Thursday, January 25, 2018

本物のクリスチャンかどうか?は聖餐式でわかる (第一コリント人への手紙11章17-26節)

11:18 まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。11:19 というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。
11:20 しかし、そういうわけで、あなたがたはいっしょに集まっても、それは主の晩餐を食べるためではありません。11:21 食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです

コリント教会では、聖餐式のさいに、勝手に先に食べて、貧しいものが飢える、病気になる、死んだものがる、’ということまであったようです。ありえない話ですが!?
パウロは、イエス・キリストの聖餐式の意味、十字架で流されるキリストの血潮、裂かれたからだとおして、キリストの死、罪の許し、復活、神様と人がひとつにされたこと、聖徒がひとつにされたこと、そして再臨のイエスを待ち望むことを伝えます、もしも、キリストの聖餐式の意味、価値、流された血潮がわからなければ、分裂、分はするでしょう、単なる食事になるでしょう、しかし、キリストの聖餐の意味、流された血潮の価値がわかるなら、謙遜に、罪を悔い改めて、聖餐に預かる感動を持って、神様とひとつに、そして聖徒がひとつになる貴重さを知ります。本物のクリスチャンはひとつになります。


No comments:

Post a Comment