十字架の言葉を教えているか(受難週QT:第一コリント人への手紙1;18-25)18節『十字架の言葉は、滅びにいたる人には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です』THE MESSAGE OF THE CROSSは、神様の力です、神様の知恵です。それは、人間の力では救えない自分を、人間の知恵では人間を救うことが出来ないことを救った知恵です。それは、世間的にみたらばかかと思えるかもしれません。神様がどうして死なないといけないのでしょうか?しかも、人間のために。さらに罪びとのために。ユダヤ人はメシアである印を求めます。ギリシャ人は知恵を追求します。しかし、最大のしるしは聖書の約束どおりに、メシアが来られて十字架にかかったことです。知恵を追求しても、人を救うことは出来ません。いくら知恵があっても、方法論があっても、人を救うために命を捨てられた方にはかないません。また、人間の知恵では真理に到達することが出来ません。イエスはあえて宣教の愚かさを持って、私たちを救ってくださったのです。神様の知恵が人の知恵よりも劣ることがあるでしょうか?!神の弱さは人の弱さよりも強いのです。→ギリシャ人でも、ユダヤ人でもすべての人の入っていって、受けれいれることの出来る救いを下さったのです。はたして、私はキリストのゆえに愚かになっているのでしょうか!?その救いを、THE MESSAGE OF THE CROSSを伝えているのでしょうか?神様が愚かになるくらい、私を死ぬまで愛してくださいました!感激でないですか?人類の知恵では答えの出ない人生に、イエスがANSWERになってくださいました。今日、この受難週、その主イエスのために愚かに思われても、宣教していきます。主イエスの十字架だけを伝えさせてください。
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