Thursday, July 7, 2016

リーダーシップとチームワークは神様がいるところにある(ヨシュア1;10-18)

1:10 そこでヨシュアはのつかさたちにじてった
1:11 「宿営って、民じて、『糧食準備をしなさい。三日のうちにあなたがたはこのヨルダンってあなたがたの神、主があなたがたにえて所有させようとしておられる占領するために、進んでこうとしているのだから。』いなさい。」
1:12 ヨシュアはルベン人、ガド人、およびマナセの半部族こうった
1:16 らはヨシュアにえてった。「あなたがたちにじたことは、何でもないますまたあなたがわす所、どこへでもまいります
1:17 たちはモーセにったようにあなたにいますただあなたの神、主モーセとともにおられたようにあなたとともにおられますように
1:18 あなたの命令らいあなたがたちにじるどんなことばにもわないがあればそのされなければなりませんただ、雄々しくあってください。」
ヨシュアは、モーセの残した宿題をします、それは、民のつかさに神様の約束のことばを宣言して、約束の地をとりにいくように出発させてから、ヨルダン川の東側を先にとっていたルベン部族、ガド部族、マナセの半部族に、約束の地をとりに行く前で行動をともにして、戦闘を共にすることでした。彼らはモーセに約束したようにともに戦闘に行くことを約束します、一見、簡単に見えますが約束を破る、いい加減に、しようとする、言い訳をしようとする可能性もあることでした。それは、民のつかさたちに、40年間さまよっていた荒野生活をやめて、約束の地をとりにいくために立ち上がらせる、それと同じくらいに難しいことでした。しかし、彼らはヨシュアに従うことを決めます。それは、どこにいても、何でも行う、という条件のない従順でした。今日、条件のない従順をしていきます、神様はこれはできません、でなくて、あなたの言うところ、しろ、といわれること、いけ、といわれるところにいきます。また、ヨシュアへの絶対的な従順は、神がともにいること。そして強く、雄雄しくあることでした。戦争の中で、強くないのなら、勝利をすることは難しいことです。雄雄しくないなら、人を導けないことです、おそれるなら、人が離れて生きます。おののくなら、不安になります。私は自分自身の弱さ、足りなさを告白するものです、しかし、主なる神様がともにいることで、雄雄しく、強く、変えられることを信じ、祈ります。それは、主なる神様が強くあれ、雄雄しくあれ、といわれることに従順することからきます、主にあって、強く、雄雄しく、導かれ歩みます。

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