Thursday, July 7, 2016

神様の教えに立て(反キリストとキリスト教教理)第2ヨハネの手紙1;7-9

1:7 なぜおいするかとえば、人わす者、すなわちイエス・キリストがとしてられたことを告白しないぜいったからですこういうわすであり、反キリストです1:8 よくをつけて、私たちの労苦をだいなしにすることなく、豊かないをけるようになりなさい
1:9 だれでもぎをしてキリストのえのうちにとどまらない、神っていませんそのえのうちにとどまっている、御父をも御子をもっています
ヨハネの手紙は、多くの主題、を反キリスト、異端の教え、偽預言者について語っています。それは、キリストの教えに混ぜ物をして、自分の理解しやすいように勝手に教えを曲げていくものでした。特に、初代教会では霊知主義(グノーシス主義)と呼ばれる、霊はいいもの、肉体は悪いもの、と二元論に立つ人々が教会の中に入ってきて、混乱させて、人々を落とし知れようとしていました。それは、キリストの霊を認めるといいながら、キリストの受肉(インカーネーション)を否定するものであり、キリストの十字架の苦しみを、肉体の苦しみを否定するものでした。しかし、それならイエス・キリストは罪の葬りをしなかったことになります。また、何よりもイエス・キリストが肉体をとってこられて、すべての苦しみ、悩み、誘惑にあっても、罪を犯さない、ことを否定するようになります。それは、自分の都合のいい教えに立とうとする、異端の教えでした、ヨハネは単純に神様の義、愛を、伝え、教えます、そこからキリスト教教理を教えます。教理は難しい、わかりにくいものでなくて、私たちの具体的で、実践的で信仰生活の柱になるものです
人間は自分勝手に、自分の理解しやすいように勝手に生きるために、キリストを自己解釈しようとします。それは、異端思想であり、滅びにいたります。教会の分裂、さまよいをおこします、自分勝手な生活、信仰生活をします。その結果は、大変な結果になります。しかし、聖書の教え、キリスト教理は私たちの人生を正しく導き、天国のゴールに向かって歩ませます。健康な祝福された信仰生活を遅らせます。今日、聖書の教えを、キリストの教えをしっかり、学び、伝え、教えていくようにします(まなびを準備していきます)

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