Sunday, March 29, 2015

今度は上手くいかなかった(罪は必ず報いが来る)1kings2;26-35、

今度は上手くいかなかった(罪は必ず報いが来る)1kings2;26-35、今日はソロモン王が、祭司エプヤタルに「ダビデ王と苦楽を共にしたために、命はとらない、しかし祭司職を罷免する」という箇所、そして長くダビデの将軍であり、優秀な将軍でありつつも、正しく善良な2人のイスラエルの将軍アブネル(平和の時に、ダビデに王権を渡すために来た時にだまし討ちにされました)、ユダの将軍アマサ(ダビデが任命したのに、ねたみ、やはり闇討ちにされました)どちらも敵から味方へ来た時に憐れみを受けたときに殺されたのです。しかも、ダビデの知らないうちに王命を無視してやりたい放題をしたのです。まず、①エプヤタルへの裁きは見事としかいえません。憐れみをもちながら、祭司エリの家族への言葉が成就しました、それは、反逆よりも、神様の祭司の働きをいい加減にしたり、それは神様を馬鹿にした、あなどった、ということです。命を助けられたことよりも、もっと恥ずかしいことです!情けないことです。→わたしたちは、主の働き、奉仕をベストを尽くしているでしょうか?まさか、あなどることがあってはいけません...。それは、最後に(人生の最後に)必ず裁きと恥ずかしい、情けない、ことになります、主は決して罪をそのままにされません。神様は決して侮られる方ではありません。今日、主の前にベストを尽くして行きます。②ヨアブですが、勇敢な将軍でした。イスラエルを、ユダを救ってきました。しかし、彼の勝手な行動、ダビデ王の前にも、主の前に、人々の前に裁きが下るときが来ました。主の御心とはなれて歩む人生には必ずさばきがあります、恐れないといけません。彼の墓は荒野にある彼の家に(荒野に家がありますか?)英語では、out in the countryです、あれだけ、国のために勝利をもたらし、と錯覚した将軍に、活躍した、という将軍の最後は悲しい、惨めなものです。最後の時まで、主の裁きを恐れて、主の心の中で歩んで生きましょう。また、ソロモンの裁きは全く見事です、いやらしいところがありません(これすごいです!)。それにふさわしい裁きをします、私心がありません。そして、ダビデの家系から罪のきよめをします。祝福をgetするために、きよめがなされます。罪からoutし、洗い出していきます。血をぬぐい、foreverのpeaceを受けていきます、素晴らしい世代交代、祝福の遺産交代です。今日、しゅのきよめ、罪の清め、を受けに受難週を準備していきます、今週の働きに、わたしの人生に、教会に主の祝福の癒しがありますように、その永遠の王座の祝福、平和を祈りつつ、受難週仕え、歩みます
 

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