Look around see! You must learn from mistake and sins(哀歌1:12ー17節)イスラエルの民は、南ユダ王国のエルサレムの人々は、自分たちの罪のために神様の裁きに会いました、①神様の燃える怒りは、悩まし、②ひどい目に(文章で読むとぴっとこないかもしれませんが、自分の語る言葉で「こんなひどい目にあった」と言うなら感じれませんか)③ほかにいない痛みは、骨の中まで耐えれない、自分が壊れる痛みがあります、④網によりのけぞらせ、あれ荒んだ女、終日、病んでる女とされました、⑤もう、立つ上がれない、⑥誰も慰めてくれない(罪の結果って、怖いですよね、一時は人がいても最後は人が離れていく、残らない、⑦warriorsを滅びされ、シオンの娘たちが踏み潰された、ここまで書いて辛くなってきました。しかし、これをなされたのは私の罪のためであり、その裁きをされたのは神である、ということです、ここにポイントがあります、私たちは罪の結果、神様に裁きがあることを知らないといけません。したことに責任があります。しかし、神様が私に今日の哀歌を通して語られることは、シオンの娘が自分のアイデンティティーを失ってはいない、ということです。ただ、自分のアイデンティティーらしく生きてはいません。今朝の聖書通読はイエスが十字架にかかるためにエルサレムに入城するところでした、ありえない話です!なぜ、罪人のためにエルサレムに、十字架にかかるのでしょう!イエスの愛のためとしか説明できません。今朝、自分のアイデンティティーの回復のために、教会の、クリスチャンのアイデンティティー回復のために、町の回復のために祈ります
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