Friday, January 12, 2018

いっそ、だまされろ!(第一コリント人への手紙6章1-11)

6:5 私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。6:6 それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。
6:7 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。
使徒パウロは、コリント教会の人々が互いに訴えあい、しかもクリスチャンでない人々の前にしてつまずくになることをさして、言われます。それなら、いっそ、だまされなさい、あなたが損を甘受するなら、平和です、とリビングライフの表題のように言われます。これを読みながら、人生の答え、教会での問題の答えは全部、聖書にであるんだな、と思いました。なぜ、人々の前で損した、と訴えるのでしょうか?私が損をすればいいのです。また、それが教会の人の前で徳にならないことをしている、という意識がないのでしょうか?今日、いろんな教会の問題のために祈りました、また私自身がこのように歩みます。この世から馬鹿にされても、いっそだまされてきましたし、だまされます、愛します
 

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