Tuesday, July 5, 2016

この世に打ち勝つもの、(ヨハネの手紙第一5章1-12)

5:1 イエスがキリストであるとじるはだれでも、神によってまれたのです。生んでくださったするはだれでもそのによってまれたをもします
5:2 たちがしてその命令るならそのことによって、私たちがどもたちをしていることがわかります5:5 とはだれでしょうイエスを御子じるではありませんか
イエス・キリストを救い主として、(メシアとして)信じるものは、①神様によって生まれたものです。それは、人の知識や、哲学でも、行い、宗教活動によってでも(誤解のなく)行いによらず、ただイエス・キリストを信じる信仰により、恵みにより生まれ変わった、NEW BORNなのです。②また、愛することを通して神様の命令を守ることができます、愛さないから罪を犯すのです、人のものだから盗むのです、自分のものなら、愛するものならどうやって盗めるでしょうか。愛さないから怒り、嫉妬し、憎むのです。私たちは、神様を愛して(縦の関係)、そして隣人を愛する(横の関係、それは、友人だけの話でありません)③それこそ、世に打ち勝つことです、この世を支配するサタンの支配に、十字架で罪に打ち勝ったイエス・キリストを信じることです。④御霊、水と血で証されます、御霊は私のうちに内在される聖霊様にあかしされます、また、水はバプテスマにより、私がイエスにつかることによりなります。バプティゾーはつかる、という意味から来ています。血は十字架の血潮、なだめの供え物です、ここまで、私がしたことは何一つありません。自分のしたことでなくて、イエス・キリストのしてくださったことを空っぽの手で、恵みで受け取るだけです、しかし、なんと、人間は、私は、私たちは、自分の力dしようとすることでしょうか、その結果、いつも失敗を惨めにするのに、自我がどれほど邪魔することでしょうか。今日、主の前に、主の勝利を自分を空っぽにして受け取ります

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