Thursday, July 14, 2016

戦闘の前に割礼を受けさせる神様(ヨシュア5;1-9)

5:1 ヨルダン西側にいるアモリたちと、沿岸地方にいるカナンたちは皆、主がイスラエルの人々のためにヨルダンらして、彼らをらせたといて、心もはやイスラエルの人々かおうとするはいなかった
5:2 そのとき、主はヨシュアに、火打刃物もう一度イスラエルの人々割礼とおじになった
イスラエルの民がヨルダン川の乾いた地を渡ったことを聞いて、エモリ人、カナン人のすべての王たちはこころがしなえ、勇気がなくなった、とあります。普通の戦闘ならここで、一気に攻めわたりますが、戦のチャンスです!しかし、主なる神様はそうされません、それは、戦闘を前にして、何の?なんと、割礼を受けさせることでした、それは、戦闘を前に危険な行為もでもありました、割礼を受けた後に、攻撃されたら大変なことになります、無防備状態です。なぜ、神様は割礼を受けさせたのでしょうか?①霊的な戦いにおいて聖さが必要だからです、②カナンの約束の地に入るのに主の民として区別される必要があるからです。でないと、単なる同化、略奪する戦略戦争です、侵略になります。③神様の民として区別されて、主の声に聞き従う必要があります。エジプトから奴隷から解放されて、神様に導かれたはずの第一の、先祖の世代は、荒野で神様の声を聞かなかったために、全部が死に絶えました。しかし、イスラエルの次世代は、主の声にに聞き従い、先祖が恐れた同じ相手に立ち向かうことになります。しかし、そのKEYは主のみ声に聞き従う、でした。第一世代も出会ったカナンの民たちは同じ相手なのに、40年前は「巨人のように見え、ネフィリムのようにみえ、自分たちをイナゴのように見られる」民数12;40年後は、今度は相手がイスラエルを恐れます。今日、主の働きをする前に、主の約束の地へ進む前に、奉仕をする前に、主にある割礼を霊的に適用して、①自分自身をきよめます、罪からきよめます。②主との関係がきよいなかで、イエス・キリストの十字架の清めにより頼り、歩み、使え、奉仕します。

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