Friday, January 19, 2018

もう一度、純粋にささげてみよ(第一コリント9章13-18)

9:15 しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。
9:18 では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。
使徒パウロは、あれだけ宣教旅行をして、多くの教会を開拓し、多くのミニストリーをしながら、大きな働きをしながらも、福音を伝えるために純粋さを失っていなかった、主にささげる子供のように純粋さを持って自分の人生をささげたのだな、と思いました。自分はどれだけ、主の前に、犠牲を、主の前にささげたでしょうか?パウロの献身、純粋さの前に、ほんのちょびっと、ともいえない小さい自分がいます。今日、もう一度心に帰らせてください、GOSPELを伝えてくれた人のささげる心、時間、経済与えてください(1週間に一度LUNCHするくらい)付き合える、伝道する心を与えてください、福音を伝える純粋さを復活させてください、します!主よ、ささげます、お受け取りください。

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