4:1 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。4:2 このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。
4:3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。
今朝のQTでも続けて語れらたことは、謙遜さ、でした。人間はいつも謙遜を忘れて、傲慢になりやすいものです、それは、自分の目の前に見える部分だけ現実、だけを見るからです。裁き主である神様の恵みを忘れます。成功、結果だけを見ます(それを全否定するのでありません)しかし、祝福があったときに、主がなされた、と告白できるでしょうか?主にだけ栄光をささげる喜びを享受しているのでしょうか?今日、再び、主の僕として、神様の奥義の管理者として歩みます、私に預けられたものであることを告白します、私のもの、私が主人であります、しもべ、と宣言します。クリスチャンの人生の成熟さは、低くなれるか、です。仕えることができるか、どうか?!です、今日、使えるしもべになります、
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