Tuesday, July 5, 2016

神様の命令を守るなら愛する(ヨハネの手紙第一2;1-11)

 2:7 するたち。私はあなたがたにしい命令いているのではありませんむしろこれはあなたがたがめからっていた命令ですその命令とはあなたがたがすでにいているみことばのことです、2:11 兄弟やみのにおりやみのんでいるのであって、自分がどこへくのからないのですやみがえなくしたからです
使徒ヨハネは、手紙を読む人々にさまざまに呼びかけます。「私の子供たち」1節、そして「愛するものたち」7節、それは、すべて関係を表し、親しい、愛するものです。自分の子供に悪いことを願う親はいません。愛するものに悪いことを起こることを願う人はいません。それは、最善のことを願います。ですから、罪を犯さないように願います。しかし、罪を犯しても、弁護する方、キリストがいます(1節)これは、ありえない恵み、です。罪を犯して攻めるのでなくて、反省しろ、でなくて弁護する方が折られます。それは、神様の愛で弁護され、救いをなされます、悪魔がいくらせめても、イエス・キリストがこの人の罪はもはや処罰された、終わった、と宣言してくださいます。その神様の愛を体験したものは、神様のみ言葉を守って生きます。それは、負担でなくて、愛するゆえにすることです。神様の命令を守ることは愛することです。愛さないから、罪を犯せるのです。愛さないから、自分のものでないから、関係がないから、切れているから、罪を犯せるのです。神様を愛するものは、隣人を愛します。神様に愛されたものは、兄弟姉妹を愛するようになります。神様を愛す、といいながら、目に見える兄弟姉妹を愛さないのは、愛していないことです。今日、私にとって愛しにくい人を愛していきます。

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