イエスのためにどれほど苦難を受けたのか?!(マタイの福音書5;1-16)年末のQTをしています、今日はマタイの福音書の山上の説教、八福といわれる、箇所でした。QT雑誌の中高生用のSENAで『2014年何を成し遂げたのか?」ということを年末に人々は考えるけど、もっと大事な質問が「WHO AM I」という質問です、という話がありました。良い質問だと思いました。自分が誰か、分かる時に自分のすべきことがわかります。自分の使命が分かります、自分の役割が分かります。すると、自分のしたことが意味あることか?どうか分かります。自分のしたことが本当に価値のあることなのか?それとも、一時的なことなのか?自分がつらくても、主イエスのためにしたことなら意味があることが分かります。11節「BLESSED ARE YOU WHEN PEOPLE INSULT YOU,PERSECUTE YOU AND FALSELY SAY ALL KINDS OF EVIL AGAINST YOU BECAUSE OF ME}12節「REJOICE AND BE GLAD~」とあります、主イエスのために苦難を受けるのなら、喜べ!喜び踊りなさい、と言われているのです。『心の貧しい者は幸いです、天の御国はその人たちのものだから」という約束があるのです。逆説の、逆転の価値観にクリスチャンは生きています、どれほど、多くの?(私だけ)クリスチャンが成功、という、目に見えることにだけ信仰を勘違いしていることでしょう。どれだけしたのか?勘違いします、主がどう見られるかです?また、もう一つは苦難を避けていないのか?逃げていないのか?妥協していないのか?ということです。今日のQT後半部分では、地の塩、世の光、というメッセージが来ます、その役割を、人生を生きよ、と言います。自分のアイデンティの通りに生きたのか、振り返り、主のために苦難を歩みます(嫌だけど、逃げたいけど)神様の国を受ける人になりたい、と思います
No comments:
Post a Comment