Wednesday, January 24, 2018

RADICALにさえすればいいってことじゃない!?(第一コリント人への手紙11章2-16節

11:2 さて、あなたがたは、何かにつけて私を覚え、また、私があなたがたに伝えたものを、伝えられたとおりに堅く守っているので、私はあなたがたをほめたいと思います。11:3 しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。
11:4 男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。11:5 しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。11:6 女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。
コリント教会では、賜物が豊かで、大きな働きがなされていたようです、それ自体はいいことです。でも、問題になっていたのは、当時の文化、風習である女性がかぶりものをしないで、祈りや預言をし、教会の秩序、チームワーク、リーダーシップまで乱し、さらには社会的に「遊女」と誤解されるようなことまでしていたようです。教会だから、クリスチャンだから、何でも新しく(私たちを日ごとに新しくしますが)、聖霊の働きだから、人間には理解できない(もちろんそれはありますが)、何でも過激に、聖霊と言う言葉を使って「わがまま」をしていいのではありません。単純に常識を守ること、必要なことです、意外と間違いを起こすことないでしょうか?今日、主にある秩序、リーダーシップ守ります。

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