主を認めない人は、恵みを知らない(1KINGS2;13-25)アドニヤは、ソロモン王にしもべを殺さないと誓ってください、といって祭壇の角を握って、神様の祭壇を利用してまで、更に憐れみを受けてまで、生かされたのに、ソロモンの母バテシュエバのところにいって、15節『ご存知のように、王位はわたしのものであるはずですし、すべてのイスラエルはわたしが王となるのを期待していました』なんということでしょうか!①アドニヤの心には、未だに野望、野心があり、自分は王になるはずだった、人々もそう期待していた、というのです。②未だに、自分が救われたこと、あわれみをうけたこと、ゆるされたこと、恵みを受けたこと、生かされていること、自分の状態がわかっていなかったのです。アドニヤは『それなのに、王位は転じて、わたしの弟のものとなりました。主によって彼のものとなったからです』アドニヤは『主によって彼のもの』と言いました。彼にとって、主は単なる言葉であり、単なる神様のひとつ、だったのでしょうか?!主であるなら、神様の計画、王に立てられたのはソロモンであることを認め、従わないといけ...ないのです。アドニヤは主に、主の計画に従わなかったこと、罪を認めなかったのです。③アドニヤは、未だにどころか?全く分からなかったどころか、もっと悪くなっていたのです。アドニヤは、母であるバテシェバを見くびり、馬鹿にして、利用しに行ったのです。『どうか、ソロモン王に頼んでください。あなたなら断らないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを与えてください』と言いました。その結果は、22節『なぜ、あなたはアドニヤシュネム人の女アビシャグを求めるのですか。彼はわたしの兄ですから、彼のために、王位を求めたほうが良いのではありませんか。彼のためにも、祭司エプヤタルやツェルヤの子ヨアブのためにも』そう言って、ソロモンは主にかけて誓って、アドニヤは、きょう、殺されないといけません。そうして、殺されました、愛する皆さん、わたしは、はたして主の前に許されたものとして、恵みうけたものとして、かえられているでしょうか?それとも、もっと悪くなっていないでしょうか?また、人を見くびり、利用したり、(逆に利用されないように)することがないでしょうか?また、リビングライフの適用は、①神が許されないのに今も執着していることがありませんか、②神の御心にあって受け入れるべきこと、拒絶することは何ですか、でした。今日、主を認める人生、リーダーシップを持って生きます
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