3:6 だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪のうちを歩みません。罪のうちを歩む者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。
3:10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。3:11 互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。
聖書の中で、ヨハネの手紙の中で、何度もいわれる言葉、繰り返される言葉があります、それは、神様のうちのとどまる、み言葉ををあなたのうちにとどめる、キリストのうちにとどまるものは、罪の中にいない、とどまらない、ということです。また,義を行う、そして互いに愛し合う、ということです、何是、何度もいわれるのでしょうか?なぜ、何度も繰り返されるのでしょう?わかっていないからです、わかってもまた外れるからです、なんどもいわれないと忘れるからです、そこに立っていること確立させるためです、いいえ、そこに立たされていることを忘れしまうのです。クリスチャンになって、時間がたつと恵みで救われたことを忘れて、自分の行い、宗教生活のスタイルにかまってしまうことがあります、こうでないといけない、という考えに固まります。今日、もう一度、主の中にとどまる恵みを感謝します、賛美します、私がしているのでなくて、主がしてくださることにたちます。また、ひごとに罪の悔い改めをしていきます。神様、主の義を行わせてください。主の愛で愛させてください。
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