命をかけて友としてくれた愛(ヨハネの福音書15;9-17)あるドキュメンタリーの中で、20年来の高校生以来の友人について紹介した人が、『僕のためにここまで思ってくれて、こいつとは一生友達だ』と思った、という話をしていました。はたして、私たちの(わたしの)主イエスは、わたしのために何をしてくれたのでしょうか?13節『人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛はありません』イエスは自分の命をわたしのために捨ててくれた、永遠の友で無いでしょうか!?聖書には、神様が私たちを友と呼んでくれた、それはアブラハムを友と呼ばれ、ということはあっても多くない表現です。主であり、師であり、神様である方を友と呼べる、それはどういう意味でしょう!それは、『あなたがたをしもべと呼びません、しもべは主人のすることをしならないからです』~「なぜなら、父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」世の中の友達でも、大事にします、その出会い、約束を心待ちにし、いい加減にしません。しかし、主イエスに対して私たちはどうでしょうか?いのちをかけてくれた友人であるイエスに、どんな不遜な態度が取れるでしょうか?、まして、神様は侮られる方ではありません。命を懸けてくれた友であるイエスには、わたしの人生をかけても足りないのでないでしょうか!なぜなら、神様の子だからです!なぜなら、私が神様を愛したのでなく、先に罪びとである私を愛してくれたからです。その方の語りかけ、である聖書、神様のラブレターにどれほど心傾けていることでしょうか?礼拝にどれほど、主イエスを愛して賛美し、み言葉を聞き、祈っているでしょうか?今日、主イエスを愛していきます、主イエスの実をたくさん結ぶものとしてあわれみ、もちいてください。
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