Monday, August 26, 2013

全ては主がなされることを知る人生

ハバクク2;4節(2-11)「見よ、彼の心はうぬぼれていてまっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によっていきる」信仰で生きる人とはどんな人でしょうか?それは、私の人生は最初から最後まで、すべてイエス・キリストによって成就する、完成することを信じる人です。その人は、待つことが出来ます。現実が難しくても、目に見える現実に変化が見えないとしても、神様の幻を宣言して、信じて歩みます。なぜなら、私の人生は、イエス・キリストの十字架によって救われたからです。今日のQT箇所で後半の部分である、バビロン(カルデヤ人)の罪への指摘は流して読むと他人事に聞こえますが、心の中で犯した思いや、感情は無いのか?というの私自身への問いかけでした。そんなにあなたは聖人なの?といわれたら、とんでもないです、私は本当に罪びとです。あなたに頼るしかないです。イエス・キリストの十字架に頼るしかないです、と告白するほかありません。ならば、私の人生も、ビジョン、教会もなされるのは主イエスのみです。現実的には難しいし、恥ずかしいけど、神様のビジョンを宣言して、信仰で歩んでいきます。主よ、あなたの十字架の勝利を、栄光を与えてください。しもべはまちます。

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