1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
使徒ヨハネは、「はじめからあったいのち」イエス・キリストについて、まるで昨日あったかのように、いえすにREALにお会いしたこと、見たこと、さわったこと、実際にイエス・キリストが人間として来られた(受肉)、現実を話します(証します)。創造の時よりも、その前よりも存在された、私はある、という方がこの地上に来られて、十字架にかかり、私の罪を背負ってくれたことを証します。それは、現実に起こったことで、見た、じっと見た、さわったもの、聞いたもので、ヨハネを始め、私たちが人生で体験して、出会ったイエス・キリストです。いのちのことばであるイエス・キリストと交わりを持つことで、私(たち)は永遠の命を持ちます、永遠の命とつながったのです。そのイエス・キリストと交わりを持ちながら、暗闇を歩くことはできません、また罪を犯し続けることはできません、なぜなら、主イエスは光だからです、なぜなら、主イエスは義なる方であり、聖なる方だからです、そのような方が私を救うために人間となり、この地上に2千年前に来られて、十字架で死なれて罪を滅ぼし、死に対して勝利されたのに、どうして以前のような人生を歩めるでしょうか?。今日また、主イエスを体験したものとした歩みます。
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