LAジュビリー教会 北野実



6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
 

マタイの福音書6章19-24節、クリスチャンの財政観LAジュビリー教会 牧師 北野実LAジュビリー教会 牧師 北野実



6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
 

使徒の働き4章19-31節:聖霊の事件は私にどんな関係があるか?! LAジュビリー教会 北野実



4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。4:20 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」4:21 そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
4:22 この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。4:23 赦された二人は仲間の所に行って、(最高法院の)大祭司連や長老たちが言ったことを報告した。4:24 聞くと彼らはいっせいに、神に向かって声をはりあげて祈った、「主よ、』あなたは、天と地と海とそれらの中の一切の物とをお造りになりました。』4:25 あなたはわたし達の先祖、あなたの僕ダビデの口をもって、聖霊により、こう言われました。『なにゆえ異教人らは騒ぎたち民どもは空しいことをたくらむのか。4:26 地上の王たちは勢ぞろいをし主権者たちは一緒に集まって主とその(油注がれた)救世主とに反抗する。』4:27 (そして、この預言は成就しました。)実際ヘロデ[アンテパス](王)と(総督)ポンテオ・ピラトとは』異教人らや』イスラエル人の『民ども』と共に、『あなたに油を注がれて(救世主として聖別され)た、』あなたの聖なる僕イエスに敵対してこの(エルサレムの)都に『集まり、』4:28 あなたの力強い御心をもって実現しようとあらかじめ定められていたことを、なしとげたからであります。4:29 だから、今、主よ、彼らの(わたし達に対する)おどかしをよく御覧ください。そして出来るかぎり大胆に御言葉を語る力を、(わたし達)あなたの僕どもにさずけてください。4:30 御手をのばして、あなたの聖なる僕イエスの名のゆえに、癒しや徴や不思議なことを行わせてください。」4:31 こう彼らが祈りおわると、(たちまち)集まっていた所が揺れ、だれもかれも聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語った。