Sunday, August 4, 2013

神様の声を聞かない情熱

使徒行伝22:7節「私は 地に 倒れ, 『サウロ , サウロ . なぜわたしを迫害するのか. 』という声を聞きました.」
使徒パウロはユダヤ人の人々の前で①出身、②受けた教育(信仰教育)、③神様への情熱、④そして過去はクリスチャン(今風に言うとキリスト教徒)を激しく迫害したことを証言します!証言です!!長老や大祭司たちも証言できると過去の私は皆さんと同じだったと話します。しかし、その情熱は正しい方向へ行っていませんでした。情熱も方向を間違えると大変な結果、間違ったGOALへ自分の人生を導きます。それは、神様に熱心と言いつつも、神様の声を聞かない情熱の難しさ、いや無駄、もしくは過ちを犯すことにさえなります。神様からの声は裁きのことでなくて彼に「何故?」と聞いてくださる人格的な愛でした。神様の声を聞かないで行動すると「何故?」ときかれると自分でも出所が分かりません。一生懸命したんですけど、となってしまいます。光に倒れて人に手を引かれて歩むパウロの姿は私たちの人生のようかもしれません。彼はダマスコで10節「私が, 『主よ. 私はどうしたらよいのでしょうか. 』と 尋ねると, 主は 私に, 『起きて, ダマスコ に 行きなさい. あなたがするように 決められていることはみな, そこで 告げられる. 』と 言われました. 」とあるように、神様の声を聞くことからパウロの新たな、正しい方向への人生は始まりました、それはショックなことだったかもしれません、自分の人生、していることが否定されるような感じがあったかもしれません、しかし、神様に出会う時に、神様の声を聞くときに本当の幸福な人生をはじめれます。正しいGOALへ向かいます。今日、神様の声を謙遜に聞き、伝えていきます、主イエスの幸福をSHAREしていきます。

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