Wednesday, August 21, 2013

人生の意味を悟らねば、奇跡も愛も

使徒行伝28;8節(本文1-10節)「たまたまポプリオの父が,熱病と下痢とで床に着いていた. そこでパウロ は, その人のもとに行き,祈ってから, 彼の上に手を置いて直してやった」10節「それで 彼らは, 私たちを 非常に 尊敬し, 私たちが 出帆するときには, 私たちに 必要な 品¿を 用意してくれた. 」パウロたちは、島にたどり着き、救われました。ところが、そこでパウロだけが蛇にかまれる、という事件があります。しかし、御言葉の約束どおりに(マルコ16;18)無事に守られました。また、その後で島の酋長の「ポプリオの父」の病を癒し、島の人々が病を治してもらいに来ます。島では、大きな助けと愛を受けました。苦難の中に神様の愛が待っています。しかし、今日、思ったことは「大きな奇跡も、苦難の中での愛」も、その意味を知らないと意味がないということです。人生の意味を、自分の神様に与えられた使命を果たさずに、奇跡だけにすごい!、愛に感謝ですね、で終わるのなら虚しいことなのです。島の人のようにパウロを尊敬するのは感謝ですが、パウロ自体が神ではありません。私たちは、してもらった愛に感謝して、答えて生きる人生を歩んでいるでしょうか?その背後におられる神様の愛にこたえる信仰者でしょうか?また、奇跡だけについて歩く人でないでしょうか?イベントや軌跡に感謝しても忘れるなら、意味がないといいませんが、きついものがあるでしょう。今日、主の前に私に与えられたACTS29ビジョンを持って主にある再スタートをとって生きたいと思います。主よ、人生の意味を深く刻んで、私も立ち上がらせてください。

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