Thursday, December 4, 2014

救いの証(2009年)Minoru Kitano 北野実 牧師 GOOD NEWS STATIONにて

僕は大阪で、クリスチャンホームに生まれ育ちました。我が家では、朝起きると最初に聖書を読むことが鉄則。多分、普通のご家庭ですと、朝起きて、テレビをつけたり、新聞を読んだりしますよね?僕の家では、朝聖書を読まないで新聞を広げたり、テレビをつけたりすると、母親の雷が落ちるのです。「神様の言葉を聴く前に、テレビをつけるなんて、いったいどういうこと!?」という風に・・。我が家には、「NO-BIBLE NO-BREAKFAST」という言葉があったくらい、とても厳しい家庭でした。でも、僕にとってキリスト教は、ただ毎週通うだけの教会(通わないと怒られるから)。ただの毎日教訓として読む聖書(読まないと怒るられるから)でした。つまり、自分にとっては単なる宗教・文化でしかありませんでした。そして僕は、中学生になったころからサッカー部の活動に夢中になり、日曜日はほとんど教会に行かなくなり、教会生活から段々遠のいて行きました。

 そんな僕に転機が訪れたのは中学三年生の時でした。その頃、父親はうつ病にかかっていました。当時僕は、うつ病のことが良く分からず、“お父さんは精神科医にかかっている”という認識しかありませんでした。父親はとても真面目な人で、ストレートな信仰の持ち主でした。一代目クリスチャンの父は長男で、祖父から先祖供養などの責任を負うように言われていたようでしたが、自分はクリスチャンなので、それは出来ないとはっきりと断り、それで財産相続が出来なくても、頑としてクリスチャンとしての行き方を変えない。そんな人でした。

 とにかく一徹な人でしたから、職場でもいろいろな葛藤があったようです。父は、神様の前にまっすぐであった分、世間からは融通の利かない人間だと評価されていました。父はある大学の事務局で働いていたのですが、そこで発生したちょっとした失敗にとても責任を感じ、自分を責め、悩むようになりました。僕が小学六年生の頃から父はうつ病になり、中学三年になった頃は、父は大分苦しい状態まで追い込まれていました。そんなある日、病院から疲れて帰ってきた時の父の表情を見て、「もしかして父は死んじゃうんじゃないか? 自殺するんじゃないか?」という不安がよぎりました。しかし、父は真面目なクリスチャンです。そんなはずはないと直ぐに思い直します。それから数日後の夕食の時に、僕は父にこう言いました。「お父さん、自殺なんかすると、すごく大変なんだって。自殺したら家族みんながすごく大変な思いをするんだよ」僕はただ、父親に自殺をしてほしくないが故に言ったつもりでした。ですが、その心の奥底には、「父親に自殺されてしまったら、自分の人生はどうなるのだろう? もう大学にも行けなくなってしまうじゃないか?」という、自分中心の思いがあったのです。

 その3日後の夜、病院から「お父さんが怪我をされたのですぐ来てください」という電話が家にありました。病院の方は詳しいことは何も話してくれず、母だけが病院へ向かいました。僕はその時、「父が死んだ」と直感的に感じました。翌朝、僕たちのことを心配して、夜中に駆けつけて下さっていた教会の人たちに私は起こされました。そこで、父親が自殺したことを聞かされたのです。僕は思いました。「僕のせいだ・・僕のあの言葉が父を殺したんだ。自分は取り返しのないことをしてしまった・・」僕は今までサッカー部で頑張りながら、勉強もしっかりとやる模範的な子供だと思っていました。しかし、その心の奥底には自分さえ良ければよいという自分に対する思いしかなかったのです。そんな僕が、父親を死に至らせてしまった。こんな僕は刑務所に行かなければならないと真剣に考えました。父親の自殺は、癒されようのない大きな痛みと、深い罪責感を僕に与えました。

 僕はそれ以来、「自分は人を傷付け、人を利用する悪い人間だ!だから人を傷つけるのが怖い。人に傷つけられるのも嫌だ」そう思って、絶えず人と距離を置いて付き合うようになりました。高校生になっても決して友人達と本音で接し合うことはありませんでした。だけど、本当は寂しくて仕方がなかったのです。「世の中にこんな自分を愛してくれる人などいるのだろうか? 何のために勉強しているのだろうか??」人生の目的を見出せず、人との出会いもなく、空しい風が吹く生活ってこんなことなのかなぁという毎日でした。そして、高校三年生の時、学校の先輩が、一緒に教会のキャンプに行かないかと声をかけてくださいました。僕は「教会主宰のキャンプなんて行きたくない!聖書なんて嘘だよ!」と思ったのですが、キャンプ場が“軽井沢”だったという言葉に魅力を感じ、軽井沢に遊びに行きたい!という一念でキャンプに参加する事にしました。僕の目的は、軽井沢のタレントショップで買い物して、軽井沢銀座で遊んで、東京の女子高生たちに会える!ただそれだけでした。

 そうしたらキャンプ場で、「北野君、君はイエス様のこと信じてるの?イエス様は君にとってどういう存在なの?」と、一人の伝道師の先生から声をかけられました。僕はクリスチャンホームに育っていますから、この手の質問には慣れています。「僕は、神様のことが科学で証明できたら信じたいって思っているんですけれど、なかなか信じられないんですよね~」と軽く交してやろうとこう言ったのですが、この先生は、高校で科学の教師をしておられる人でした。「北野君、僕も君のように科学的に神様の事を証明しようとしたけど、それで納得出来たとしても、それは頭で信じる信仰なんだよね。頭だけの信仰なら、何か大変なことがあったらすぐにやめちゃうでしょ。400年前、日本のクリスチャンは信仰の故に殺されたんだけど、もし、今そういう事になったら、北野君はすぐにやめちゃうでしょ。でも、心で信じたらやめないんだよ。北野君、どうせ信じるなら、命かけて信じてみなよ!」と。

 僕はこの言葉で、自分が今までの人生で、大切な問題をちゃんと考えていなかったことを恥ずかしいと思いました。それで僕は、「軽井沢で遊んでいる場合じゃない!」と思って、その日の礼拝に出席しました。その礼拝では、十字架の愛は条件がない!どんなに悪い人間でも、罪人でも、どんなことでも赦す神様だよ。君がハンサムでもなくても、君が勉強が出来ても出来なくても、変わらずに愛しているよ! 君は愛される価値があるんだとイエス様は言っているんだよ!!」そんなメッセージでした。それでも僕は、「本当かな? 僕にはお父さんの事があるんだ。それでも僕を愛してくれるのだろうか?」と考えていました。

 メッセージで一つの実話が話されました。韓国のソン・ヤンウォンと言う牧師さんのお話でした。ソン牧師はハンセン病の人達の為に教会を始め、“愛の原子爆弾”というあだ名がつけられているほど、愛に溢れた牧師でした。ところが、朝鮮動乱の時、二人の息子さんが共産党軍の兵士にリンチをされて殺されてしまったのです。その後、南韓国軍が盛り返し、韓国の地が回復したときに、ソン先生の息子さんを殺した兵士が捕まり、死刑の判決が下されました。しかし、ある人がやってきて、その犯人を無罪にして欲しいと申し出ました。その人とは誰あろう、彼に二人の息子を殺されたソン先生でした。

 「イエス・キリストは、あなたの敵を愛しなさい。と言われています。だから、赦さないといけません。彼を赦してやってください」とソン先生は韓国軍に懇願しました。人を何人も殺した殺人鬼を無罪には出来ないと、申し出は却下されたのですが、それでもソン先生は諦めないでこう訴え続けました。「彼を私の死んだ息子の変わりに養子にします。私がこれから、彼の人生に責任を持ちますから、どうぞ許してあげてください」そうしてソン先生は、自分の息子を殺した兵士を自分の養子として迎え入れたのでした。

 僕はそれがキリストの愛だと聞いて、「そんな愛だったら僕も信じたい!そんな愛を僕もほしい!そんな愛をもって僕も生きたい! そんな愛を持って生きるのなら、この世の中怖いものなんてないじゃないか!この愛の神様を信じたい!」と心の底から思いました。そして礼拝後すぐに牧師さんのところへ行き、「僕は本当に信じたいです」と言いました。そこで信じる祈りをしたら、今までただの文字に過ぎなかった聖書の言葉が、僕の中に温かく流れ込むようになりました。こんな体験は初めてでした。「こんなの初めてだ!映画みたいだ!」と思いました。それはまるで、今まで白黒の世界に生きていた僕の人生が、突然カラーの世界に変わって行くような、実にリアルな体験でした。「愛されるって気持ちいいなぁ~愛されるって自分を自由にするんだなぁ~」と思いました。そして神様に向かって黙想している時、父が死んで天国に行った時、イエス様が自分の手の傷跡を見せて、『お前の息子の罪のために、わたしは十字架で死んだ。だから、赦してあげてくれ』と言ってくださっている姿が浮かんで来ました。

 夏休みが終わって学校へ行くと、「自分はクリスチャンになった!」と僕は友人達にどんどん告げはじめました。周りの方が、「家がクリスチャンだからだろう」などと気を使いますが、僕は「いや、違うんだ。本当に信じたんだよ」周りからは、「お前どうしたの?」「最近北野は明るくなったね」などと言われました。それまでは、人と距離を置くようにしていたのに、イエス様を信じてから、全てが嬉しくて仕方がない。イエス様のことを皆に話したくてしょうがない!イエス様に愛されてるんだから、たとえ世界中が僕の敵になったとしても、イエス様の愛があるから大丈夫なんだ!と叫ぶほど、僕は変えられたのです。神様の子供になるということは、本当に素晴らしいことです。僕のこの世の父親は死んでしまいましたが、天の父なる神様は僕の霊的な父親として、僕の人生をいつも見守って下さっています。

 高校時代の僕には一つの悩みがありました。それは、お金がなくて大学には行けないんじゃないかと思っていたことです。ところが、指定校の大学に僕が推薦されるという、全く期待していなかったことが突然決まったのです。学費は親戚の方が出してくださるわ、保証人には教会の方がなってくださるわ、入試の時はたまたま出会ったクリスチャンの先輩に、「君の為に祈らせてください」と祈ってもらうわ・・・・。「神様の子供になるってすごいな!!!」それは、王様の子供になるってことは、王子になることなんだ!ということを実感させられた体験でした。今日、僕がこうやって生きているのは、僕が生きているのではなくて、僕のことを愛して、命を捨ててくださったイエス様を信じる信仰によって生きているんだと言うことを、心から告白したいと思います。

 最後に、今朝、こちらの教会にバスで来る途中、いつも使っているディボーションガイド「リビングライフ」を読んでいると、今日の箇所の中で「見よ」と言う言葉に目が留まり、主が僕に語ってくださいました。「僕ではなくて、神様がしてくださった素晴らしいことを観る者として下さい。そして、疲れた者に、あなたを必要な者に、僕のぼろぼろの人生を、最高の人生に変えてくださった神様のことを伝えさせてください!」と祈りました。僕は神様の証しを何度となくしていますが、何度話しても感動があります。神様が僕を愛してくださっている!神様は僕を王なる子供として生かしてくださっている。「お前は最高に幸せに生きるんだ。お前の人生をわたしが計画している。わたしの恵みを最高に享受して、人生をエンジョイしなさい!」と、神様は僕にそう言ってくださっています。その神様の素晴らしさを証し出来る恵みを心から感謝し、全ての栄光を神様にお返し致します。本当にありがとうございました。(筆記/Ako) 【写真:北野先生を囲んでランチタイム】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)

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