使徒行伝22章22節「人々は,彼の話をここまで聞いていたが,このとき声を張りすると,上げて, 「こんな 男は, 地上から 除いてしまえ. 生かしておくべきではない. 」と 言った. 28節 千人隊長は, 「私はたくさんの 金を 出して, この 市民權を 買ったのだ. 」と 言った. そこで パウロ は, 「私は 生まれながらの 市民です. 」と 言った
天国の福音を語って使徒パウロに向かって、①群集たちは「わめきちらし」生かしておくべきでない、と言いました。これって、個人ならいえることでしょうか?一人でこのような行動を人の前で出来るでしょうか?人を殺すとか、着物を放り投げ、チリを撒き散らし、など。それは社会の中の群集に紛れ込むからできることです、責任の無い人生、行動をとっていることです。②そして、市民権を買って手に入れたローマの千人隊長です。彼はパウロがローマ市民権をもっていると知らない前は裁判もせずに、「むちで打とう」としました。騒動が起こった、それだけで自分の責任をとらずに、困ったことが起こったから、というだけで人のせいにしました。かえって一方のパウロです。彼は既に天国の福音を語りました。しかし、彼らは聞く耳を持たず、拒否することを決めていたのです。それは、自分の地上の生活、ポジションにだけ彼らが重きを置いたからです。そこに、彼らの人生を守るものがると勘違いしたのです、福音が語られたのに。群集に隠れていれば大丈夫と思ったのです。ローマ市民権を買ったから大丈夫、と思ったのです。今日パウロはローマ市民権に頼っていたのではありません。天国の市民であることに自分のアイデンティをもったからこそ、ローマ市民権者であることを語れたのです。私は、もしくは私たちは、何か目に見える部分で頼れる部分を探しやすいものです。しかし、これで安心と、目に見える部分(必要なものはありますが)にだけ頼るなら危ないものです。天国の価値観で今日私の価値観、教会の奉仕考えて生きます
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