使徒行伝21章39節「パウロは答えた「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で, れっきとした 町の市民です.お願いです.この人々に話をさせてください. 」
使徒パウロは、ささげものをして7日目が終わろうとする時に「アジアからユダヤ人(ディアスポラ)たちの妬み」から「イスラエルの人々」まで巻き込んで、パウロは暴動を起こされて、死の危険にさらされます。まったくの誤解であり(29節)、宮から出され、殺されかけた時にローマの千人隊長がパウロを兵営に連れて行きます。そこで、パウロがギリシャ語で話しかけます。ギリシャ語を知っている自分の出身理由を話したパウロは、次に群集にヘブル語で話しかけます。何気に読み過ごすといけません、大変なことです。日本語を2世が流暢に話し、さらに英語を話します。でも、そのことを何のために使うかどうか?!です。アジアから来たユダヤ人は、その状況、条件を「パウロを殺すために、怒りのために」手を使いました。しかし、パウロは命の危険の中で、自分がどうなるのか分からない状況で、怒りや復讐のために使おうとしませんでした。私はどうでしょうか?私に何かあるわけでありませんが、自分のものを何のために、使おうとしているのでしょうか?今日、私の状況や人々がどうであろうと、愛し、ゆるし、祝福し、神様の栄光のために、使っていきます。
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