Thursday, July 14, 2016

私のJERCHO MARCH AROUND THE CITYをせよ(ヨシュア6;1-14)

6:2 はヨシュアにせられた。「見わたしはエリコとその王、および勇士たちをあなたのした6:3 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを。町周囲一度回、六日、そのようにせよ
6:4 七人祭司たちが、七つの雄羊角笛って、箱、七日目には、七度町、祭司たちは角笛らさなければならない
6:5 祭司たちが雄羊角笛らしあなたがたがその角笛いたなら、民はみな、大声でときのをあげなければならない。町城壁がくずれちたなら、民はおのおのまっすぐってかなければならない。」
主なる神様は、①エリコの王と勇士たち、を渡した、と約束され、宣言されます。しかし、それは自動的にくるものでなくて、②町の周囲を6日間、1週回り、7日目に祭司たちがお羊の角笛を吹き鳴らすときに、城壁が崩れ落ち、そこで攻めいりなさい、ということでした。今日のリビングライフのテーマは、理性と常識を超えていても、信仰によって従います、でした。確かに、ありえない戦闘、戦術です、世の中では、笑いものです。しかし、これが神様の戦いです。よく見ると、この戦いですることは神様の奇跡だけです、イスラエルの人々がするのは、ただ従順です。今日のKEYは、主の臨在の中で、主の約束を持ってついていく、従う、ということです。黙想しました、以前にこの聖書を読んで町の霊を勝ち取るために、回って祈ることが、賛美することが必要といわれました。それもそうかもしれません、また昔、大学伝道をしていた先輩が毎日6回祈りながら、1周した
という話をしました。最後の7日目はバイクで回った、そうです(意味ないじゃん?!)。今日、私なりに黙想したことは、①神様の御心なら、主について、②理性と常識を外れても、神様に従うべき、だということです。また、6日間回ったイスラエルの人々はどう思ったことでしょうか?何も起こらなかったら、と思わなかったでしょうか?また、回りながら途中で何か、心配やふとした、軽い疑いは起こらなかっただろうか?と思いました。私なら、ありえるかも?と思いました。思わされました。人は、自分も含めて何か行動すること、何か結果を求めて、すぐに行動できない、結果の出ないことをするのは難しい、ということです。今朝も、ずっと、リバイバルを祈り続けて(昨日は、すばらしいことが2回もありました)なかなか、目に見える結果がいつも(2,日に一度は必ずあるのですが)あるわけでない時に、落ち込みます。しかし、リバイバルのために目に見えない、行動として見えにくい、主の働きをしていきます、従順をしていきます。私のJERCHO WALIKING<MARCHの適用をしていきます。今日、主のリバイバルのために、6日まちのまわりを歩みます、その6日がなければ、7日目のJERCHOの城壁がCOLLASPEDされないのす。今日、主に期待して奉仕します。

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