使徒行伝27章27節「十四日目の 夜になって, 私たちが アドリヤ 海を 漂っていると, 眞夜中ごろ, 水夫たちは, どこかの陸地に近づいたように感じた.」
使徒パウロたちは海難に出会います。そこで、船が進まず、また暴風に出会い、流されるにまかせ、パウロを通しての神様の声(必ずローマで証しすることになり、他の人々は誰一人として失われることなく助かること)を聞きながら、進みました。しかし、何か目に見える状況は変わることなくあったときに、陸に近づいたことを感じたのです。そして、それが「少し進むと40メートル、30メーーとる」であったこと、少しずつ陸地に近づいていることを感じたのです。信仰ってこんなものでないか、と思いました。神様のみ言葉の約束はあるけど、すぐに具体的に、現実的に変わるものがないけど、信仰を持って反応する時に「目の前の現実が少しずつ、変わっていく」ことを体験します。それは、使徒行伝の時代も現代も差がなかったのです、使徒がいたとか、イエスがいたと言うかもしれませんが、そこにいる人々は信仰をもってパウロの言うことを信じれずに、信仰のSTEPを踏むことは出来なかったのです。イエスのいた時代さえもそうです。イエスが目の前で説教しても信じず、かえって逆恨みし、イエスを殺しさえしたのです。今日、主にある現実を信仰を持って反応し、歩んでいきます。主のみ言葉を持って深みに漕ぎ出します。
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