5:11 過越のいけにえをささげた翌日、彼らはその地の産物、「種を入れないパン」と、炒り麦を食べた。その日のうちであった。5:13 さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。ヨシュアはその人のところへ行って、言った。「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」5:14 すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」
5:15 すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。
主は、戦いの前に①イスラエルのために、「過ぎ越しの祭り」と「種無しのパン」をたべさせます、それは、主にある救いを記念し、購いを覚えるときです。いよいよ、約束の地の前まで来たときに、入ったときに、エジプトから救い出された神様、を覚えます。また、種無しのパンは混ざっていないこと、純粋、きよさを意味します。イスラエルの民たちは、約束の地に入った瞬間に、神様の救いときよさを思わされたことでしょう。霊的な戦いは、神様の関係にかかっています。それは、聖さです。自我や罪との関係を切れて、主にある聖さの関係にあるかどうか?です。また、②ヨシュアに主の軍の将が現れます。そこで、ヨシュアは礼拝します。主に言われるように「聖なる場所」として自分の足の履物を脱ぎます。霊的な戦いの勝負は、聖さです、神様とわたしの関係がどうかなのです!神様を礼拝し、自分の自我を否定して、罪からの清めの中で、主の心、願いを行うかどうか?です。多くの人が、私も、わかっていても、先に行動することがどれほど多いことでしょうか?結果を先に求めることがどれほどあることでしょうか?しかし、勝利の秘訣は、神様の出会い、関係にかかっています、今日、主の前に関係を優先にしていきます。自分自も、早く結果、行動を求めることがあります。早く行動しないと、結果に関連しないと窮屈に感じます。しかし、まず主の礼拝、出会い、ヨシュアに主から出会ってくださったように、主の出会い、「私の足の履物をぬぐ」主の臨在される場所で生きて生きます。種の出会いの中で、奉仕します、主の出会いなしに、CALLLINGなしにいくのは、奉仕するのは意味がありません。今日、主の出会いの中で、使えます。主の出会いを求めます。主の臨在の中でつかえます。
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