3:5 ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」
ヨシュアは、ヨルダン川を前にして3日間とどまりました。それは、ヨルダン川を渡らないといけない問題があったからです。戦闘をする前に、難しい問題がありました。そこに、不思議な神様の言葉があります。神様の契約の箱を先頭にして進むようにいわれます。先頭には、祭司たちがすすみ、リーバイツがかつでいるのみたら、後ろを進みなさい、といわれます。戦争を前にして、戦士や川を渡る前の準備をする人々でなくて、祭司とリーバイツという宗教の働きを(いい意味で、神様と人の間のとりなしをする人)する人が、前に立つのです。戦闘放棄、といわれてもおかしくありません。しかし、これこそイスラエルの戦い方です、クリスチャンの戦い方、生き方です。神様の臨在が先にあり、神様の約束の言葉、契約の言葉(荒野で受けた契約)、を先にしてこそ、神様の約束の地が与えられます。私たちは、自分の力で何とかしようとしがちです。しかし、まずは神様の臨在と、約束の言葉、導きが先にあってこそ、すすめ、道が開かれるのです。行ったことのない道、体験したことのない人生は、恐れがあります。そういう時にこそ、私たちは具体的な助け、力を準備しがちです(それ自体が悪いものでありません)しかし、主が私の前に行かれることなしにヨルダン川に何も、「不思議:AMAZING」は起こりません。今日の聖書箇所では、いまだに何も起こっていません、ただ神様の約束、奇跡をなす、という言葉があるだけです。明日、何が起こるのか?私たちは具体的に知りたがります。しかし、今日の聖書のみ言葉だけで十分なのです。信じて、進むときに、神様の奇跡がまっています、私たちの想像できないAMAZINGが待っているのです。今日、主のみ言葉を信じて進み、準備して、歩みます、私の中にAMAZING,不思議をなされる、私の主なる神様に期待して。
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