信じて命を得るために(ヨハネの福音書20章24-31節)復活のイエスが弟子たちに現れた時に、トマスだけいませんでした。彼は残り全部の弟子たちが『私たちは主を見た』と言ったのに、『私は、その手に釘の後をみ、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れて見なければ、~決して信じません』と言いました。これも、すごいですね!ある意味尊敬もの(その必要は無いか)?の強情さなのか?本当に自分の見たもの、経験したもの、さわったもの、しか見ないのか、信じないのか?の果てに来る考えです。イエスは子のようなトーマスにわざわざ同じシチェエーションで『ドアも閉ざされている上体で』平安があなた方にあるように、と言われます。そして、あなたの指をここにつけてわたしの手を見なさい、~信じないものにならないで信じるものになりなさい」と言ってくださいます。それは、主イエスの愛です!わざわざ尋ねてくださって分かるようにしてくださいました。①分からない人に尋ねていく、愛が苦労がどれほどあるでしょうか?尋ねていきます。もうひとつは、STOP DOUBTING AND BELIEVE27節という、神様のメッセージです。私たちは、現実に神様をこの肉眼で見たのでありません。しかし、聖書を通してイエスに出会い、救われました。礼拝を通して毎週、神様に出会います。また日ごとに主イエスに祈り、会話し、聖書から神様の声を聞きます、何と素晴らしいことでしょうか?ヨハネは言います、この福音書が書かれたのは『イエスが神の子であることを、あなたがたが信じるため、またあなたがたが信じて、イエスの御名でによって命を得るためである』とあるように、②私たちの経験、考え、今までのこうあるべきだ、ということ、目の前にある現実だけに頼る姿勢が主イエスの命ある人生をふさぐことがないでしょうか?今日も、主イエスを信じて、わたしの現実をこえて働く方に期待して歩んでいきます。
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