Wednesday, August 7, 2013

今、私がココにいる理由を知る

使徒行伝23章11節「その 夜, 主が パウロ のそばに 立って, 「勇氣を 出しなさい. あなたは, エルサレム でわたしのことをあかししたように, ロ ― マ でもあかしをしなければならない. 」と 言われた」使徒パウロは千人隊長により、議会にたたされましたが、「いきなり打たれたり」不法な裁判にあいました。しかし、彼は恥じることのない完全な良心を持って証し続けました。打たれて「白い壁」と言ったら、大祭司であることを聞き、「指導者を悪くいっていはいけない」とあると書いてある、とすっとんきょうなくらいに簡単に認めます。正直です。彼らが間違っているのに、自分にもMISSがあると思えば認めます。神様はそのような状況のパウロに[勇気を出しなさい、私の証をエルサレムでしたように、ローマでもしないと行けない]と語られます、今朝、思いました。何故、パウロはこのような不法な裁判、そして苦しい状況、プレッシャーの中でもぶれずに、もういいや、と投げ出さずにいれたのか?それは、今何のためにここにいるのなか?神様の声を聞いたからです。だから投げださいのです。神様はパウロの宣教のたびに語られます。どれほど、大きな力でしょうか。今朝、TORRANCEにいる理由を、南加州で弟子を作っていくミニストリーをします。勇気を出して、今日を歩み続けます。

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