Tuesday, August 13, 2013

最後には神様の御心がなることを信じると!?

使徒行伝25;12「すると,パウロ はこう言った. 「私はカイザルの法廷に立っているのですから,ここで裁判を受けるのが当です.あなたもよくご 存じのとおり,私はユダヤ人にどんな惡いこともしませんでした.」パウロは総督フェリスのもとで、裁判を受けます。エルサレムから下ってきたユダヤ人が多くの重罪を訴えますが、彼の無罪を貶めることは出来ませんでした。(もともと)何も無いのですから(律法にも!宮にも、カイザル「ローマ帝国」にも)。そして、遊惰や陣の歓心を買おうとしたフェリスのためにエルサレムでさらに裁判をさせられそうになります。パウロはそこでローマ帝国に、カイザルに控訴することになります。今日思ったことは、今日の裁判は既に時間が2年過ぎており、パウロにとってどんな思いだったか?彼にとって時間がもったいなく感じなかった、しかも無実であるのに。さらにユダヤ人の歓心を買おうとして「エルサレムの裁判」を言われる始末、しかし、そのような中でパウロは正しく裁判を求めます、また、神様の御心であるローまでの証へ向かっていきます。私の今はなかなか成長しない、変化しないことに「いつ?」また「どのようにしたら?」という思いがあります。しかし、大事なのは「必ず神様の御心はなる!」という告白に立つことです。信じることです。その過程にいる時は難しいです。しかし、主の御心へ向かう今日をBESTを尽くして主イエスを信じて歩みたい、と思います。

No comments:

Post a Comment