2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです、2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。
使徒ヨハネは、手紙を読む人々にさまざまに呼びかけます。「私の子供たち」1節、そして「愛するものたち」7節、それは、すべて関係を表し、親しい、愛するものです。自分の子供に悪いことを願う親はいません。愛するものに悪いことを起こることを願う人はいません。それは、最善のことを願います。ですから、罪を犯さないように願います。しかし、罪を犯しても、弁護する方、キリストがいます(1節)これは、ありえない恵み、です。罪を犯して攻めるのでなくて、反省しろ、でなくて弁護する方が折られます。それは、神様の愛で弁護され、救いをなされます、悪魔がいくらせめても、イエス・キリストがこの人の罪はもはや処罰された、終わった、と宣言してくださいます。その神様の愛を体験したものは、神様のみ言葉を守って生きます。それは、負担でなくて、愛するゆえにすることです。神様の命令を守ることは愛することです。愛さないから、罪を犯せるのです。愛さないから、自分のものでないから、関係がないから、切れているから、罪を犯せるのです。神様を愛するものは、隣人を愛します。神様に愛されたものは、兄弟姉妹を愛するようになります。神様を愛す、といいながら、目に見える兄弟姉妹を愛さないのは、愛していないことです。今日、私にとって愛しにくい人を愛していきます。
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