1:9 だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
ヨハネの手紙は、多くの主題、を反キリスト、異端の教え、偽預言者について語っています。それは、キリストの教えに混ぜ物をして、自分の理解しやすいように勝手に教えを曲げていくものでした。特に、初代教会では霊知主義(グノーシス主義)と呼ばれる、霊はいいもの、肉体は悪いもの、と二元論に立つ人々が教会の中に入ってきて、混乱させて、人々を落とし知れようとしていました。それは、キリストの霊を認めるといいながら、キリストの受肉(インカーネーション)を否定するものであり、キリストの十字架の苦しみを、肉体の苦しみを否定するものでした。しかし、それならイエス・キリストは罪の葬りをしなかったことになります。また、何よりもイエス・キリストが肉体をとってこられて、すべての苦しみ、悩み、誘惑にあっても、罪を犯さない、ことを否定するようになります。それは、自分の都合のいい教えに立とうとする、異端の教えでした、ヨハネは単純に神様の義、愛を、伝え、教えます、そこからキリスト教教理を教えます。教理は難しい、わかりにくいものでなくて、私たちの具体的で、実践的で信仰生活の柱になるものです人間は自分勝手に、自分の理解しやすいように勝手に生きるために、キリストを自己解釈しようとします。それは、異端思想であり、滅びにいたります。教会の分裂、さまよいをおこします、自分勝手な生活、信仰生活をします。その結果は、大変な結果になります。しかし、聖書の教え、キリスト教理は私たちの人生を正しく導き、天国のゴールに向かって歩ませます。健康な祝福された信仰生活を遅らせます。今日、聖書の教えを、キリストの教えをしっかり、学び、伝え、教えていくようにします(まなびを準備していきます)
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