Wednesday, January 10, 2018

主のため迫害されても、父、母の心を持って仕えよう!(第一コリント人への手紙4;9-21)

4:10 私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。4:11 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません
4:14 私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
パウロは、コリント教会の人々に自分たちが迫害されている姿を証言しながら、なぜ、このことを話すのか?証ししています、聖書を黙想しながら、それは、コリント教会への父なる神様の心でないか、と思いました。迫害されても、攻撃されても、コリント教会の問題ある聖徒たちを父なる神様の心で、さとし、警告し、訓戒するため、であると思わされました。GOSPELが生んだ、コリント教会のクリスチャンたち、問題があっても、この世から迫害されても、子供を愛する心で、迫害を受ける、苦しみを受ける、これは、父なる心がないとできない、と思いました。私はどれほど、父の心を持って、両親の心を持って、境界の人々に仕えていることでしょうか?両親は、子供のためになら苦しみ、迫害されても、愛します、彼らが正しい歩みをすることを願い、諭します。今日、主に会って使えます

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