Monday, December 15, 2014

哀歌の最後は「しかし」と言う(哀歌5;17-22)

哀歌の最後は「しかし」と言う(哀歌5;17-22)17節「私たちの心が病んでいるのはこのためです、私たちの目が暗くなったのはこのためです」17節このためとは、16節「罪」のためです、哀歌の著者のエレミヤは、現状を行った後に、19節「しかし、主よ。あなたはとこしえに王座につき、あなたのみ座は代々に続きます」と言います、いきなり、どういうことでしょう?それは、彼らの回復は、神様にかかっていると言うことです。罪からの悔い改めは、主イエスの許し、愛、回復によります。それは、全的な100%神様のわざです、万が一、神様が不完全なら頼れないでしょう。しかし、私たちの救いは、希望は主イエスにあります、私たちの回復は主にあります、その方を賛美します。永遠の神様の王権に、賛美し、従います。21節「主よ、あなたのみもとに帰らせてください、私たちは帰りたいのです、私たちの日を昔のように新しくしてください」エレミヤの悲しい歌で、叫びで哀歌は終わります、しかし、主の回復の日を期待して、祈ります、この町の、LAの、南カリフォルニアの、韓日の関係も、神様と人の関係の回復のために、その日を期待して、信じて祈ります。
 

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