2:19 あなたの家の戸口から外へ出る者があれば、その血はその者自身のこうべに帰する。私たちは誓いから解かれる。しかし、あなたといっしょに家の中にいる者に手をかけるなら、その血は私たちのこうべに帰する。
2:20 だが、もしあなたが私たちのこのことをしゃべるなら、あなたが私たちに誓わせたあなたの誓いから私たちは解かれる。」
2:21 ラハブは言った。「おことばどおりにいたしましょう。」こうして、彼女は彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は窓に赤いひもを結んだ。
ヨシュアの出した斥候は、遊女ラハブの家に隠され、また逃亡して戻る方法まで教えられます。ラハブが身の危険まで冒して彼らをかくまったのは、イスラエルの神様がまことの’神様であること信じる以外にありませんでした。神様は神様を恐れて、信仰を持って救い求める人には、哀れみを持って救われます、遊女だったラハブ、そしてその家族までも、救われる神様、です。問題は何でしょうか?それは、罪を認めて、悔い改めないところにあります。ラハブはそうしました。救いのチャンスはある時間までです。エリコの人々は、イスラエルが来ることを聞いて恐れていたのに、悔い改めたのはラハブだけ(もしくは家族だけ)、だったのです。素直に悔い改めるときに悔い改める祝福をつかむことを祈ります。また、ヨシュア記を読みながら、なぜ、約束の地にイスラエルが入る前に異邦人の遊女ラハブ、この話が挿入されているのであろう、と思いました。それは、神様は単純に血統のみの(それも大事ですが)民族主義的なイスラエルの救いのみならず、罪びとを救いたい、異邦人をも救いたい、イスラエルの神様を信じる、イスラエルの民に加わるものを救いたい、と思われるのです。旧約聖書の世界宣教のメッセージです。神様は、信仰を持った神様の民を探しておられます。救ってくださいます。そこに、ヨシュアの送った斥候たちも。与えられた恵みに反応します。あわれみを求めるものに真実を尽くします。そこに、約束のサインとして「赤いひも」をつけるようにいいます。今日、神様の哀れみのサインを持って歩みます、あわれみの心を持って誠実に、真実を尽くします。反応するのは、相手次第です。私のすべきことはあわれみの心を持って誠実を尽くすことが私の仕事です。ラハブと家族が外に出たら、それは彼らの責任だったからです。主の前に誠実に、あわれみの心を持てるようにしてください。
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