4:12 また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、4:13 ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。4:14 私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。 パウロは、コリント教会の人々に、自分たちがどれほど苦労をしているのか、主のために迫害されているのか、まことの主イエス・キリストの生き方を伝えた聖書箇所を読みながら、黙想させられました。それは、使徒パウロがののしらられても、祝福し、迫害されても、耐え忍ぶ、とあります。普通ならののしられたら、ののしりかえし、辱められたら、弁明します。しかし、そうしないのはなぜでしょうか?普通なら、いくらクリスチャンでも、耐えれない、というでしょう、状況が状況であるから仕方がない、というでしょう。しかし、パウロは自分のクリスチャンとして、主の僕としての行き方を犯されない、正しい意味でのPRIDEをもって、いきます、誰も、どのようなものも、パウロにあるクリスチャンの生き方を、サタンも、敵も、この世の勢力も犯すことができないのです、主が守り、主が勝利をくださいます。今日、主にある私のクリスチャンの人生、生き方を犯されない歩みをします。
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