Thursday, August 29, 2013

静まり待つとは、主を喜びながら待つ

ハバクク3;16,18節(QT本文11-19)16節「私は聞き,私のはらわたはわななき,私のくちびるはその音のために震える.腐れは私の骨のうちに入り,私の足もとはぐらつく.私たちを攻める民に襲いかかる惱みの日を,私は靜かに待とう.」18節「しかし,私は主にあって喜び勇み,私の救いの神にあって喜ぼう. 」 私たちは、どうやって自分をおとしめる、脅迫する、攻撃する人に対して「静かに待つ」ことができるでしょうか?①主の前に正しく祈り、訴えることです。それは決して自分を高慢に出来ません。なぜなら、全てをご存知な神様の前に嘘はつけないからです。それは非常に危ないことです。謙遜にありのままに神様の前に、いや十字架のイエスによって神様の前に出るしかないのです。②神様の民として生きるものに訴えこと、神様の救いがきます。神様のものでないなら自分たちはどれほど危険なことでしょうか。今までどれほど、神様が救いを私に下さったことでしょうか。神様に感謝し、賛美します。③そして、不必要なことをしないこと、人間に頼るのでなくて、神様に向かっていきます。④神様の偉大さ、救い、そして私のために闘ってくださる方であることを経験することです、その時に静まり、主を喜びながら待つことが出来ます。今朝、もう一度、ハバクク2;4「見よ. 心のまっすぐでない 者は 心高ぶる. しかし, 正しい 人はその 信仰によって 生きる.」にたっていきます。主よ、助け、導いてください。

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