使徒行伝24;25「しかし, パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので,ペリクスは恐れを感じ,「今は帰ってよい.おりを見て,また呼び出そう.」と言った.
今日の総督ぺリウスとパウロの会話は「キリストイエスを信じる信仰」について語られながらも、「正義と節制、やがてくる審判」を聞いたときに、恐れを感じて、また今度、と言ったのです。彼は、その後に①パウロにお金をもらいたい下心もありつつも、②ユダヤ人に恩を売ろうしました。今日感じたのは、大事なかみさまのメッセージを聞いても、もらっても「すぐに聞かないなら、また今度」ということなら回復がない、ということです。まして恐れを克服して、罪を告白して回復できる祝福が来ません。今日の総督ぺリウスも、フェストもそして宗教人のユダヤ人でさえも神様にある喜びや自由、開放、回復と言うKEY WORDがでてきません。何故でしょう?自分の罪が示される、太陽の元にさらされることに恐れがあるからです。人間誰しもそうでしょう。しかし、主イエスの十字架に会うなら、既に赦されているなら、イエスの愛に出会うなら、イエスの出て行けません。そこにしか解放はありません。自由はイエスの真理にしかありません。今日といチャンスを逃さないで下さい。今日、主イエスの愛をまっすぐに語ること、聞くことを大事にしていきます。
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